元侯爵令嬢、甘美に過ごす
お久しぶりです。
せっかくのバレンタインなのでシエナとイザクの短編を書いてみました。
フィンベリオーレにバレンタインの文化がないと気付いたのは、この世界に生まれてすぐのことだ。
あれは転生前の世界限定のイベントだったのだと肩を落としたシエナは、前世では自分にチョコレートを買う派の女子だった。
プロレス観戦とビール、そしてバレンタインには自分へのご褒美チョコが人生の楽しみだった自分は、思い返すと随分枯れていたように思う。
そんな趣味や自らのささやかな幸せを糧に懸命に生きていた自分が無差別に刺されて命を落としたのは今でも納得がいかないが、こちらの世界ではイザクと結ばれ、ようやく幸せを噛みしめている。
そんなシエナの、今世でのチョコレートに対する見方は……少し変化していた。
ショーケースに並ぶジュエリーのような華やかさや美味しさは二の次、チョコレートの何が素晴らしいってそれはもう……。
「チョコレートはね、非常食になるのよ。高カロリーだし、保存もきくし、小分けにして食べられるでしょ。山で遭難してもチョコレートで一週間生き延びた人がいるくらいなんだから」
誰よりも生き残りたい自分が山に登るときに持っていきたいアイテム殿堂入り決定だ。
冴え渡る美貌を輝かせて、シエナはうっとりと語る。
チョコレートの甘い匂いが立ちこめる厨房には、主君であるイザクの懐刀の双子ニフとロアが、侯爵令嬢からめでたく妃となったシエナのチョコレート作りを見守っていた。
「オレ、生チョコが好きなんですけどねぃ……」
ボウルや泡だて器が並ぶキッチンテーブルに頬杖を突きながら、ニフは切なそうに言う。そんな彼の目の前には、爆弾のようなチョコの塊がドンと皿に盛られていた。ちなみに、これが完成形である。
「生チョコなんて保存がきかないものは却下」
短く切り捨てたシエナこそが、ニフの眼前にある爆弾もといチョコの作り手だ。腰に手を当てて言ったシエナに、ニフは歯噛みして食い下がった。
「オレ別に遠征に行く予定も遭難するつもりもねえのに! しかもロアの方はちゃんと塊じゃなくてガトーショコラじゃねぇですか! 贔屓でさぁ! 差別でさぁぁっ」
泣き真似をする双子の片割れを鬱陶しく思いながら、もう一方の大人しい片割れをシエナは眺める。
本当にニフと双子かと疑わしいほど寡黙なロアは、切り分けてもいないガトーショコラをフォークで一突きし、幸せそうに頬張っていた。無表情だが、幸せそうな花が周囲に散っている。
「だってロアは沢山の量を食べたいって言うから。貰えるだけありがたいと思いなさいよ、チャラ男。正直アンタには憎たらしさしか感じてないんだからね」
「うう……お嬢の転生前の世界のイベントって、しょっぱい……」
いじけるニフを鼻で笑いながら、シエナはイザクの分のチョコ作りに取りかかる。シエナの前世については、イザクによって側近たちも知るところとなっていた。
双子はイザクによる発言のためかシエナの生まれ変わりをすんなり信じた上、今ではこうして転生前の世界にしかない文化を一緒に楽しんでいる。(若干一名はぶすくれているが)
そしてそれは、愛しい相手も同じだった。
星が燦然と瞬く頃、多忙のイザクはようやく寝室に顔を出した。
カッチリとした正装ではなく薄紫のベストとボタンをいくつか外した黒いシャツ姿の彼は、結婚しても相変わらず匂い立つような色気を孕んでいる。特に夜だと、シャンデリアの光を弾く赤い隻眼が危険な美しさを醸しだしていた。
「お仕事お疲れさまです」
「ああ。……これは?」
煌びやかな室内に漂う甘い匂いに気付いたのか、イザクが筋の通った鼻を一度すする。それからマホガニーのテーブルに置かれたシックなラッピングの箱を取りあげた。
夜を体現するような見目のイザクに似合ったダークグレーの箱には、白いリボンが踊っている。
「チョコレートです。手作りしました」
「……バレンタイン?」
「正解」
湯あみを終えて寝巻に着替えたシエナが、ベッドの上で座りこみニッコリと笑う。以前教えた異世界の文化をイザクが覚えてくれていたことに満足していると、彼が隣に腰をかけた。
柔らかいスプリングが、二人分の体重をしっかりと受け止める。
「甘さ控えめで、陛下の好きなウイスキーが中に入ってますよ」
小箱を開けたイザクの肩越しに箱の中身を覗きこみながら、シエナが言った。
「…………」
「陛下?」
「…………」
「イザク、食べないの?」
お腹いっぱい?
