21 血花の少女
「酒場、酒場……とあった」
ロシェの雑貨店を出て、少し歩いた場所に酒場はあった。
「……ってあれ? 開いてない?」
扉を押すも開かない。
一瞬、夜からの営業かとも思ったけれど、いちおう『営業中』という看板が外に出ているから昼でもやっているはず。
ゼノが首を曲げると、店内から大きな物音がした。
(なんだ?)
どんっと、何かが壁にぶつかるような音。
ゼノが中を覗きこもうとして、ふと窓に視線を向けた時だった。
扉が派手に吹っ飛び、店の中から誰かが転がり出てきた。
腹部に手を当てて、うめく若い男。
酔っ払いの喧嘩か? と思えば男は気を失った。
見たところ外傷は無さそうだが……と、ゼノが駆け寄るとフィーがスッと指を伸ばした。
「いっぱい、斬られてる」
「え?」
フィーの言葉に、壊れた扉の先を見れば、数人の男たちが血を吹き出して転がっていた。
さらには、その奥。
ゆらりと動く影がある。
「──っ! フィー! さがれ!」
自身の前に立つフィーの腕を引き、同時に右へと倒れる。刹那。
影は陽の下に照らされ、その姿がはっきりと視認できた。
(人……なのか?)
それはまるで獣だった。
逆立った髪は白く、血走った眼はギラギラと赤い。
破れた衣服からのぞく脈動浮き出る肢体は、不自然なまでに隆起しており、肌が雪のように白い。
はだしで四つ足に構えるその姿は、まさに白き狂犬といえる。
おそらくこの大男が、貧民街に現れるという例の辻斬り犯に違いない。
なぜなら、
「あれは……」
黒い剣だ。
男の左手には長剣が握られており、地に伏せる刀身は闇夜のように黒かった。
先刻、書庫で見た宝剣の写し絵。
あれによく酷似している。
まさか本物か? と目を瞬いた次には男の姿は消えていた。
「ゼノ!」
フィーの声が聞こえる。
その頃にはもう肋骨と背骨が同時に悲鳴をあげていた。
「がはっ──」
そこで初めて自分は蹴られたのだと気づいた。
どこかの柱にぶつかったらしい。
背中がひどく痛い。
「ぐ……」
胸元をおさえ、きしむ痛みに耐える。
右手を地面につけて前を見れば、フィーが大男と戦っていた。
(くそ……油断した)
大柄な男だ。
いくらフィーが腕に覚えがあるといっても、あの体格差では不利だ。
男の突き出す拳と斬撃を避けつつ、フィーが反撃を狙う。が、男はカンが鋭いようで、彼女の動きをすべて封じていた。
「フィー! オレがひきつける、その隙に!」
ゼノは羽ペンを槍杖へと転じ、男のもとへと走る。
男はすぐにこちらに気づき、槍ごとゼノは地へと叩きつけた。そのまま叫ぶ。
「フィー!」
「任せる」
フィーがひらりと舞う。
ぶつりと肉を絶つ音。
男の背後に回った彼女が、その首をかき切ったのだ。
飛び散る鮮血と鉄のにおい。
男の首から勢いよく噴きあがる血は地面を汚し、やがて男のからだはぐらりと倒れた。
「やったか!」
身体を起こしてホッと息を吐く。するとフィーが隣に立ち、頭を撫でてきた。
「あの、フィーさん?」
「いい子。ゼノ、頑張った」
「……うん。それやめて?」
フィーの手を頭からどかして立ち上がる。
「……っつ」
まだ身体が痛い。
あれだけ強く蹴られ、叩きつけられたのだから当たり前ではあるが、早く城へ戻って医務官に診てもらったほうがいいかもしれない。
だが、それよりも先にあの黒剣を回収しなければ。
ゼノは男に近づき、そっと右手を伸ばす。
直後、フィーに反対側の腕を強く引かれた。
「なに?」
「ゼノ、逃げる!」
「ちょっと!」
土煙をあげながらフィーが走る。
それに軽く体が浮きそうになりながらも、なんとかついていく。
「待っ……フィー! オレそんな早く走れないって!」
その最中、背後から重い音が聞こえる。
走りながら肩越しに振り返ると、さきほどの大男が追ってきていた。
「うそだろ……」
首から血を流し、それでも追いかけてきている。
おかしな光景だ。
首はかき切られたはずで、仮に頸椎で刃が止まったとしても、あれだけの血を流したら普通は死ぬだろう。
その狂気な光景に、ゼノは思わず顔が引きつるのを感じた。そのときだった。
「──避けなさい!」
「っ⁉」
声がしたのは頭上だった。
見上げれば、屋根から落ちてくる女の姿がある。
とっさに前へと転んで回避すると、後方から奇声があがった。
「ぐぎぁえ」
大男の動きがとまる。
ばたりと倒れて剣がからんと転がる。
その背後から現れたのは赤い髪の少女だった。
右のてのひらを突き出したまま形のよい眉を寄せている。
「やだっ、これ死んでないわよね? ちょっと小突いただけなのに軟弱な奴」
……え、軟弱? いま大気が震えたけど?
ゼノは言葉を失った。
その後すぐにバタバタと複数の足音が近づいてきた。
「いたぞ! てめぇ、よくも腕をへし折ってくれたな!」
「ちょっと美人だからってお高くとまりやがって! このクソアマ!」
「言っとくけどなぁ、今更謝ったって許さねぇぞ。ひん剝いて思う存分遊んでやるぜ!」
見るからに柄の悪そうな連中が、これまたよく聞く台詞で現れた。
数にして三人。
内一人は腕を押さえ、頬が腫れている。
「ふん! このあたしをお茶に誘うなんて分を弁えなさい! それから『ちょっと美人』ですって? 『傾国の美少女』の間違いでしょ、目でも腐っているんじゃないの?」
「自分で言うんかい!」
「──っち、やるぜ、おまえら!」
男たちは「おう!」と掛け合い、剣を取り出す者、拳を構える者がいた。
内ひとりが少女を捕らえようと地を蹴った。
それを流れるようにかわして、次々と男たちを殴り倒していく。
その姿はまるで獣だ。
先ほどの大男が狂犬なら、こちらは猛獣。
それも獅子の類だろう。
(こわ……)
少女は白と青が特徴のフィーティアの巫女服を着ていた。
しかしその服は、大胆に改造されたもののようで、本来の制服とはかけ離れている。
長くまっすぐ伸びた赤髪。
好戦的な翠玉の瞳。
楽しそうな顔で男たちを蹴り飛ばしている。
そんな猛獣に、男たちはやっと自らの過ちに気づいたのか、悲鳴を上げて脱走を試みるべく駆け出した。
男ふたりがゼノの横を通り過ぎる。
だが、逃亡は許さないとばかりに、赤毛の少女は近くに転がるレンガを拾う。
そのまま一投。
槍のように投げられたレンガは、逃げる男の背中にぶつかり、男を気絶させた。
つづいて、もう一打。
ヒュンッとゼノの顔の真横を通り過ぎた。怖い。
身動きできないまま首をひねると、後方で逃げた男が倒れていた。
すべてを倒したらしい少女がわずらわしそうな顔で頭を振り、不機嫌そうな声で言う。
「ああ、もう。逃げようとするからそうなるのよ。大人しくしていれば軽い気絶だけで済んだのに」
急所は外したから、さっさと医者に診てもらうことね、と告げてそして少女は振り向いた。
「奇遇ね、ゼノ。助けてあげたんだから感謝なさい」
血のように深い紅の髪をたなびかせ、頬に返り血を。
シオンの姉──ミツバは笑った。




