02 アウルと王佐
「よう、ゼノ。勉強は順調か?」
「アウル!」
「お、ひでぇ字。まるで虫でものたうち回ってるようだが……上出来だ。今日はケイトに頼んで、お前の好きなアップルパイでも作ってもらうか!」
「いや、それオレの嫌いな食べものなんだけど……」
「あはは、冗談だ」
眩しいばかりの笑顔で、近づいてきたこの男はゼノの養父だ。
こげ茶色の髪をうしろでくくり、無精ひげを生やした精悍な顔立ち。
シオンの──第三王子護衛隊長を務める、アウル・ペンブレード。
かつては国王直属の騎士だったそうだ。
任務で怪我を負ってからは前線を退き、いまはシオンの護衛を任されていると話していた。
「アウル殿。父上から呼ばれていたのでは? もしかして、本を運べという命でも受けましたか?」
シオンがアウルの抱えているものを指す。
山積みの本。
高く重なった本は、アウルの顎まで伸びていた。
「これですか? ロイドの奴が書庫から持って来た本ですよ。戻す前に何冊も借りるもんだから溜まりにたまって、あいつの私室はいま、貸本屋状態です」
「ああ、なるほど。相変わらずですね、彼も」
「ね。見かねてこうして片付け手伝ってやってるけど、どうせすぐ散らかるんだろうなぁとか思うと複雑な心境ですよ」
「あはは。それならいっそ、ロイドは本の貸し出し禁止にします? 父上に頼んであげますよ」
「いやー、そうなったらあいつ、ここに住み着きますよ? そんでその内、城の怪談になるんです。夜な夜な書庫で灯りが──って」
「うわー、本当にありえそうで怖いですね」
遠い目をするシオンを見て、アウルが口を大きく開けて笑う。
(相変わらず、太陽みたいな笑顔のひと)
陽気で話しやすく、誰からも好かれるアウルは、どんな初対面の奴ともすぐに打ち解けることができる。
純粋にすごいなと思う反面、自分には持ちえないものだから、羨ましくも感じる。
「──と、言ってる間に、貸本屋の主人の御登場です」
足音がして、アウルが後方を見る。
「……? その声はアウルか? すまない、本で前が塞がっている。そろそろ書庫に着く頃だと思うが、あとどのくらいだ?」
「ここだよ、ここ。もう着いた。あと一歩、前に進んで左を向いてみろ」
「こうか?」
「そっち右」
アウルが指摘しながら、どさっと本を机に置く。
書庫の入口に立つ、長いローブを纏った人物は、こちらを向くと「ああ」と呟いた。
三十代半ば。アウルと同じくらいの壮年の男だ。
(王佐のおっさんか)
彼はこの国の『王佐』とかいう偉い奴で、国王の補佐をする役割だと聞いた。
本名は確か、ユーハルド公爵ロイディール・リラ・リーナイツ。
長ったらしい名前だからか、まわりからはロイドという愛称で呼ばれている彼は、時々、酒に酔いつぶれた養父を家まで送ってきてくれる人だ。
「シオン殿下とゼノか。勉強もいいが、あまり根を詰めすぎないよう気をつけなさい」
優しい言葉。
鬼教官のシオンとは大違いだ。
彼は山積みの本を抱えて、こちらに歩いてくると、机の上に本を降ろした。
『ロイド』の呼び名と同じ、長い灰色髪。
渋みを帯びたグレイグリーンの瞳を細め、どこか嬉しそうに口元を緩めた。
「ひとまずこれだけ運べば十分だろう。おかげで部屋も綺麗になったことだ。新しい本でも借りていくとするか」
「いやいやいや。それじゃあ意味が無いだろ! 何のために片付けたと思ってやがる。まーた本の山に埋もれるつもりか?」
「なに、冗談だ。──それよりもシオン殿下、ヨツバ様がお呼びでしたよ。一度、お戻りになられてはいかがでしょうか」
「母上が? わかりました」
ロイドが本を棚に並べ始め、シオンが席を立つ。
「では、ゼノ。私はこれで。そちらの宿題は次に会う時までにやっておいてください」
「あ、うん。悪いな、忙しいのに」
「いいえ。でも、そう思ってくれるのなら、次は居眠りしないでくださいね?」
軽く手を振ってから、シオンは書庫を出ていった。
