134 かつても今も『彼』は最強だった
苦悶まじりの呻きが聴こえて、リィグが顔を上げれば、カヴァスが血を吹いて倒れるところだった。
目の前には『彼』がいる。
その瞳は先刻までの青年のものとは違い、かつて幾度となく見てきた、冷たい眼をしていた。
「──っ! マスター……、いまのは……」
記憶の欠片が見えた。
あのカヴァスという少年と自分は兄弟のような関係だ。
親友でもあった。
彼を助け起こす緑髪の少女、彼女は……誰だっただろうか。
ずきずきと痛む頭を押さえてリィグが目を細めると、彼の足元に宝剣が落ちてきた。
「リィグ。それを持っていろ」
「待っ──」
止めるのも聞かずに『彼』は魔法を放つ。
「──悶え苦しめ、『炎の鉄串』」
その瞬間、『彼』の頭上に五本の槍が現れる。
燃えさかる炎の槍。
リィグは目を見開いた。
『彼』は風と水の魔法しか使えなかったはず。それが火の魔法を……?
(いや、違う……)
元から使えていた。
はじめて出会った時も、再会した時も、彼は全属性の魔法の行使が可能だった。
ただ、その内に宿る強大な魔力のせいで、うまく制御ができなかっただけのこと。
よく馬を吹き飛ばし、大地の形を変え、赤毛の少女が困っていた……ような気がする。
リィグは頭を振って、目の前の光景に集中する。
「くそ……っ! 当たりやがれっ!」
カヴァスが木の上から火矢を放つ。
しかし『彼』は軽く身体をずらすだけですべての攻撃を避ける。
そこにメルディスが突進した。
綺麗な彼女の顔が驚きに変わる。
メルディスがうしろに飛んで距離を取ると、もといた場所に炎の槍が突き刺さる。
彼女が気を取られている内に『彼』が一気に彼女の懐に入った。
「────きゃっ」
容赦のない一撃だ。
『彼』はメルディスの腹を蹴り飛ばすと、今度は木の上にいるカヴァスに向けて風の矢を放った。
受け身を取って落ちたカヴァスは、向かってくる『彼』に弓を引くと、茂みの中に姿を隠した。
『彼』がその場で立ち止まる。
腕を振る。
風を切り裂く音がして、数本の木が倒れた。
『彼』が風の刃を放ったのだ。
ちっと舌打ちしてカヴァスは火矢を繰り出すも、
「遅い」
バサッと葉が落ちる音がして、カヴァスの真横の木に斬撃が入る。
みしみしと音と立てて、やがて木は倒れた。
カヴァスが息を呑み、『彼』を睨む。
「はっ……、やっと思い出してくれたようだな、オーゼン。……んで? おれを殺すつもりか?」
「殺しはしない。いくつか聞きたいことがある。投降しろ」
「断る。ここで引いたらひどい仕打ちをされそうっ、だからな!」
カヴァスが地を蹴り、拳をかざす。
『彼』は正面に土の障壁をつくり、攻撃を防いだ。
「メルディス!」
『彼』の頭上からメルディスが降ってくる。
着地すると、姿勢を低くさげて『彼』の足を蹴り払った。
横転しながら『彼』が左腕をかざす。
ぶわりと竜巻が発生して、メルディスが吹っ飛んだ。
風の腕輪を使ったらしい。
風が止んだところで、ふたたびメルディスが『彼』に向かって走った。
しかし『彼』はメルディスには興味がないといった様子で別の方角へと飛んだ。
厳密に言えば、風の力を使って駆けたのだ。
あっという間にカヴァスが隠れる茂みに移動すると、右腕をつかみ、メルディスに向かって投げた。
「────っはぐ」
衝撃波とともに土煙が舞う。
けっこうな距離を一直線に飛ばされたカヴァスがメルディスの足もとに転がった。
おそらくいまのも風の力を利用したのだろう。
もとから『彼』は、風の魔法がいちばん得意だったから。
「カヴァス!」
どうやら気絶したようだ。
倒れたカヴァスの頬をメルディスがぺちぺちと叩いている。
「これは、なにかの遊びか?」
「オーゼン……」
木々の隙間から『彼』が姿を現す。
「お前は……、たしかメルディスと名乗っていたか。なぜ、光蝶の剣を狙う?」
「それは、その……言え、ない」
メルディスが目をそらす。
その様子をじっと見つめた『彼』は、ほんの少しの間、地面に視線を落としたあと別の問いを投げた。
「そうか。では質問を変える。七年前、なぜ私を殺そうとした」
「……っ! 違う、そんなつもりは……」
カヴァスを抱えてメルディスは首を横に振る。
「事実だろう? あの日、お前に背中を抉られ、そいつからはしつこく追い回された。その後、私は崖から落ち、彼らに助けられた時にはなぜか子供の姿になっていた」
自身の手のひらを見つめ、淡々と語り、そして、
「私に、なにをした?」
「……っ」
メルディスが息を呑む。
(七年前……? 子供の姿……?)
