42 終幕
「賊を囲め!」
ローズクイン候の声が飛ぶ。
その合図を皮きりに、兵たちがマルルをぐるりと囲った。
「な、なな、なんじゃ……こやつらは!」
急にマルルが狼狽えだす。
さきほどまでの大人びた声が、一気に甲高い子供のそれとなる。
右頬を覆っていた白い鱗も消え、絶大な魔力の風も収まり始めた。
「申し訳ありません。マルルーニャ姫。しかしここは我が国の古い祭壇の間。勝手に入られては困ります」
「そ、そのようなことは知らぬ……! 獲物を追いかけ、辿り着いたまでよ!」
「マルルーニャ姫」
一度言葉切って、ロイドがマルルの前にかしづき、こうべを垂れる。
「王佐閣下!」
兵たちがどよめきの声をあげる。
しかしロイドはそのまま静かに言った。
「お言葉ですが、ことは外交問題に発展しうる行い。こちらといたしましても、ここで貴女様がひいて下さらぬようであれば、このまま姫を捕らえ、パトシナ聖王に抗議の文を送る所存でございます」
「文⁉ ……そ、そんなことをされては父上に怒られるのじゃ……」
落雷に撃たれたような衝撃。
そう物語るような驚愕の表情を見せたあと、マルルはすぐにおろおろと、両手を宙に彷徨わせた。
それを見たロイドが、さらに強烈な一手をたたみかける。
「そうですな。叱責だけならまだしも、かの君のように、御国から追放ということもありえますかと」
「つ、い、ほ、う……⁉」
「ええ、ですからどうかお引き取りを」
にこりと、いい笑顔で言った。
マルルはというと、さーっと顔を青ざめ、「そ、そうじゃったー。拙はこのあと急ぎの用があるのじゃ! ではな!」と、明らかに嘘だろうなという言葉を吐いて、広間の入り口まで走っていった。
若干、涙目だった。
「なんだったんだ……あの台風みたいな子は」
「さぁ。僕もびっくりしたよ」
マルルの退場を見届け、ロイドが残ったステイルに一礼する。
「ステイル殿も。魔石の受け渡しは済んだと部下より報告を受けております。御用がお済みでしたら、どうぞお引き取りを」
「そうですね。そろそろお暇しましょうか」
ステイルが剣を鞘に収める。
いつのまにか仮面をつけ直したらしい。
ぺこりと頭を下げると、彼は口上を述べた。
「改めまして、違反者の通告並びに偽の魔石の提供、ご協力感謝申し上げます。また、先の件へのお力添え、オウガに代わり礼を言います」
「なに、御機関は大陸の調停者。要請があれば応じるのは当然のこと。今後も何かございましたら、何なりと仰ってください。出来るうる限りの対応をさせていただきます」
ロイドが恭しく返せば、「では失礼します」と言ってステイルは広間を出て行った。
「……はっ、助かっ」
「リフィリア姫──────!」
ゼノの言葉を遮り、響き渡る野太い声。
ラバグルドが猛スピードで姫の前にやってくる。
土下座。
「お助けするのが遅くなり申し訳ございません! このラバグルドッ! 伏して謝罪いたしまする!」
「……あ、いえ。とても、助かりました。ありがとうございます。えと……ルーベ兄さまにもそのように、伝えておきますね」
「おお……! 我が主の役に立ててラバグルドは感激の極みであります」
ラバグルドは胸に手を当て瞑目した。
彼は第一王子の後見人なのである。
姫がちょっと引いている。
「間に合ったようだな」
「ロイド! ……あ、いえ、王佐閣下。助かりました。ありがとうございます」
「なに、感謝ならリフィリア姫に伝えるといい」
微笑を浮かべてロイドがゆったりと歩いてくる。
馬のしっぽのように結われた髪型。
いつもは肩まで長い灰髪をたらし、前髪をあげている彼だが今日の装いは騎士のそれだ。
普段の法衣を脱ぎ捨て騎士服をまとい、腰にさげた長剣はおそらく名剣の類。
なかなか様になっている。
「姫が、この場所を報せてくれたのだよ」
ロイドがそう言うと、彼のうしろからひらりと一匹、白い蝶が飛んできた。
そのままリフィリア姫の傍まで飛ぶと溶けるように姿を消した。
「いつのまに……」
ゼノが呟くと、ロイドはふっと笑って広間の魔法陣を一瞥した。
「しかし、まさかこんなところに迷いこんでいるとはな。ここは地下の最深部。ふだんは立ち入り禁止区域となっている、祭壇の間だ」
「祭壇の間?」
「王都の結界を司る重要な場所だ。──まぁもっとも、古い時代の頃の話だがな。見ての通り、いまは使われていない」
床に走る紋様は光を失っている。
確かに彼の言うように古いものなのだろう。
ロイドは視線をこちらに移すと、二人とも怪我はないようだな、と頷いた。
「ところで、そちらの子は? さきほど軍議室にもいたようだが君の連れかな?」
「僕? リィグだよー」
リィグがのんきな声で答える。
「お前……、いちおうこれでも国の偉い人だから」
「ははは、構わないよ。ロイディールだ。よろしく、リィグくん。私のことはロイドと呼んでくれ」
ふたりが握手を交わす。
その折、どこかホッとした表情をロイドが浮かべたように見えたのは、ゼノの気のせいだろうか。
ラバグルドが考えこむように、くりんとそった立派な髭をひと撫でして零す。
「まさか、こんなに早くフィーティアがくるとはねぇ。それも聖国の姫が一緒とは……」
「フィーティアってなに? マスター」
「エール大陸の平定を司る調停者、って自称してる変な組織」
「ええ、なにそれ……」
リィグがうめくと、ロイドが苦笑まじりに話を引き継いだ。
「古くからある、大陸の調停機関……といったところかな」
ゆっくりと腰を曲げ、彼は足元からなにかを拾った。
ひし形の、蜂蜜色の水晶だ。
あの二人のどちらかが落としていったものだろうか?
