尊敬の死、賞賛の生
まさか病院のおめしがここまで薄味だとは。見た感じではしょぼい給食という佇まいなのですが、口にするとあーら不思議。味がちょっぴりしか感じられません。ここまで味を薄くするのも逆に難しいのではないかと思いますね。
こんにちは。
薄味病院フードに驚愕せずにはいられない僕です。
あれから一週間が経ちました。
なんの改造手術かと問いただしたくなるほどの地獄めいた手術を終えた僕は、城門さんのはからいで最上階の個室をあてがわれました。
窓からの景色はこの町を一望できて最高、らしいです。残念ながら僕は腕と脚をギプスで固定されベッドから動けない状態なので、見える景色と言えば空ばかりなのですが。梅雨明けしてすっかり夏気分の空が、青々と展開しています。
城門さんはちょくちょくこの病室にやって来ては、学校のことを話してくれます。
城門さんによると、溝口さんはもうゲームをばら撒くのをやめたそうです。今は受験勉強とゲーム作りをどう両立させるかを真剣に考えているとのことです。
石踊さんと工藤さんは相変わらずのニャンニャンっぷりだそうです。超絶いらない情報ありがとうございます。
尚武屋さんは竜宮下さんの奴隷として毎日こき使われているらしいです。最強の手下を手に入れましたね竜宮下さん。
ただ意外なのは、尚武屋さんが読書に目覚めたことです。
竜宮下さんに課題図書だと言われて半ば無理やり読むことになったアーサー・コナンドイルのとある短編を読んで、文学魂が覚醒したらしいのです。そんなこんなで尚武屋さん、今じゃ文芸部と水泳部を掛け持ちだそうです。
竜宮下さんは、小説の執筆とテスト勉強がかち合ってあっぷあっぷだとのことです。
イライラしたときは尚武屋さんに八つ当たりし、肩を揉ませ靴を磨かせているそうです。とりあえず、平和だということにしておきましょう。
僕はというと、あまりにも退屈なので、城門さんに頼んで小説を持ってきてもらったのですが、どれもこれもBLばかりで困っています。城門さんの意外な趣味を知ってしまいました。
竜宮下さんにほかの本を持ってきてもらおうにも病院なので携帯は電源を切っていますし、そもそもテスト勉強で僕のお見舞いどころではないです。ちなみに僕のテストは後日、別日程で特別に組まれています。安心安心。
「ヒモくん、具合はどう?」
と言ってる傍から唐突に、ノック無しで竜宮下さんがドアを開けて病室に入ってきました。
「まあまあです。体を完全回復させるお豆でもあればすぐにでも退院できるのですが」
「そう」
竜宮下さんはベッドの横にある丸椅子に腰掛けました。
「あ、これお見舞いの品」
インスタントのお粥でした。
僕は絶句した後、ありがたく受け取りました。僕の薄味生活はもうしばらく続きそうです。
「テスト勉強はいいのですか?」
「ええ、とりあえず危惧していた数学を乗り越えたから問題ないわ。執筆中だった小説も新人賞の締め切りギリギリで書き終わったし。何もかもが良い具合に運んでるわ。わたし時々思うの。世界はわたしのものじゃないのか、って」
たぶん「時々」ではなく「いつも」思っているはずです。
「それにしても、ふむ」
竜宮下さんはまじまじと僕の腕と脚を見て、ペシペシと吊ってある脚を軽く叩きました。
「ヒモくん、ボロボロね。まるで宇宙からやって来た某戦闘民族と戦った後みたいよ」
「あははは」
僕はヘラヘラと笑いました。
「ヘラヘラしてるところを見ると、本当に大丈夫みたいね」
「ええ、おかげさまで」
「今回は足がすくんでおもらし、ということにはならなかったのね」
「ええ、まあ……」
僕の脳内で、屋上で飛び降り自殺にビビった挙句おもらしをかます中学三年男子の姿が投影されました。僕でした。
