21 老剣士と血花の少女
「この国の王はどうかしている!」
「そうだ、言ったれ兄ちゃん!」
若い男がジョッキを掲げて声を張り上げると、酔っ払いの男が手を叩いて豪快に笑い飛ばす。
さきほどからずっとこんな調子だ。
貧民街の場末の酒場には、ゴロツキどもが集まっていた。
「超声かけづらい……」
あんな世紀末──とか言うと少々語弊はあるが、ともかくヒャッハーな格好をした派手な集団の中に、自分みたいな地味で冴えない男が割りこむことなどとてもじゃないができなかった。
もっと服の袖を刈り込んでくればよかった(恥ずかしくて着れないけど)。
「……出るか」
酒代を払ってそっと外に出る。
空にはおぼろげだが満月が出ていた。
さわりと吹く夜風が火照った顔に当たって心地よい。
遠くから聞こえる祭りの喧噪。今日の夕方まで続いた豊穣祭はどうやら少しばかり延長しているようだ。
すれ違う酔っ払いを避けつつ、ゼノは貧民街の入口へと足を進める。
すると、チリンチリンと綺麗な鈴の音が耳をかすめた。
──間違いない。これは、ライアス王子が誘拐されたときに聞こえた音だ。
まるでこちらへこいと言わんばかりに鳴り響く鈴音に、ゼノは招かれるように疾々《とうとう》と走り、暗い路地を抜け、そして──
男がいた。
貧民街の墓地──正確には亡くなった者の遺灰をまく空き地だが、五十路くらいの老人が、崩れた瓦礫に腰かけ、横笛を吹いていた。
前合わせの上衣にゆったりとしたズボン。傍らには珍しい形の刀剣が置いてあり、ひと目見て彼が異国の人間なのだと分かる。
「サクラナの民……、か」
もう五年も前の話になる。
ユーハルドから見て西の海を渡った先に存在した〈巫国〉サクラナ。
絶海の孤島を故郷としていたかの民たちは島が沈んで以来、流浪の民として各地を渡り歩いていると聞く。
もっとも、生き残った者など極めて少ないから、ゼノの知る限りこのユーハルドでも見かけることは滅多にないが。
それにしても。
あれは、何という曲だろうか?
心にスッと入ってくるような、温かく、それでいてどこか寂しくもある、懐かしい旋律。
つい、曲に聴き入っているとおもむろに老人が顔をあげた。
「ほう、まさかこんな老いぼれの演奏に足をとめる者がいるとは」
「え? ああ、ごめん。邪魔だったか?」
「いや、構わんよ」
ゼノの言葉に老人は頭を振って答えると、しゃがれた声で訊いた。
「それより、お前さんはこの曲を聴いてどう思う?」
「どうって……、いい曲だと思うけど。こう、聴いてると温かいというか、アウル……オレを拾って育ててくれた義父と義母を思い出す」
「なるほど、郷愁の情というやつか」
「そんな感じ。……ただ、なんとなくだけど少し寂しい感じもした」
「ふむ……そうか」
老人はぽつりとつぶやくと、服の下に横笛を仕舞って瓦礫からおりた。
「そうさな。この曲は鎮魂歌。悲しく、そして温かい曲よ」
「そう、なんだ?」
よくわからない、といった顔でゼノが返せば、老人は笑い、手持ちのひょうたんを傾け酒をあおった。
「──さて、儂はもう行こう。ここには人斬りも出ると聞く。坊主も早く家に帰ったほうがよいぞ」
瓦礫に立て掛けられた刀を掴み腰に差すと老人は、墓地の入口へと草履を向けた。
しかし、すぐにぴたりと歩みを止める。
「ほう、ここまで追ってきたか」
老人の視線の先、暗闇の中から殺気をまとった影が近づいてくる。
やがて月明かりに照らされて、路地から現れたのは美しい少女だった。
腰まで伸びた深紅の髪。
好戦的な光を宿した翠玉の瞳。
白の上衣に紺のスカート。
大胆に改造されたフィーティア機関の神官服をまとった少女の面差しは、凜としていて、しかし少しばかりきつい印象を受ける。
実際、苛烈な性格の持ち主である少女にゼノはよく振り回された。
──そう、今年の夏で十八歳の誕生日を迎えるゼノの幼なじみ、ミツバ・ソラス・ユーハルド。
シオンの姉姫である。
「ミツバ⁉」
「見つけたわ! 笛泥棒!」
怒りに満ちた顔で叫ぶとミツバは老人に殴りかかった。
「おっと」
老人が体を左にそらす。
スカッと拳が宙を切る。
そしてそのうしろ、ドカンッ! と轟音を奏でて瓦礫の山が吹き飛んだ。怖い。
「相も変わらず突進が好きな娘よ。まるでイノシシのそれだ」
イノシシ姫(ミツバ)と十分に距離を取り、老人が呆れた顔で崩れた瓦礫を顧みる。
「ふん。武を極めていると言ってほしいわね。──それよりも笛よ! あたしの母様が大切にしていた神樹の笛。さっさと返しなさい!」
手のひらを前に張り出しミツバが怒鳴ると老人は懐から笛を取り出した。
さきほど彼が吹いていた、茶色の横笛だ。
「笛? はて、これのことかな」
微笑み返す老人に、ミツバは目尻を鋭く吊り上げる。
「とぼけるな! 白い笛よ! 返せ!」
言葉と同時にミツバが地を蹴った。
しかし、老人は予測済みだと言わんばかりに繰り出される猛撃を躱して刀の頭で彼女の腹を打った。
「がは──っ」
「ミツバ!」
膝から崩れ折れるミツバにゼノは慌てて駆け寄る。
「おいっ、大丈夫か⁉ お前、なんで王都に──」
リミュエル離宮の襲撃事件のあと、ミツバは保護の名目でユーハルドの西部──リーナイツ地方へと送られた。
だから本来であれば軟禁先である屋敷からは出られないはずだが、なぜここに?
