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第13話 名前を決めて、いざ出発

「一緒に行こう」

「うん」


 シオンの手を見つめながら、少女が柔らかな表情で握る。そんな少女の手を見てふふんと嬉しそうに笑うシオンだったが、不意に顔を上げて目線が合うと顔が赤くなって――


「じゃ、じゃあ、改めて今後のことを決めようか。この研究所がこうなってしまった以上、追っ手が来るかもしれない。運が良ければ俺達も死んだと思ってもらえるかもしれないが、この場から離れるのは確定だ」


 さりげなく手を離して、話題を変えた。


「行く当てはあるの?」


 少女は特に表情を変えずに尋ねる。


「ない、かな。気になっている場所はあるけど……」


 シオンは微妙に歯切れの悪い口調で答えた。


「気になっている場所?」


 少女が可愛らしく小首を傾げる。


「もともと俺が暮らしていた場所だよ」


 そう語り、少し遠い目になるシオン。その言葉通り、生まれ育ったターコイズ王国のことを思い出したのだ。妹のイリナに婚約者のエステル、ライバルのクリフォードは元気だろうかと、そう思った。


「いいよ。私はどこにでも、貴方に付いていく。気になる場所があるのなら行けばいい」


 と、少女はシオンの背中を押すように言う。


「……ありがとう」

「お礼を言うのは私の方」

「そんなことはないさ。じゃあ、まずはターコイズ王国の王都を目指してみようか。そこが俺の故郷なんだ」


 と、シオンは打ち明ける。


「わかった」


 少女は短く相槌を打つ。


「出発の前に、自己紹介がまだだったな。俺はシオン。シオン・ターコイズだ」


 シオンはここで初めて自己紹介をする。


「……ターコイズ? 聞いたことがある国の名前と同じ」

「ああ、俺はその国の王族なんだ。第一王子だった」

「そう」


 シオンの身分には差して興味がないらしく、少女はやはり短く相槌を打つ。


「ただ、国に帰らない以上、ターコイズの家名は名乗れない。だから、今日からはただのシオンだ」


 シオンは決意を覗かせて語る。が――、


「いや、偽名も考えておいた方がいいのか? それに、君の名前も考えないと……」


 ふむと、思案顔を浮かべて唸った。


「私の名前?」


 少女がぱちぱちと目を瞬いて反応する。


「ないとどう呼んだらいいのかわからないだろ。これからは一緒に行動するんだから」

「……うん」


 シオンが指摘すると、少女は瞠目して頷く。


「どうしたんだ、驚いたような顔をして?」

「自分に名前が与えられるなんて考えたこともなかったから」

「本当、碌な組織じゃないな。ダアトってのは。……まあいい。せっかくなんだから、好きな名前を考えてみたらどうだ?」


 しかめっ面になるシオンだったが、気を取り直して少女に提案する。が――、


「好きな名前……特にない」


 と、少女は心なしか困ったように語った。

 無感情というわけではないのだが、シオンの目の前にいる少女は感情の起伏があまりない。髪の色を除いて顔も声もモニカとウリ二つなのだが、その辺りは明るい女の子だったモニカとだいぶ異なった。


「まあそんな気はしていたけど。何か好きなものがあればその名前を借用するなり、もじってみるとか」


 シオンは苦笑し、方向性を提示する。


「シオンは何か好きなものはある?」


 少女が不意に、シオンの名前を初めて呼んで尋ねる。


「……俺の?」


 モニカの声で名前を呼ばれてドキッとしたのか、身体を震わせるシオン。


「私じゃ良い名前が思い浮かばないから、シオンが好きなものから名前をつけてほしい。シオンは何が好きなの?」

「何が好き……」


 そう訊かれて、真っ先に思い浮かんだのは――。


「モニカ以外で」

「わ、わかっているよ。……拉致されてからは好きなことなんて何もなかったけど、読書が好きだったかな」


 シオンはこほんと咳払いをして答える。


「本は読んだことがない」

「文字は読めるのか?」

「そこまで難しい文でなければ読める」

「じゃあ町に行ったら何か一冊買ってみようか」

「うん。シオンの好きな本は何?」

「俺の好きな本か……。それだと『英雄ノアの大冒険』かな」


 少女に訊かれ、シオンはモニカと一緒によく感想を言い合った本の名前を口にした。


「どういうお話なの?」


 少女は本の名前を知らないらしい。モニカも大好きだった本を知らない以上、やはり目の前の少女はモニカではないのだと、改めて実感させられるシオンだったが――、


「……大昔にあったとされる伝説さ。かつて地上に悪魔が舞い降り、未曾有の危機が世界に訪れた。そんな時に天使達が舞い降り、人類に大いなる知恵を授けた。すると人類からノアという名の英雄が誕生し、天使達と一緒に悪魔達と戦う。まあ、よくある英雄譚かな。子供でも読める本だし、初めて読むのならいいかもしれない」