――あのとき、ユウキくんと飛び降りようと思ったのに、自分の意思に反して僕の脚は前へ進まなくなり、それでも無理やり足を運ぼうとすると、今度はおもらしをしてしまったのです。あの時の情けなさと言ったら、忘れようにも忘れられません。
そのせいで僕だけじゃなく、ユウキくんまでもが飛び降りる気を削がれてしまったのです。
それでも彼は、申し訳なくて縮こまっている僕のことを慰めてまでくれたのです。
「でも、そのおかげであなたは生き残ったわ」
「そのせいでユウキくんは一人で手首を切って死にました」
ユウキくんは翌日、自分の部屋で手首を切って自殺しました。
一人で。
僕がそれを知ったのは、さらにその翌日のことです。
僕はそのことを知りショックを受け、しばらく学校を休んで部屋の外に出ませんでした。
外にはユウキくんと過ごした残骸がそこかしこに散らばっているからです。
それを目にして平常でいられる自信がありませんでした。それにユウキくんがいなければ、僕と一緒にいてくれるお方なんて、誰もいませんでしたし。
そして僕はこの町に引っ越してきたのです。
この町にはユウキくんに関わる残骸は絶無です。
僕を知っている人もいません。ゼロからのスタートが切れたわけです。
それに何より、この町にはおばあちゃんがいました。
小さい頃からおばあちゃんは、僕に優しくしてくれました。ユウキくん以外で僕に優しくてくれたのは、おばあちゃんだけでした。
でもおばあちゃんはもういません。
ユウキくんもとっくの昔に僕のせいで手首を切っていなくなってしまいました。
「僕のせいで、というのはどうかしらね。もしあなたがいなくても、彼は死んでいたと思うわ。死に方が変わっただけのようにしか思えない。ただね、ユウキくんという子からは凄まじいエネルギーを感じるわ」
「彼は死んだのですよ。むしろエネルギーなんて無いから死んだというほうがしっくりくると思います」
僕の声音は知らず知らずのうちに荒々しいものになっていました。よく考えてみると、竜宮下さんを相手にこんなふうに感情を剥き出しにしたのは初めてです。
でも竜宮下さんは無表情のまま手を伸ばし、僕の右腕をギプスの上から優しく撫でました。
「わたしはわざと骨折するために階段から飛び降りる際に、物凄いエネルギーを必要としたわ。死ぬつもりでなくてもね。自分の背中を押して落ちるには、それだけのエネルギーがいるの。きっとユウキくんには、わたしなんかとは比べ物にならないほどのエネルギーがあったのだと思う」
竜宮下さんは僕を真っ直ぐに見つめました。
夜の闇のように澄んだその瞳に、僕は吸い込まれるようでした。気分が高ぶって熱くなった顔も、なんだかひんやりとして落ち着いてきました。
「ユウキくんは凄いわ。わたしは彼の死を、尊敬する」
「じゃあ僕も――」
「ヒモくん、あなたはしょぼいエネルギーのままでいて。ユウキくんの死は尊敬に値する。そして、きみの生は、賞賛に値する」
「……」
賞賛。
生まれて初めて、他人から賞賛されました。
どう反応していいかわからず、僕はただ顔を俯けることしかできません。
「そんなわけだからヒモくん、もう飛び降りるのは無しよ」
「ええと、では――」
「リストカットも睡眠薬も無し。自殺は、無し」
「どうせ死ぬんですし、だったら――」
「だったら、何も自分から死ぬことはないわ。どうせ勝手に自然に死ぬのだから」
「……」
「それに、ユウキくんやおばあちゃんはいないけど、わたしがいるわ。皆、いるわ。もうきみがいた田舎じゃないのよ。誰もきみをいないもとして扱ったりしない」
「……調べたのですね、僕のこと」
僕がそう言うと、竜宮下さんは珍しく少しバツが悪そうな顔をなさいました。