「あ、そうだこれ。ケイトさんから預かった弁当」
「おう! ありがとうな」
養母から渡された弁当を持ち上げれば、アウルはニカッと笑って受け取り、その場で蓋を開けた。
「え……まだ、昼には早くないか?」
「いいんだよ。──あ、お前も食うか?」
「あ、うん。じゃあ一個もらう」
「ほい」
大ぶりのサンドイッチ。
パンからはみ出たチーズとハムがうまそうで、思わずかぶりついたら、口の中に小麦の甘さが広がった。
あとからほどよい塩気と、レタスのぱりっとした食感がつづく。文句なしにうまい。
「ところで、さっきシオンが言ってたけど、王から呼ばれたって? またなんかしたのか?」
「またってなんだよ、またって……。ちょっと食堂の飯を……ん! ごほっ。違う、そうじゃなくて、だな。あれだあれ。災害の件で呼ばれたんだよ」
「ふーん」
(またか……)
アウルはいわゆる大食らいだった。
城の食堂で何杯もおかわりをしては給仕のおばちゃんに怒られている。
だからこうして養母手製の弁当があるわけだ。
ごくんとサンドイッチを飲み込むと、アウルは続きを話した。
「お前もサクラナのことは知ってるよな?」
「うん。先月島ごと消滅した国の名前だろ? 確か〈巫国〉サクラナ? だっけ?」
「そうそう。シオン様たちの御母堂の出身国だ」
「知ってる。変わった食いもんが多いって、アウルが話してたところだろ?」
「そ。ウチから西にある小さな島国で、生の魚を喰ったり、やたらと茶色いスープが出たり。だが! これがまたみょーに癖になる味わいなんだ」
「あっそう。そこには興味ないや」
うんうんと頷くアウルに、それた話を戻す。
「で? そのサクラナがどうかしたのか?」
「ん? ……ああ、どうも例の件に東の竜帝国が絡んでるって情報が入ったらしい。それで、お前はどう思うかって王に聞かれたんだが……正直どうだかなぁ」
アウルが水筒の口を開けて水を飲む。その間、ゼノは竜帝国ってどこだっけ……と頭の中で地図を広げて、アウルに確認した。
「竜帝国……って、エール大陸の半分くらいを占める東の大国だよな? 邪竜を祀ってるとかで、フィーティアと仲が悪いっていう……」
「ほだ。〈竜帝国〉ハルーニア。神話に出てくる三竜のうち、青のヴィクタランってやつがいるだろ? そいつを崇拝し、国を治める皇帝には竜の力が宿っているとか何とか。──まあ、皇族を神格化させるための伝承だな」
せっせとサンドイッチを口につめこみながらアウルが話す。
「ふーん。それで? なんでその件にアウルが呼ばれるんだ? もう国王の騎士じゃないだろ?」
「そりゃお前……、第二妃様のご容態がすぐれねぇからだろ」
「シオンの母親が?」
「おう。もしかしてシオン様から聞いてねぇのか?」
「うん、なにも」
「あー……まじか」
アウルが困ったように頭を掻く。
その先は言いづらいことなのか、両腕を組んで天井を見つめている。考え事をするときの、アウルの癖なのだろう。
そこに、本を片付け終えたらしいロイドが戻ってくる。
飴をひとつくれた。
(飴……)
この人は子供好きなのか、よくシオンにも菓子を渡しているのを見たことがある。
だけど酷いことにシオンは貰った菓子を食べない。
大抵は捨ててしまう。
いや、別におっさんからもらったものが嫌だとかいうわけではなく、誰から貰ってもそうだった。
ロイドはゼノの頭を撫でたあと、ちらりとアウルを一瞥してから口を開いた。
「──ヨツバ様は島が海に沈んでから、ほとんどお食事をおとりになられてなくてな。ずっと床に伏せていらっしゃるのだ」
「ロイドっ!」
アウルが咎める。だが、ロイドは首を横に振った。
「問題ない。どのみち広まる話だ。あとで知るよりはいいだろう」
「まあ……そうだけどよ」
どうやら隠していた話のようで、アウルが渋面を作る。
だけどロイドは気にしないといった様子で続きを話してくれた。
