副音声でお楽しみください
もうすぐ卒業をひかえた十二月初旬のことである。三年生の中司美心は思うところがあって、県内某所にある寂れた神社に足を運んだ。
若干の高台にあるため、長い階段を登っていく。
いわく、ここの神様は縁結びに強いらしい。日頃から色恋に積極的な友人たちのとりとめもない話につきあわされているうちに、ここがとんでもないパワースポットであると知ることになったのだ。
友達の奈々絵も、深雪も、しのぶも、今年この神社で参拝をして、それから狙っていた男子が彼氏になったのだという。
うさんくさいと思わなかったといえば嘘になる。しかし藁にすがるよりはよっぽど健全だろうと考え、美心は友人たちから聞き出したこの神社を訪れた。
境内にはこの神社の由来であるとか、逸話であるとか、どんな神様をまつっているのかについて説明があった。せっかく来たのだからと一応そうした長々とした文章に目を通すのだけれど、美心の気持ちは少しばかり浮ついていて、どうにも書いてある内容が頭に入ってこなかった。
お寺でもないのに、ひどく目立つ場所に巨大な鐘が見えた。重そうな鐘だが除夜の鐘のように撞いたりはできなくなっている。
とりあえずお賽銭を入れて、神頼みをしよう。
美心は奮発して用意しておいた五百円玉を投げ込んだ。
こんな寂れた神社なのに、どういうわけかその瞬間、自分より背の高い人影が割り込んできて、美心と同じように賽銭箱に硬貨を放った。
そして柏手を強く叩き、
「「素直になりたい」」
と、美心とその男性の声が被った。
はっとした美心が、真横に並んで一緒に願い事を口にしてしまった相手の顔を覗き込むと、そこにはひどく見知った同級生の顔があった。
彼は大川省吾という。
学校で顔を合わせるたび、いつも口論になってしまう男子だった。
口喧嘩の理由は毎回大したことではない。
たとえば委員会の用事で、ささいなことから口調がきつくなってしまって、お互いに声を荒らげてしまったりする。
部活でもそうだし、登下校中に時間が重なったときもそう。
ことあるごとに顔を合わせるけれど、手間をかけたりかけられたりして、そのたび言い方を間違える。
ごめんと言えばいいだけなのに、あんたのせいよと口にしてしまう。
ありがとうと言えばいいだけなのに、ご苦労さまと言ってしまう。
別に嫌いなわけではなかった。
むしろ美心が思いを寄せる相手だった。
だからかもしれない。美心は、自分の心を素直に口に出すことが苦手だった。照れ隠しに、相手を罵倒してしまうような困った性格をしていた。
だからこんな電車とバスを乗り継いでわざわざ寂れた神社まで来て、神頼みをしようだなんて血迷ったのだ。
お互い、目の前の相手の正体に気がついて、驚きよりも恥ずかしさが勝った。普通に世間話なり挨拶なりをすればいいだけなのに、美心の第一声はこうだった。
「わざわざこんな神社に来るなんて……傑作よね。もしかして、好きな女子と付き合えるようにって神頼み? あんたって本ッ当に情けないわね! 縁結びの神様に頼る前に、ちゃんと自力で告白したらどうなの?」
こんなことが言いたいわけじゃないのに、と美心は泣きたくなった。
そして、咄嗟に出た自分の照れ隠しの言葉が、どう考えても喧嘩を売っているものでしかないことに絶望した。
なのに、なぜか、大川省吾は唖然とした顔で、美心を見つめていた。
「な……」
「な?」
「なにを、いって」
こんなのいつもと同じじゃない、と美心は小さく首を傾げた。いつも通りの思っていることの半分も伝わらなくて、むしろ逆の作用しかない馬鹿な言葉。それなのにどうして省吾は口をぱくぱくと開いたり閉じたりして、こんなに困惑しているのか。
さて。
時を同じくしてこの寂れた神社に姿を表した大川省吾であったが、その目的はだいたい美心のそれと同じであった。縁結びの神様に頼ろうと考えたのである。ここに至る経緯も、その行動も思惑も、そして理由もほぼほぼ同類であった。
彼もまた、美心と同じく、好きな相手の前では変な緊張とか動揺とかテンパり方をして余計なことを口走ったり、本当に思っていることの逆が口をついて出る面倒なタイプの男だったのである。
彼もまた美心に好意を抱いていた。だが、それを態度に表したり、言葉にすることがどうしても苦手で、考えれば考えるほど失敗してしまう性質もあり、美心のことを褒めようと思って褒めたいのに「お前にしちゃあ頑張ったな」みたいに余計な言葉を付け加えては反発を生む悪循環になりがちな、不器用な男であったのだ。
そして、ここに祀られている古い神様は、偶然にも足並み揃えてやってきた同じ理由で思い悩む若い男女それぞれの切実な願いを聞き届けて、すぐさま思った。