「ええ、やはりきみの自殺願望がどうにも腑に落ちなくてね。テスト勉強の傍ら、というよりヒモくんのことを調べる傍らテスト勉強をしていたと言っても過言ではないわ。もし数学で赤点を取ったら、ヒモくんのごはんを卒業するまで病院食にしようかと思ってるわ」
「それだけはご勘弁を」
「それはともかく、あなたの田舎、少しおかしいんじゃないかしら。排他的というか。村というのはもっと穏やかで畑があったり牛や馬がいて、道具屋や武器屋や宿屋があって勇者が仲間を引き連れて村民の家に押し入って勝手にタンスを開けて中身をぶん取っていくものだと思っていたけれど」
後半から穏やかさが失われ何かのゲーム世界の村になってました。
「まああれです。仰る通りなんですが……。村の人口が少ないからこそ排他的になっていると僕は思います」
「どういうことかしら」
「異端者は弾かれるのです。あの村では本来、僕のお父さんとお母さんがそうなるはずでした。村から発信したビジネスがネットの海を越えて世界で成功し、一気に財産を増やしたお父さんとお母さんだったのですが、それが村の方々からすれば気に入らなかったのです。細々と畜産業や農業を営んで、毎年の異常気象なんかを気にしながら生活しているので、そんな手元でクリックしてサクッと成功など許せるか、と」
「なるほどね。まあ概ねわたしの調べたとおりかしら。ヒモくんのお父さんとお母さんはお家に篭ってお仕事三昧。そして学校へ行くきみは……」
竜宮下さんはそこで言いよどみ、お顔を少し歪ませました。
「酷いものね」
「はい、あまり思い出したくありませんね、田舎でのことは。ユウキくんだけでしたよ、僕の友達は」
重苦しい沈黙が僕と竜宮下さんの間に降りてきました。
竜宮下さんは髪を手櫛ですいたり、病室の天井を眺めたりして、どこか居心地が悪そうにしているみたいです。
これはいけません。何かポップな話題を変えなくては。
「走馬灯、見えませんでした」
重い話題をチョイスしてしまった僕です。
「でしょうね。わたしもそうだったもの」
「どうしてでしょう」
「体質」
「えっ」
「嘘よ。そうね、たぶんヒモくんの十六年間には、ろくなことがなかったってことじゃないかしら」
「なんてこっちゃ」
「それはつまり、わたしにもろくなことがなかったってことね」
「……だったら、やはりもう」
だったら、やはりもう死んでしまってもいいのではないでしょうか。
そう言おうとすると、竜宮下さんが僕の口に手を当てました。息が、息ができません。
そして僕は見逃しませんでした。
竜宮下さんが不敵に微笑むのを。
いったい何をやらかす気でしょうか。僕は骨折しているのです。僕はちらりと窓に目をやりました。
まさかここから僕をベッドごと放り投げるのでは。いつぞや、竜宮下さんは保健室のベッドを持ち上げてぶん投げていたので、それぐらい朝飯前でしょう。
しかしあれだけ自殺を否定しておいてそんなまさかいやしかしでもけれどうおおおん!
「だったら、この先の十六年間を――いいえ、ずっと先まで、良いこと尽くめにしましょう。わたしと、ヒモくんの二人で」
竜宮下さんはそう言うと、僕の口から手を離しました。
「ぶはーっ!」
久々に吸った酸素はとっても美味でした。
――って、おお? なんですと?
「…………」
竜宮下さんは僕のことをじっと見ています。そのお顔は不安げで、珍しく、彼女にしては極めて珍しく、弱々しいそれです。
「あの、りゅ、竜宮下さん、今のはもしや、ももももももしや……」
「やれやれだわ」
竜宮下さんは肩をすくめ、いつもの冷酷な氷の女王フェイスを取り戻しました。
「ヒモくん、ここまでヒロインをコケにする主人公もそうはいないわよ」
「ご、ごめんなさい」
「まあ、いいわ」
竜宮下さんは丸椅子から立ち上がり、窓の外に視線を移しました。
「退院したら、一緒に特爆に乗りましょうね」
「ええ、ぜひ」