リィグはあごに指をあてて目を伏せた。
おそらく七年前。自分はマスターである『彼』に眠りのまじないをかけられた。
理由はわからない。
そのあと目を覚ました時には少年の姿をしたマスターがいた。
記憶にある『彼』の姿は青年で、もっと大人びていたはずだ。
ちょうどそう、あれはロイドの屋敷で見た肖像画のような……。
「だんまりか」
戸惑う彼女に『彼』は小さく息を吐き、槍杖を構える。
「──まぁいい。捕らえて聞くまでだ」
足に風をまとわせ、『彼』が地を蹴り──そこで、爆風が吹いた。
「メルディス! おれを抱えて飛べ!」
リィグは思わず目をつむる。
頬に小石が掠って痛みが走り、やがて熱風が収まったところで、リィグは薄くまぶたを開けた。
『彼』が虚空を見上げて舌打ちした。
「……っち、逃がしたか」
焦げついた上着から察するに、爆発を間近で受けたのだろう。
よく無事だったなとリィグは感心しながら、『彼』に近づいた。
「剣は……持っているな」
「うん。それは大丈夫。それよりマスターは平気なの?」
「問題ないよ。直前で水膜を張った」
リィグが宝剣を渡すと、『彼』は刀身を引き抜き傷の有無を確認すると鞘へと納めた。
「ところで、さっきなんか見えたっていうか、ボクたちもしかしてすごい長生きだったりする?」
「まあ……お前はそうだろうな。星霊に寿命はないだろうから」
「マスターは?」
「さぁな。森族でもあるまいし、そう長くは生きないよ」
「でも現にいまは千年ちょっと後くらいだと思うんだけど」
「それはこのあと調べる。戻るぞ」
ローブをひるがえし、一歩足を踏み出したところで『彼』が歩みをとめる。
「どうしたの?」
リィグが振り向くと、青髪の少年が茂みの中に立っていた。
ポエミ村を出る際、遅れて向かうと話していたから、ちょうどいま来たところなのだろう。
彼の傍らに控えるフィーが警戒した面持ちで、『彼』に鎖鎌を向ける。
「よせ、フィー」
「……、ゼノ、じゃない……!」
「いや、ゼノであろうよ。雰囲気はすこし違うがな」
相変わらず感情の見えない瞳をしてライアス王子は言った。
「なにがあった。話せ」
「…………王子」
バツが悪そうな顔して『彼』が押し黙る。
珍しい、とリィグは思った。
この人でもこんな表情を浮かべるとは。
リィグが静観していると、ライアス王子が踵を返す。
「──まぁよい。姉上たちなら先に村へ戻した。話は帰路で聞く。ついて参れ」
向けられる背中に『彼』と一緒にリィグも歩き出す。
しかし途中で足をとめ、『彼』が墓前に近づく。
棺を墓の中に戻して、足で土をかけているようだ。
リィグは側に落ちていたシャベルを手に取り、埋葬を手伝ってやった。