(我良案有)
ちなみにこの神社にある御神体は、二人を見守るような位置、本殿近くに鎮座ましましているあの重い鐘である。
寺でもないのに鐘がある珍しい神社であるし、御神体は重い鐘ということで、著名な神様である思兼に名前だけが似ているのだが、ちゃんとした分け御霊をされたこともなく、由来も実は全然関係なかったりする。
しかし、それと間違われて祀られているうちに、それらしいご利益があることになってしまうのもまた、日本の神様にはよくあることだった。
というわけで、この神社のおもいかね様は、若い男女に一日だけの大サービスをしてあげたのである。
話は少し前の場面に遡る。
美心が普段と同じように、ついツンとした態度で言葉をぶつけてしまった。
「わざわざこんな神社に来るなんて……傑作よね。もしかして、好きな女子と付き合えるようにって神頼み? あんたって本ッ当に情けないわね! 縁結びの神様に頼る前に、ちゃんと自力で告白したらどうなの?」
これが省吾にはこう聞こえた。
「わざわざこんな神社に来るなんて……傑作よね。もしかして、好きな女子と付き合えるようにって神頼み? あんたって本ッ当に情けないわね! 縁結びの神様に頼る前に、ちゃんと自力で告白したらどうなの?」
傑作よね、と聞こえたとき、同時に美心の声で、うんめいてき、と言っているように感じられたのだ。
好きな女子のときも同じだ。まさか、あたし? と期待する声に聞こえた。
動揺した省吾に、美心はいつものように語気強く言い放つ。
「なに馬鹿みたいにぽかんとした顔をしてんのよ!」
省吾は何も言えなくなった。
美心はまだ気づいていない。それが何を意味しているのかも。
続けての言葉に、彼は天を仰いだ。
「なによ、黙っちゃって。あたしには何も言う価値がないってこと?」
「違う!」
「じゃあ、どうして」
「気づいてないよな」
「何を?」
「その……本音が、伝わってきてる」
「は? なにそれ、意味わかんない」
「そういうことだ」
「……~っ」
「すまん」
「……大川の変態っ!」
省吾はこの短いやり取りだけで、美心の罵倒が照れ隠しであることを否応なく気付かされてしまった。
こうなると、自分の言葉がどう伝わっているかが恐ろしくなる。
「なあ、中司」
「えっ、あっ……み、美心でいいわよ!」
「じゃあ、美心」
「……うん」
「その、なんだ。俺達いま、同じ状況だよな」
「そう、ね」
二人は黙り込んだ。素直になりたいと思っていたが、それは、自分の心のまま素直な気持ちで喋りたいのであって、言葉に偽らざる本音が乗っかってしまうなんてことまで想像していなかった。
だが、こういうとき、先に踏み出すのは男の方からだろう、と省吾は考えた。
「美心」
「なによ」
いつもと違って名前で呼ぶと、いつもなら威嚇するように少し睨んだ感じで返してくる美心の表情も、どこか頬やら耳やらが赤くなっている気がした。
そこで省吾もだんだんと分かってきた。
これは睨んでいるのではない。
緊張しているのだ。自分と一緒で、好きな相手だから、いつも通りの自分でいられなくなってしまったのだ。
そのことに気がつくと、少しだけ気が楽になった。
「いつも、なんか言い合いになっちゃうけどさ」
「……うん」
「本当は、美心ともっと楽しく話したいんだ」
「うん」
「それで……だから……」
省吾は素直な気持ちを語ると、美心にはそのまま聞こえてきた。
こうなると逆に、美心の方が踏み込んでしまいたくなった。
「ねえ、大川」
「もちろん」
「じゃあ、省吾。あたしね、あんたのこと、本当は好きなの」
「……えっ」
「驚いた?」
「い、いや、そうだったらいいな、ってずっと思ってた」
「なっ、なにいってん……あ、違う、なに考えてんのよ!」
大抵のラブコメがそうであるように、素直になれない女の子と、素直になれないか鈍い男の子のすれ違いが解消されてしまったら、あとは一直線に彼氏彼女の関係になるより他はない。
だって、
「えっと、ええっと」
「なんていうか、その、なんだ」
相手の不安であるとか、困惑であるとか、好意であるとかが、そのまま伝わってしまうのだから。
そしてその感情はどちらにも共通するもので、だから何に対して怖がっているのかも、何を言おうとして躊躇ったのかも、全部理解できてしまう。
こうなってしまったら、あとは覚悟を決めるだけ。
他に誰もいない古びた神社の立派な重い鐘の前で、二人は互いの目を見つめ合う。それからほんの少しの勇気を込めて、どちらからともなく声を発する。
「ねえ省吾。あたしと付き合って、くれる?」
「美心。恋人になってくれ!」
