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Act.11:ネコがオトコになる方法 その3

 ジュストは大きな木の扉の前にチョコンと座っていた。

 ふぅっと息を整えて、持ってきていた薬の瓶を開ける。ルーチェの机の上に常備してある薬を2つほどハンカチに包んで背負って来たのだ。ネコの身体で運ぶのは少し大変だったけれど……

「やっぱり変な色」

 最終的に完全な茶色へと変わってしまった薬。効果は長くなっているようなのだけれど、見た目は最悪だ。

 そんな薬を一気に流し込むと、身体中がギシギシと痛くて少し苦しい。これだけは、何度経験しても慣れない。

「ふぅ……」

 ジュストは目にかかる前髪をかきあげて立ち上がった。グラートが買ってくれたズボンについた土をパンパンと叩いて落とし、顔を上げる。

 なんだか急に小さくなった気がする扉――ジュストが大きくなったせいだ――を何度か軽く叩き、返事を待った。

「はーい」

 可愛らしい声が聴こえて、それからパタパタと軽い足音が近づいてくる。

「ユベール様? 鍵は開いてま――」

 扉がゆっくり開けば、会いたかった人の姿が見えた。面と向かうのは初めてだ。

 青くて綺麗な瞳がジュストを見て、疑問の色を浮かべている。金色の髪は耳元で1つに結わえてあり、肩から真っ直ぐに伸びていてとても綺麗だ。

 ジュストの方が、背が高いことも初めて知った。

「こんにちは。僕、ジュストです。サラ姉様……に会えて嬉しいです」

 グラートに教わった通りに挨拶をすると、サラの目が驚きに見開かれた。


***


 サラはとても驚いて、しばらく立ち尽くしていた。しかし、お昼寝をしていたらしいマノンとディオン――サラとユベールの子供たち――が起きて泣き出したことや外が寒かったこともあって、すぐにリビングへと迎え入れてくれた。

 ジュストはソファに座ってリビングを見渡す。

 ルミエール王国のお城とは全く違う、小さなログハウス。だが、ユベールとサラ、そして双子が暮らすには十分な広さなのだろう。

 パチパチと暖炉の火が燃えて、リビングを暖めている。

「ごめんなさい。えっと……ジュスト、様……?」

 双子をもう1度寝かしつけてきたサラは、紅茶とケーキの乗ったトレーを持ってジュストの向かい側に座った。

「ジュストって呼んでよ。僕、姉様の弟だよ」

 父親は違うけれど、ジュストは父親の同じたくさんの兄や姉よりもサラが好きだった。母親にそっくりだからというのもあるかもしれないが、サラはとても優しくて純粋で綺麗な自慢の姉だ。

 カタン、と……サラがカップをジュストの前へ差し出して顔を上げる。

「ほ、んとうに……?」

「うん」

 信じられない、という表情でジュストを見つめるサラ。

「姉様、これ、飲んでもいい?」

「あ、はい。どうぞ」

 ジュストはゆっくりと紅茶を飲んだ。

 ルーチェの家からここまではかなりの距離だったため、身体が冷えてしまっている。それがじんわりと温まっていくのを感じながら、ジュストはカップをソーサーに戻して顔を上げた。