「──だから、アウルには妃のご様子を報告してもらっていたのだよ」
「そうなのか……」
そんなことシオンは言っていなかった。
それは多分、自分を気遣ってのことだろう。
「………………」
少し、悲しく思う。
第二妃様には時々お菓子をもらったり、よくしてもらった。
せめて知らせてくれれば良いものを。
そんな気持ちが顔に出たからだろうか。
アウルが話題を変えた。
「お前、午後から学校だろ? いいのか? そろそろ行かなくて」
「え? ああ……」
アウルが書庫の時計を示す。
時刻は十一時。
いまから出れば充分に間に合う時間だ。しかし。
「学校かぁ……。正直あんま行きたくないんだよなぁ」
はーっと長い息を吐く。
未来の騎士を育てる養成学校。
授業の内容は剣術、体術、騎士道の教え。
ようは騎士になるための学び舎だ。
とはいえ、シオンの父親。
レオニクス王がいまの軍制度に変えてからはかつての騎士団は無くなり、王国軍へと名前を変えた。
それに伴い、騎士たちも兵士と呼ばれるようになり、今では唯一、王の護衛のみが騎士と呼称されるのだとか。
ゼノが机に突っ伏すと、アウルはひどく真面目な顔で言った。
「ばっか! お前。いいか? 騎士はモテる! 男なら剣の道に進み、騎士を目指すもんだ」
「そう言われても、オレ剣なんか使えないし……」
「はははっ、お前握力ないもんなぁ!」
「笑うなよー」
豪快に笑うアウルを一瞥し、ロイドが聞いてきた。
「そういえば、以前渡した魔導品はうまく使えているかな?」
「ああ、あの羽ペンもどき? あれ、すごく軽い槍になったり、ペンとしても使えたり、いまいち仕組みがわかんないんだけど」
ゼノはズボンのポケットから羽ペンを取り出す。
金色の魔導品。
形状から便宜上、羽ペンなどと呼んではいるが、実際には羽の部分まで金属のような材質で出来ている。
これをひと振りすると、長い槍のような、杖のようなものに変わるのだ。
いったいどういう仕掛けなんだか。
「それは古い遺跡から出てきた遺物だからな。解析はしたが、詳細はわからなかった。少なくともスピルス文明時代のものだろう」
「スピ……ふーん?」
(よくわからん)
遺物だとか、解析だとか言われても理解ができない。
シオンといい、この人といい、考古学とかいうものが好きらしい。
とくにこの人は遺跡を回ったり、魔導品を集めるのが趣味なんだと聞いた。
「まー、難しいことは気にすんな。そいつはお前が剣も弓も槍も、重くて持てねぇっつうから、コイツが不憫に思ってくれたもんなんだ。ありがたく使っとけ? 魔導品なんて高価なもん、おいそれと一般庶民の手に入るもんじゃねぇんだから」
「それはわかってるけど……。だけど、そんなこと言ったら、アウルだって腕輪くれたじゃんか」
「そいつは王からの頂き物。騎士だった頃に支給されて辞める時に貰ったやつだ」
「正確には、君が勝手に持っていったものだがな」
若干、非難じみた口調でロイドが付け足す。アウルが咳払いをした。
「──んっ! ともかくだ。その魔導品ならいくらお前でも手から、すぽーんとはいかねぇだろうよ」
「悪かったな、いつも武器をすっ飛ばして!」
「はははっ!」
ふたりが笑う。ゼノはむっと頬を膨らませた。
本当に、手からすぽんと抜けてしまうのだ。
剣も槍も。
弓にいたっては弦を弾くのが難しい。
だから騎士なんか向いていないと思うのに。
アウルが通えというから、学校にいっているのだ。
「はは、大きくなったらそのうち武具を扱えるようになる」
ロイドが苦笑しながら、ゼノの頭に手を置いた。
ぐりぐりと強く撫でられる。
(………………)
この人は、よく人の頭を撫でてくる。「オレは猫か犬かよ」と内心で思っていると、ちょうどそこで、正午を告げる鐘が鳴った。
「おっと。ゼノ、流石にもういかねぇと」
「あ、まずい! 行ってくる!」
「気をつけてな」
ふたりを背にゼノは書庫を出た。