二人の声と、二人の想い。
それが同時にぶつかって、音もないのに境内に響き渡った気がした。
「あはは、同時だったね……」
「なんていうか、俺達ってさ」
「逆に相性が良すぎるからかな」
「どっちも同じ足で踏み込んじゃう、みたいな?」
「えへへ……ふぅ」
「あはは……はぁ」
「……ねえ、省吾」
「なんだ、美心」
「もったいなかったね、ぶつかり続けたこの二年」
「ああ。すごい遠回りをした気分だ」
「じゃあ、今日から恋人みたいなこと、いっぱいしよ?」
「……へ? あれ、いま」
「しないの?」
「……する!」
「思い立ったが吉日っていうし、早速これから行きましょ!」
「行くってどこに」
「えっとぉ……」
「どこがいいのやら」
「省吾の家かラブホ」
「……俺の家か、ラブホ?」
省吾は一瞬黙り込んで、それから目を瞬かせた。
おそるおそる、丁重な態度で、美心に尋ねることにする。
「あの、美心さん」
「なによ」
「当たり前のようにラブホとおっしゃいましたが、その、ご経験が?」
「無いわよ。あるわけないでしょ。ただ、友達にその手の話いっぱい聞かされてたから、恋人ってそういうものだって思っただけで……」
美心は自分の発言について顧みたようで、そこで一度言葉が詰まった。
じっくり考えて、省吾がどんな顔をしているのかをまじまじと眺めて、顔から首筋まで真っ赤にしながら、唇をわなわなと震わせて、
「あたしは処女よ、悪い!?」
「ありがとうございます」
「なに拝んでんのよ気持ち悪いわね!」
「なんだろ、全然腹が立たない」
というわけで、二人は、恋人になったばかりの彼氏彼女が相手の知らない部分をだんだん知っていく、という一番楽しい部分を一足飛びに進めていったのだが、この状況下では妙な勘違いなどは発生しにくいために、無駄に葛藤したり、無駄に足踏みしたり、無駄に相手を試したりといった、ラブコメにありがちな試練の時間はスキップされたのである。
こうなると、お互いもう両想いなのも確定したし、なんなら美心の方もえっちなことに興味津々であることも判明しているので、省吾からしたら今日始まった恋人という新たな関係性を一歩でも二歩でも先に、奥に、深く進めない理由がない。そういうお年頃であることも幸いして、私服姿の二人は神社をあとにして、すぐさま付き合いたてのカップルがやるようなワイワイ言いながらコンビニとかドラッグストアでどのゴムがいいのかを相談しながら選んで買う、という実績を即日解除したのであった。
そして二人はその日のうちに大人の階段を登った。
特に理由はないが、あえて理由を挙げるのであれば、二人は自分たちに起こった奇妙な現象についてなんとなく把握していたからだ。
素直になりたい、と神様にお願いをしたら、叶ってしまった。
そしてその不思議でありえざるご利益は長くは続かないことも察した。これが切っ掛けとなって気持ちが通じ合うことになったものの、この本音が伝わるという状況にはもっと強力に効果を発揮する場面がある、と二人揃って考えついたのだ。
お年頃の男女には、それゆえに天才的なひらめきが宿ることがある。
これが、それだ。
行為中の、相手の気持ちが直に伝わってくる。
こんなに素晴らしい使い方は他にない、と二人は気がついてしまったのだ。善は急げである。
美心も、省吾も、未経験者二人のくせにその目的のために、その思いつきを結実させるために、すべての困難を乗り越え、二人はついに結ばれたのであった。
掲載場所の制約ゆえ、その場面について細かく描写することは出来ない。
だが、あるタイミングの美心の漏らした声をいくつか抜き出すことで、この小説を締めくくることとする。
「そんな……あたしたち、まだ学生なのに、そんなことっ」
とか、
「いやっ、やだぁっ!」
だったり、
「ふふっ、こんなの初めて」
みたいなことが、口に出された。
「美味しい」
そんなものも、口に出された。
そして最後には、こんな会話がなされたのであった。
「一応聞くけど、どうだった?」
「そうねえ。……ヘタクソだったわ」
「おいっ」
「だから、次回までにはもうちょっと勉強しましょ。お互いにね」
「……精進します。それで、その」
「なあに?」
「もう、本音は伝わらないけどさ、それでも」
「あはは。ねえ省吾」
「なんだよ。俺いま、覚悟を決めて言おうと思ってたのに」
「大丈夫。もう、伝わってるから」
「えっ、そっちには残ってるのか? あの不思議な、ご利益みたいなやつ」
「ううん。もう昨日みたいには全部わからないけど、でも大丈夫よ。だって、あたしたちは自分の気持ちに素直になればいいんだから!」
(本願成就達成)