ゼノがたずねると、ミツバはべっと血痰を吐き出し、立ち上がる。
「説明はあと! ゼノ、おまえも手伝いなさい!」
「ええっ⁉」
「ほう、ふたりがかりでくるか。では、慎んでお相手をしよう」
老人が刀を抜いた。
闇夜に溶ける黒刀。
美しい曲線を描いた片刃は伝統的なサクラナ刀だ。
月光を弾くようにひと振りすると、老人は刀を下段に構えた。
「あたしが前に出るわ。おまえ、どうせ弱っちいし、こっちでひきつけるから隙を見てアイツを殺して!」
「殺すのはさすがにちょっと……」
「なにを甘いこと言っているのよ! あれは相当の手練れよ? 殺す気でかからないと逆にこっちが死ぬわ!」
「そうさな。無駄口を叩いている暇があるなら、生きのびることを考えることだ」
老人が、ゼノとミツバの間に刀を振り下ろす。
すさまじい風圧と共に石つぶてがゼノを襲う。とっさに後ろへ飛んで、今いた地点を確認すれば、ひび割れた地面が視界に入って思わず息を呑む。
「──遅い」
ふつり、と髪が切れる音がした。
遅れてやってくる灼熱の痛みに左頬に触れれば、指先に赤い血が付着していた。
斬れたのだ。
慌てて羽ペンをひるがえして槍杖へと転じる。
再び横から押し寄せる刀を弾いて軌道をそらす。
右足に力をこめ、老人の腹に槍杖を突き出すがみごとに避けられる。
空いた背に黒刃が落ちてくる。
まずい。
ゼノはとっさに左手を地面にかざして風を出した。
「⁉」
瞳を見開いて、老人が後ろへ飛びすさる。
びゅうびゅうと渦巻く風を睨みつけ、老人は低くうめいた。
「……呪言使いか。これまた奇っ怪な術を使う……」
警戒し、さらに一歩さがる。
そこにミツバが殴りこむ。
拳を避けた老人が下から剣を振り上げる。
紙一重で躱すミツバ。
連続で繰り出される斬撃を、器用に回避するとミツバは姿勢を低く拳を構えた。
それを隙と見たのか老人が彼女に向かって剣を振り下ろし──
「それを待っていたわ」
両手で刃を挟み取り、ぐいっと横に引っぱるミツバ。わずかに体勢を崩した老人の腹を容赦なく膝で蹴り上げる。
そのまま流れる動作でワン、ツー、顔面パンチのコンボ。
すごい。
容赦なしだ。
お年寄りに優しく、という倫理ド無視の拳が炸裂する。
しかし、老人も負けていない。
「鞘!?」
老人の左手に握られた鞘。
盾代わりに鞘でミツバの猛拳をしのぐと老人はすばやく刀を地面に突き刺し、空いた右手でミツバの腕を掴んだ。
「せやっ!」
「きゃあ⁉」
ずしん! と痛そうな音が聞こえてミツバが地面にひっくり返る。
背負い投げ、というやつだ。
サクラナの古武術にそういう技があるのだと昔シオンから聞いたことがある。
投げられたミツバはよろよろと立ち上がると、息も絶え絶えに咳き込みながら老人を睨み上げた。
「やる、じゃない……。てっきり剣術だけしか脳が無い男かと思えば、体術も得意とはね」
「なに、剣士が刀のみを使うとは限らんであろう?」
地面から刀を抜いて肩に引っかけると老人はにやりと笑った。
「そろそろよいか? 美しい月も雲間に隠れてしまったことだ。儂もお暇したいのだが」
「冗談っ! 逃がすわけないでしょ!」
「ミツバ、これ以上は怪我が……」
「うっさい! あたしはあいつから笛を取り返すまで絶対に倒れないんだからっ!」
少し、というかだいぶズタボロになった衣装を直して吠えるミツバ。
でも、唇切れてるし、肩から血も流れているし、その、これ以上はやめておいたほうがいいと思うよ? と、ゼノは破れた布地(胸元)を見て冷静に分析する。
ちなみにけっこうでかい。
「くだばれっ! この!」
ミツバが地を蹴り、跳躍する。
猛スピードの速さで降下すると、組んだ両拳を振り下ろす。
老人が刀を中段に構え──その時だった。
『ウオォォォォォォォ!』
大気を切り裂く鋭い咆哮が轟いた直後、ミツバと老人の間に何かが割って入った。