返事を寄越さないイザクを不審に思い、シルバーブロンドを揺らしながらシエナが尋ねる。
今生では何でもプロ並みに極めているシエナの手作りチョコレートはもはや芸術のレベルまで達している。そう自負しているだけに、見た目がまずそうなため食べる気が起きないということはないはずだが……。
「イザ……」
眼帯と髪で覆われたイザクの表情を覗きこむ。そこでシエナは、箱を開けたまま固まっている彼に得心がいった。
胸に花が咲いたような、心に火が灯ったような、そんな少し泣きそうで温かい表情をイザクはしている。
(――――……そんな表情をしてくれるのは、反則じゃない……?)
チョコ一つで。
ぽつりと落とすように、イザクが口火を切る。
「バレンタインは、好きな相手にチョコを送る文化だと言っていたな」
「うん」
「……そうか」
噛みしめるように呟き、イザクは頷く。その横顔が嬉しくて仕方ないと言わんばかりで、シエナは歯が浮くほど気恥ずかしくなった。
「ありがとう、シエナ」
「……いえ」
黒豹のように孤高で鋭角的な美貌のイザクは、元々笑う回数が少ない。笑った時も、満面の笑みではなく口の端を歪めるようなニヒルな笑いが多い。それなのに今は、大輪の花が綻ぶような柔らかな笑みを口元に浮かべている。
それが、彼がどんなに嬉しいかを如実に表していて、シエナは思わずイザクを抱きしめたくなった。
「もったいなくて食べられないな」
「ええ? 食べてくださいよ。ほら、あーん」
ビターチョコを一粒つまみ、シエナはイザクの口元に持っていく。薄く整った唇にチョコレートを押しつけると、チョコで歪んだ彼の唇の柔らかさに口付けられた時の感触を思い出して頬が火照る。
シエナが赤くなると、イザクはシエナが何を想像したのか分かった様子でいつもの意地悪そうな笑みを浮かべた。そのまま互いの目が合い、自然に引き寄せられる。
「イザ……」
重なった唇が、ひどく甘い。ビターチョコにしたはずなのに、二人の体温で蕩けたチョコレートはこれまで口にした何よりも甘美に感じられた。
わずかなアルコールのせいか、それともやまない胸の高鳴りのせいか――――クラクラしながら唇を離すと、愛しそうにこちらを見下ろす隻眼と再び目が合う。
風呂上がりで湿り気を帯びたシエナの髪を耳にかけたイザクは、つむじにも一つキスを落とした。
「お返しの文化もあるんだろう? 何がいい? 島か? それとも城か?」
「ちょっとお返しのスケールが私の常識から外れてますね……強いて言うならもう一つ調剤室が欲しいわ」
「建てさせよう」
「うわっ!? 冗談だったのに通っちゃうの!?」
慌てふためくシエナを抱きしめてイザクが笑う。からかわれたのか本気か分からないシエナは泡を食いながらも、イザクを抱きしめ返した。
幸せなバレンタインデーの夜はこうして更けていく。翌日、ニフとロアにもチョコレートをあげたことがイザクにバレて盛大にへそを曲げられる羽目になるのを、シエナはまだ知らない。
ここまでお読み下さり、ありがとうございます(*´꒳`*)