 胸中の機微を誤魔化すように、薄く笑って少女に提案した。


「なら、その本から私の名前をつけてほしい」


 と、少女はシオンにリクエストする。


「ノアの大冒険からか……」


 シオンは口許に手を当てて考えると――、


「……じゃあ、リィエルかな」


 思い浮かんだ名前を口にした。


「リィエル?」

「ノアに英雄の力を与えたとされる謎の女性。その人と同じ名前だよ。ピンとこなければ他の名前を考えてみるけど、どうかな?」

「うん。それでいい。私はリィエル」


 少女はこくこくと首を縦に振って意思を示す。初めての名前が嬉しいのか、少し興奮しているようにも見える。


「そうか。じゃあ、君は今日からリィエルだ」


 シオンは少女の機微を感じ取ったのか、フッと笑ってリィエルと名前を呼んだ。


「うん」


 リィエルは満足そうに深く頷く。


「気に入ってもらえたみたいで良かったよ」


 シオンも満足そうに微笑む。すると――、


「シオンの偽名はどうするの?」


 リィエルが尋ねてきた。


「……どうするかな。まあ、それほど珍しい名前でもないし、急いで考えて適当な名前にする必要もないんだけど……」


 これといった偽名が簡単に思い浮かばず、シオンは困り顔で言う。ターコイズという家名を名乗るのは大問題だろうが、とりあえずシオンと名乗ったところで支障はなさそうにも思えた。すると――、


