19 貧民地区
「相変わらず濁った空気」
王都の北東端にある貧民街。
ここは他の地区と比べてどんよりとした空気に包まれている。
あちこち建物は壊れているし、すれ違う人々の瞳には活気がない。
うわさに聞くような他国ほど酷い有様ではないだろうが、それでも、そう頻繁には来たくないなと思うほどにこの地区は荒れている。
いまも祭りの時期だというのに、ここだけは物悲しい雰囲気が漂っていた。
「王子、連れてこないで正解だったな」
ペリードの話を王子に伝えたところ、一緒に行くと言われたが、誘拐事件のあった翌日だ。
流石に連れてくるわけにはいかず、ゼノはこうして銀髪の少女と肩を並べて歩いていた。
「フィー。このあたりの治安良くないし、戻ったほうがいいんじゃないのか?」
「んーん。ゼノの護衛。フィーの、きょうの仕事。ライアスの、お願い」
「……そっか」
こんな幼い少女に守られるとは。
心中、ひどく複雑だった。
「貧民地区かぁ、昔はよくシオンのお忍びに付き合わされたっけ」
懐かしい記憶だ。
王宮は退屈だからと町へ連れてこられ、こういう治安のよくない場所にも出入りした。
勝手に動き回る彼と、その姉にはよく振り回された。
そうして決まって最後にシオンは悲しそうな顔をする。
それがなぜなのかは当時理解できなかった。
今なら少しわかる。
「ゼノ。顔、変」
「え……」
とつぜんフィーにけなされた。
じーっと見つめてくると彼女は小首を曲げた。
「むずかしい顔、してる」
「ああ、そっちね。──ほら、あれ」
ゼノは指をさして崩れた塀にフィーの視線を誘導する。
地べたに座りこみ、光のない目でうつむく男。
そのすぐ近くでは、瘦せこけた女がなにかの荷物を抱えてふらふらと歩いている。
「ユーハルドは比較的豊かな国だ。食い物もうまいし、治安もまぁ……地区にはよるけど、そこまで悪いわけじゃない」
「ん」
「だけど、みんながマトモな生活を出来ているのかと聞かれたら、やっぱり違う。多くの人たちが、普通の暮らしをする影で、飢える者や、生きることが難しい連中はいる。誰もかれもが幸せを享受できているかと聞かれるとそういうわけじゃない」
どうしてもこういった、いわゆる貧民街というものは存在する。
治安が悪く、窃盗などが日常化しており、食事は満足に行き届かず、病も流行りやすい。
国から見捨てられた、いや、対処が回らない場所は出てくる。
とくに、
「『王のように強くあれ』っていうのがウチの方針だからいろいろと厳しいんだよ」
シオンがよく怒っていた。
国庫の問題もあるとはいえ、こういう場の救済は行われない。
老朽化した建物、飢える者への支援。
いくら王佐であるロイドが助言しても、国王が首を縦に振らないのだ。
詳しい理由は知らない。
けれど、強者しかいらぬ、というのが国王の持論らしい。
倒壊した家々を横目で流せば、ゼノの脇を薄汚れた幼子たちが走り去っていった。
おそらくこの地区で元気な者は子供くらいなものだろう。
「ま、言っても仕方ないけど──って」
ふと視線を感じて横を向けば、相変わらず読めない表情でフィーがゼノを見上げていた。
つまらない話をしたから、機嫌でも悪くしたのだろうか。
無表情の中にも、ややムッとした表情が入り混じっている。
「あー……ごめんな? 難しかったな」
ゼノが困ったように笑うと、フィーは頭を振った。
「ゼノ、盗られた」
「え⁉」
「財布、盗られた」
少ない少女の言葉に、慌ててローブのポケットを確認する。そして理解した。
「…………ない」
財布が無い。厳密にいえば硬貨袋が。
さらにばたばたと服を叩けば、金色の羽ペンも消えていた。
「さっき、子供……盗ってた」
「言ってよ!」
「………………」
無言のまま見つめ返された。
何も言わないところが逆に怖い。
(まったく気づかなかった!)
いつ盗られたのだろうか? ゼノは肩を落として前方の路地を指さした。
「あー、財布……は、無理だけど羽ペンはまあ盗品屋に行けばあるかな。……えーと、こっち」
うなだれながら歩き出す自分の後ろをフィーがついてくる。
なぜかときおり後ろを見つめながら──。
(……?)




