秦の始皇帝
秦の始皇帝。
その名前を知らない人はいないだろう。
中国四千年の歴史の中で初めて中華全土を統一した男。
世界で初めて皇帝となった男。(ローマ皇帝より前)
もっと言えば『皇帝』という位と名称を作り出した人物でもある。
万里の長城を現在に近い形にした。
始皇帝陵、兵馬俑を作った。
焚書坑儒
暦と農業に関する書物以外全てを焼いた。儒教の学者などを中心に穴埋めで殺した。
不老不死を求めて仙薬を探させた、などなど。
性格は猜疑心が強く、他人を信じず、暴虐的。
ガチガチの法律で独裁、恐怖政治で民から恐れられた。
こんなところだろうか??
他にも後宮に中国全土より美女を3000人以上集めた、というのもある。
男だったら憧れるだろうか?
だが、ちょっと待って欲しい。
3000人である。
全員に手をつけるのに一体何年かかるんだろう?
一日一人づついたしたとしても8~9年ぐらいかかってしまう。
仮に二十歳の時に集めた美女もアラサーだ。
そう考えると3000って数字が大事だったんだろうか。
統一の過程で滅ぼしていった国の美女達を根こそぎ攫っていったらしい。
実際、始皇帝とできなかった美女もかなりいたらしい。
後宮であるから、美女たちは身の回りの事は自分達でせずにお世話係というのがいた。
美女の身分によってお世話係が何人つくのかが変わるけど、皇后なんてなったら10~20人じゃきかない。
それを考えると一体何人が働いていたんだって話。
経費が掛かってしょうがない。
秦がすぐ滅びる一つの原因だ。
もちろんこれだけではないが。
さてこの始皇帝。けっこう目立ちたがりだったのかは知らないが、皇帝になってから全国巡遊なんてのをやっている。生きている間に5~6回ほど全国を回っただろうか?
ちなみに死んだときも巡遊中に死んでる。
そこまで旅が好きだったのか?
というよりはどちらかといえば
中華全土に皇帝お披露目が目的だったらしい。
だから当時かなりの人が見物してる。
江戸時代の大名の参勤交代みたく行列が通り過ぎるまで土下座キープ、なんてルールもなくけっこう自由に見物してたみたいだ。
見物人の中には後に天下を争うライバルになる項羽と劉邦もいた(もちろん場所は別)
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項羽は叔父の項梁と武者修行の旅の途中であった。
項羽と項梁は秦によって滅ぼされた楚という国の代々将軍だった家系。
中でも項梁の父、項燕将軍は名将と言われた人物。
二人は旅は、楚国と項家の復興の旅でもあった。
項羽と項梁は人ごみに紛れて始皇帝の行列を見ていた。
「羽よ、あれが天下人の行列だ。派手なものだな。」
行列は何キロにも渡って続いている。
やがて二人の前を大きく物々しくまるで家のような車が通る。あの中に皇帝がいるのだろう。
我らの仇が。
「ふん、今はふんぞり返っているがいい。その首俺が落としてくれる。」
「羽、声が大きい!!」
項梁は辺りを気にしたが誰もが行列に夢中なようだ。
ほっと息をはくと冷や汗を拭いながらも甥の項羽の気性を頼もしく思ったが
「羽、われ等はお尋ね者だ。目立つ行動は避けねばならん。」
「叔父上、大丈夫ですよ。追っ手の十や二十、軽くひねりつぶしてやります。」
項梁は決してその言葉、ホラでも嘘でもない事を知っているが、だとしてもだ……。
項羽の身長は二メートル近く、体重は百キロほど、力は強力無双。戦場に出たらどれほど首肯をあげるのか。
項家の再興は項羽抜きでは成り立たない。
だから項梁は子供を作らないのだ。
項家直系を項羽に継がせるために。
「行こう、今はまだ行動を起こす時ではない。」
二人は項一族と縁のある江南地方へと向かっていった。
文体を変えました。
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