ロイドは水晶を見つめたまま静かに語る。
「あそこは主に『神事』と『軍事』の二つの局に分かれていてな。異郷返りの保護や魔石の管理などを担当する神事局。荒事を得意とし、フィーティアの法に反する違反者の捕縛や、魔獣の討伐などを請け負う軍事局がある。さきほどの二人はその両局、組織全体を統括する幹部『十二騎士』に席を持つ者たちだ。そのあたりの詳しい話は、ミツバ様にでも聞くといい。末席とはいえ、彼女も幹部のひと席を賜っているからな」
説明を終えると、ロイドは近くの兵士に水晶を渡した。
部下に呼ばれてラバグルドが駆けていく。
その背中を一瞥し、ゼノはロイドに確認するべく口を開いた。
「あの! さっきのステイルっていう奴だけど────」
そこまで言って、しかしその先が言えなかった。
(なんて聞けばいいんだ……)
仮に、ステイルがシオンそっくりだった。
本人じゃないのかと訊ねたところでロイドを困らせるだけだろう。
ステイルがシオンならば、ロイドもラバグルドも気付く。
(……別人、なのか?)
急に黙り込んだゼノをロイドが不思議そうに見つめる。
やがて、こちらの聞きたいことを察してか、先を促してくれた。
「天光の騎士ステイルのことか? 彼がどうした」
「え? ……い、いえその、どんな奴なのかなって思いまして。それより天光、って?」
しどろもどろで返せば、ロイドは特別気にした様子もなく平然と頷いた。
「彼の異名だ。四大魔法とは違う特殊な魔法を使うそうでな。フィーティアの中でもかなりの実力者だと聞いている。実際、幹部に名を連ねるくらいだ。相当な力の持ち主なのだろう」
「特殊な魔法……」
言われてみれば、彼が剣を振ったとたんに周囲が明るくなった。
〈天光〉という通り名から想像するに、光を操る魔法なのかもしれない。
「私も、フィーティアの内情にとくべつ詳しいわけではないが……。噂では、彼はあまり表に出ないことで有名らしいな」
あごに手を添えて、ロイドは少し悩むように話す。
「普段はひとりで任務をこなし、組織内での連絡はオウガという彼の副官に任せているとも。だから今回、みずから部隊を率いて彼がうちに来たこと自体、非常に珍しいことだといえるだろう。もっとも、本人は副官が異動になったと話していたがな」
「ふーん……」
オウガというと、先ほどステイルが口にしていた名前だ。
助力がどうのと言っていたが、そのあたりは政の話なのだろう。
それよりも、そういう話ならばロイドとラバグルドが彼の素性を知らなくても頷ける。
あとでミツバにでも確認するかとゼノが思ったところで、ラバグルドがロイドを呼んだ。
「公爵。そろそろ上に戻ったほうがよろしいかと」
「そうだな。──ゼノ、話ならまた後で聞こう。ひとまず今は外に出るぞ」
ロイドが踵を返す。
見れば、広間の入り口には姫の侍女エレノアと、ライアス王子の姿があった。
ゼノはことの顛末を王子に報告するべく歩き出した。
しかし不意に、服の裾をきゅっと掴まれてゼノは足を止めた。
振り替えると、なにか言いたそうな顔をして、姫が自分を見上げている。
なんだろうか?
「あ、あの、さきほどは、守ってくださりありがとうございました。その、ぜんぜんお役に立てず、すみません。わたし、魔法が苦手で……」
「いや、それを言うならオレなんて、魔法師団の入団断られるくらい魔法の扱いヘタですよ。それに役になら、すごく立ってたじゃないですか」
苦笑で返すと、いつだろう、みたいな顔で姫が首をかしげた。
「さっき。ステイルの隙をついて放ってくれた魔法も、ロイドたちを呼んだ光蝶も。全部、姫がしてくれたことですよ。おかげでこうして生きている。むしろ礼を言うのはこちらのほうです」
「そんなことは……」
うつむいて、少しだけ姫は表情を曇らせる。
その理由は今の自分にはわからない。
だけど、とりあえずこれだけは伝えておこうと思ってゼノは口を開いた。
「魔法を使ってた時のリフィリア姫。とても輝いて見えました。神々しくて、神秘的で。まるで本物の妖精姫みたいでしたよ。大活躍です。だから、もっと自信を持って」
「────、……ぁ、ありがとうございます。ゼノくん」
離宮の庭園を彩る春の花。
初めて彼女と出会ったとき。
あのとき庭に咲いていた、可憐な花のようにふわりと笑って姫は、迎えにきた兄と侍女のもとに走って行った。




