再会、父と娘
男性は追いかけてくる奏を一瞬だけ出し抜くことに成功した。左右の分かれ道で男性は右を選び、奏は左を選んだ。しかし、男性は左が行き止まりだということを知っている。そうなれば、こちらの道に来る時間はそう遅くはないだろう。
男性は息を切らしながら、まだ走っていた。彼は奏を女の子だと思って油断をしていた。いずれ体力は無くなるだろうと。しかし、彼女は剣道部に所属しているため、体力はある。
どこまでも追いかけてくる奏に、男性はうんざりしていた。
「ん? かなで……?」
そう言えば、と男性は思った。昨日の夜に皮にした男は確か、かなでの父だったではないか。男性は思わずほくそ笑んでしまった。
男性の思惑通り、進んだ先が行き止まりだった奏は逆の道へと走っていた。
運が悪かった……。
その分かれ道で、奏は息切れ切れの明日香に出会った。肩で息をしながら、必死に空気を体内へ送り込んでいる明日香。そんな彼女を奏は暖かい微笑みを送った。
「ありがとう明日香ちゃん。一緒に来てくれて」
「うん。早く追おうよかな姉」
奏と明日香は残っていた左の道へと走る。恐らく、そこに逃げた男性がいるはず。
二人は間違いないとそう思っていた。しかし、現実は違っていた。奏と明日香の目の前にいた人物は先ほどの男性ではなく、奏が一番よく知っている人物だった。
奏の恐怖の対象となるその人物。奏は瞳に映った瞬間、体を強張らせてしまった。
「お、お父さん……なんで……」
明日香は何故奏が震えているのか分からず彼女を不審に思っている。しかし、奏は明日香を気にしている余裕などなかった。
奏はその人物にトラウマが存在していた。高圧的な態度が奏の心臓に抉るような痛みを与える。奏は恐れを具現化したような絶望に満ち溢れた声で彼を呼んだ。
「やっぱり……生きてたの……?」
奏の脳内にトラウマが蘇る。真琴の目の前で自分が足蹴りされ、記憶と能力を奪われたこと。その前にも徹底的な不干渉で自分に興味すら持たれていなかったこと。
奏の恐れている目を見た男性は作戦の成功を確信した。このままの調子で、奏を利用しようと男性は思った。奏の父の記憶を呼び出し、口調と思い出を手に入れる。
「奏……久しぶりだな。調子はどうだ?」
如何にも普通の父親のような反応が、奏には逆に恐ろしく感じられた。奏は目を逸らして、それから小さく呟いた。
「……いいわけないよ。お母さんが死んじゃったんだよ」
「そうか。まあ、それはどうでもいい」
「それ、本当に言ってるの?」
奏には、自分の父親がまるで母親のことなど何とも思っていないように見えてしまった。しかし、女性嫌いな父親ならばあり得るかもしれない。そう思ってしまう自分も、奏は怖かった。
男性は奏に近づいてくる。奏は戦おうとするが、上手い具合に足が踏み出せない。体も動かない。それは奏が父を恐れているからだ。
いつもとまったく違う奏の様子に危機感を持った明日香は自ら前に出る。彼女を守るために明日香は戦う意志を見せていた。
「かな姉をイジメるのは許さないよ」
「ふっ、君も能力者ということかな?」
「そうだ!」
「ふむ……では奏。お前の前にいるその女の子を殺せ」
「な、何を言ってるの!? 正気!?」
「俺に逆らったらどうなるか。それを承知の上で、その物言いなのかな?」
男性は奏を睨みつける。蛇に睨まれた蛙の如く、奏はそれだけで目に涙を貯め始めた。
よし、あと一息だな。
そう確信した男性は最後の一押しを奏に伝えた。それは奏が最も必要としていた言葉だった。
「もし、俺の言う通りに動くのならば……お前を愛そう」
「え……え!?」
いや……! 怒られたくない! 愛されたい! 愛されたいよ!! 好きって言って欲しい。頭を撫でて欲しい。よくやったねって褒めてほしい……!!
そう思った奏は、男の子に変身をした。
彼女の表情が見えない明日香は彼女が戦う決意をしたのだと信じた。
「ほら、かな姉だって戦おうとしてるんだよ! 二対一じゃあ、勝ち目がないね!」
「……ごめん。明日香ちゃん。出来るだけ逃げて?」
「えっーー」
明日香は一歩遅れたタイミングで奏の剣を避けた。そのせいで、明日香は右肩を斬られてしまった。
「明日香ちゃんなら分かってくれるよね? 私もね……愛されたいの。親が……かけがえがないの」
「か、かな姉……」
すでに覚悟をしているのか、奏の目は血走っている。さらに荒い息に、剣も持つ両手が震えている。自分を正当化させるために、奏は独り言を呟いていた。
奏へのイメージが完全に壊滅した明日香は、彼女に対して怖いと思うようになった。裏切られ、そして自分を殺そうとしている。
「や……止めてよかな姉。僕、怖いよ」
「怖い……? そうだよね怖いよね。私も怖いんだ。お父さんが私を褒めてくれるのが……。だけど、それ以上に嬉しいの。何でだろうね。今まで憎んでたのに、愛してるって言われたら全部許せちゃう……」
「そうだ。流石は俺の娘だな」
その言葉だけでも、奏は死ねた。目を大きく開けて男性を凝視する奏。彼女は次第に狂った笑みを浮かべていた。
明日香は何もせずに殺されるわけにはいかない。仕方なく鞭を取り出して奏と戦うことを決めた。
全ては順調だ。このまま時間が経てば俺の役目は終わる。
男性は戦いを始めた二人を眺めながら心の中で彼女たちを嘲笑し続けていた。