「じゃあ、シオンの偽名はノアにする?」


 リィエルがシオンの名を提案してきた。


「……ノア? 俺が?」


 シオンはぱちぱちと目を瞬く。


「好きなものから名前を借用するといいって、シオンが言っていたから」

「確かに」

「シオンはノアが好きなんでしょう?」

「まあ、好きだけど……」


 子供の頃から愛読してきた伝説の英雄ノアと同じ名前を名乗るなんて、考えたこともなかった。


「じゃあ、シオンはノアで、私はリィエル」

「けど、二人揃っておとぎ話の伝説に登場する二人の名前を名乗るっていうのは……」

「駄目?」


 リィエルが無垢な表情で尋ねてくる。

 それで、シオンはまたしてもドキッとしてしまって――、


「駄目、ではないかな。ノアって名前は市井しせいで人気だと聞いたことがあるし、良いと思う」


 と、わずかに上ずった声で答えた。他に良い名前が思いつくわけでもないし、適当に考えて物珍しい名前になってしまうよりかはいいだろう。そう思うことにした。


「じゃあ、決まり」


 リィエルはなぜだか嬉しそうに微笑む。一方、シオンは憧れの英雄と同じ名前にすることがこそばゆくて――、


「けど、急にノアと呼ばれるのもしっくりこないというか……、二人でいる時はシオンって呼んでくれ」


 と、微妙に顔を赤くして付け加えた。


「わかった」


 リィエルはこくりと首を縦に振る。


「……じゃあ、行こうか。リィエルは飛行魔法フライは使えるか?」


 シオンは軽く咳払いをすると気持ちを切り替えたのか、リィエルに尋ねた。


「ううん。私は神聖属性の魔法しか使えない」


 リィエルはふるふると首を横に振る。


「確かに、鑑定のステータス情報に記されていたな。じゃあ、どうするかな。空を飛んだ方が移動は速いんだが……」


 空を飛んで移動するとなると、シオンがリィエルを抱きかかえるしかないのだが、その姿を思い浮かべると尻込みをしてしまった。だが――、


「シオンは空を飛べるの?」

「ああ」

「じゃあ、シオンが私を運んでくれるの?」


 リィエルは特に気後れした様子はなく、平然と訊いてきた。


「……リィエルが嫌でなければ」


 シオンはわずかに息を呑んで答える。


「じゃあ、空を飛んでいこう」

「わかった」

「お願い。私はどうすればいい?」


 シオンが頷くと、リィエルが距離を詰めてくる。


「俺が抱きかかえるから、落ちないように捕まっていてくれればいいよ」

「うん」


 リィエルはこくりと頷くと、早速自分からシオンに抱きついた。何の躊躇いもなく抱きつかれてシオンは硬直する。


「こ、この体勢だとちょっと飛びづらいから、抱きかかえてもいいか?」


 シオンは上ずった声でリィエルに頼んだ。


「いいよ。……こう?」


 リィエルはシオンに抱きつくのを止めて一歩後ろに下がる。それから「抱っこして」と言わんばかりに、シオンに向けて両手を差し出した。抱擁をおねだりするポーズである。


「じゃ、じゃあ、抱きかかえるから」


 シオンは緊張しっぱなっしである。ドギマギとした動きでリィエルの背中と膝に手を回す。その上でそっと彼女を抱きかかえた。


「ん」


 リィエルは両手をシオンの背中に回して抱きつく。リィエルの華奢な身体は羽のように軽くて――、


(か、顔が近い。それにしても軽いな……)


 と、ありのままに思うシオン。レベル19の基礎パラメーターなら人一人を抱きかかえるくらいは簡単にできるのだが、こうして同年代の女の子を抱きかかえる機会なんてなかった。シオンはリィエルを抱えたまま呆け気味に立ち尽くしてしまう。


「飛ばないの?」


 リィエルがシオンの目を見て尋ねた。

 

「あ、ああ。行こうか」


 シオンはハッと我に返ると身体を囲うように魔法陣を展開し、無詠唱で飛行魔法を発動させた。魔法陣が消滅するとシオンの身体が淡く光り、ふわりと身体が持ち上がる。そのままシオンはリィエルを抱きかかえた状態で地上数十メートルの位置まで舞い上がった。


「空を飛んだのは初めて。こうして外の世界の景色を眺めるのも」


 リィエルは物珍しそうに上空からの景色を見晴らしている。


「俺もこうして外の世界を見るの初めてだ」


 一帯には見渡す限り、森が広がっていた。研究所の中ではもちろん、お城で暮らしていた頃も王族であるがゆえに外出の自由は制約されていたから、シオンにとっても初めて見る大自然の景色だ。


(研究所はリィエルの魔法で消し飛んだけど、森の外まではけっこうありそうだ。違法な研究をあれだけ巨大な施設でやっていたんだから、人里のすぐ傍にあるとは思っていなかったけど……)


 現在地はいったいどこなのだろうか? 近くの人里に移動したら確かめる必要があるなとシオンは考える。そして――、


「そういえば、リィエルはどうやってこの研究所へやってきたんだ?」


 ふと疑問に思って、リィエルに尋ねた。


「研究所と研究所を繋ぐ転移門で移動した」

「あの研究所はそんなものまで所持していたのか」


 目を見開くシオン。転移門は現存する数が極めて少ない希少なマジックアイテムだ。門という言葉から建造物を連想するかもしれないが、実際は二つで一つの対となる水晶のことを指す。これらを異なる場所に設置することで、任意の場所へ互いに転移できるようになるのだ。魔力さえ補充できるのであれば何度でも使うことができる。


「転移門は貴重なの?」

「ああ。稼働しているものは国か冒険者ギルドが厳重に管理しているはずなんだけどな」


 当然、国の管理が及んでいない代物だったのだろう。研究所が消滅した以上は魔法陣も消滅してしまっただろうし、残っていたとしても敵地のど真ん中に移動することになるから使えなかったのだろうが、神眼で解析してみたかったという好奇心には駆られた。が、消滅してしまったもののことを気にしていても仕方がない。


「まあいい。行こうか」

「どっちに行くの?」

「見渡す限り森だし、現在地もわからないからな。適当な方向に飛んでみるしか……。いや、待てよ」


 シオンはそこまで語ると、ふと思い立ったように神眼を発動させた。そして――、


(地面を鑑定することで地名を確認できるか?)


 そう思って、試してみる。鑑定したい事柄が曖昧だったり、鑑定対象と鑑定したい事柄との関係性が希薄だったりすると能力が発動しないのだが、実際の可不可は試してみなければわからない。結果――、


(……駄目か。じゃあ、視界に映っている方角に人がいるのかは……、これも駄目か。鑑定事項が曖昧すぎるのか? なら、鑑定事項を視界内の最短位置にある人里とかに設定すれば……、これも駄目か。それとも鑑定対象との距離が開きすぎているからか?)


 まだ能力を獲得して間もないので、あれこれ試行錯誤するシオン。すると――、


「何を調べているの?」


 神眼を発動させて虚空を見据えるシオンを見て、リィエルが尋ねてきた。


「この眼で現在地とか人里の位置を調べられないか試していたんだ。駄目だった。こうなったら運任せだ。あっちへ行ってみよう」

「うん」


 シオンは適当な方角を指さし、出発することにした。

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