「あのね、姉様。いっぱい、いろんなことがあったんだよ――」

 ジュストはしっかりとサラの目を見て、ネコになった日から今までのことを話し始めた。

 眠っていたときの記憶や、ルミエール城にサラが居たのを知っていたこと、それに彼女を追いかけて海を泳いでマーレ王国にやってきたこと。

 サラはときどき目元を拭ってジュストの話を聞いていた。

「――そう、なの……私っ」

 ジュストの話を聞き終えると、サラの涙がほんのりと桃色に色づく頬に伝った。彼女はそれをまた拭うけれど、先ほどよりもたくさんの涙は止まることがない。

「どうして泣くの?」

「ごめ、なさ……嬉しくて。私に会いに来てくれて。私は……貴方のこと、何も知らなかったのに」

 ジュストの存在は、今でこそ新聞にまで載る事実となった。だが、サラがユベールへ嫁いだ頃は、ルミエール王国でも知っている者が数えるほどしかいなかった。

 母親を亡くし、父親がルミエール軍のトップだったサラ。彼女は祖父母のもとで育てられ、何も知らないままユベールのもとへ嫁いだのだ。

 死んだと聞かされていた母親が国王との子を産んでいたことも、ルミエール城へ入ってから知ったこと。

 両親の過去を知り、権力争いにも巻き込まれ、サラはルミエール城でもたくさん泣いていた。

「いいんだよ。僕もいっぱいわからないことがあって、今、勉強してるから」

「そう……いい人たちに出会えたみたいで、良かった」

 サラは涙を拭って微笑んでくれた。

「ねぇ、姉様。兄様は?」

「ユベール様は、お買い物に行ってくれていて……もうすぐ帰ってくると思いますよ」

 そう言って、サラはジュストのカップにもう一度温かい紅茶を注いでくれた。

「ケーキもどうぞ」

「これ、姉様が作ったの?」

 大きな苺の乗ったショートケーキを差し出され、ジュストが聞くとサラは「はい」と、はにかんで笑う。

「わぁ……ルーチェのお母さんみたい!」

 ジュストは真っ先に苺を口に入れた。ほのかな酸味の混じった甘さを味わいつつ、ルーチェはいつも最後に苺を食べるな……なんて思い出す。

「ルーチェさん……は、クラドールなんですよね? ジュストさ――ジュストのことは治せないんですか?」

 サラもショートケーキを一口食べてから、ジュストに問いかける。

 苺はやはり最後に食べるのがルールなのだろうか。そうしたら、ジュストは間違ってしまったことになる。

「ルーチェはまだ研修生だよ。今日は試験があって、大きな町に行っちゃったの。ルーチェは、僕のために薬を作ってくれたけど、時間が経つとネコに戻っちゃうんだ。今日はもう1個持ってきたよ」

 ジュストはポケットに入れておいたもう1つの薬瓶を取り出してテーブルに置いた。

「これ……ですか?」

 サラはなんだか困った顔をして、薬瓶を手に取った。

「うん。色は変だけど、よく効くんだよ」

「そう……なんですね」

 ジュストはフォークを空になったお皿の上に置いて、2杯目の紅茶を飲む。

「ねぇ、姉様。僕ね、ルーチェの婿になりたいの。どうしたら婿になれるのか、今日はそれをユベール兄様に聞きに来たんだ」

 ジュストがそう言うと、サラは一瞬キョトンとした顔になって……それからクスクスと笑い始めた。

 何か、変なことを言っただろうか。

「お婿さん、ですか? それじゃあ、ジュストはルーチェさんのことが好きなんですね?」

「大好きだよ。でも、ルーチェはイジワルで……ユベール兄様は、イジワルは好きって言ったんだけど、でも、僕はイジワルじゃなくて抱っこしてほしくて――」

 ジュストが一生懸命に訴えているのに、サラはますます笑うばかり。ジュストはムッとして頬を膨らませた。

「抱っこ、なんて言ってるうちは無理じゃないの?」

 そこで聞こえてきた声に振り向くと、ユベールがリビングに入ってくるところだった。

「おかえりなさい、ユベール様」

 サラはスッと立ち上がってユベールのもとへと駆け寄っていく。ユベールは荷物をダイニングテーブルの上に置いてサラを引き寄せ、チュッと唇を合わせた。

 その瞬間、サラの頬が赤く染まる。それを見て満足したように笑い、ユベールはサラをその腕に閉じ込めた。

「ただいま、サラ」

「もう……」

 そう言いつつも、ユベールから離れようとしないサラは……いつもジュストから逃げようとするルーチェとは違う。

「兄様と姉様だって、抱っこしてる」

 ジュストが指摘すると、ユベールはサラの肩を抱きながら向かいのソファに座った。

「これは、抱っこじゃなくて抱きしめてるの」

「……?」

 言葉が違うのだろうか。

「うん、わかった。じゃあ抱きしめる。あと、口と口をくっつけるのもダメなんだって。どうして兄様と姉様はダメじゃないの? 僕が、抱っこ――じゃなくて、抱きしめるのも変なんだって。兄様と姉様は変なの?」

 ジュストは疑問に思っていたことをすべて聞こうと身を乗り出した。

「あとね――」

「ちょっと待って。1つずつにしてくれない? っていうか、なんで君がいるのかを僕は聞きたいよ」

 ユベールが呆れたようにため息をつく。

「じゃあ、口と口をくっつけるの」

「キス、ね」

 なるほど、口と口をくっつけるのにも「キス」という名前があるらしい。

「キス、ダメなの?」

「キスは、好きな人とするんですよ」

 ジュストが問うと、今度はサラがふふっと笑って答える。

「僕、ルーチェのこと好きだよ」

「でも……ルーチェさんは、ジュストのこと好きって言ったんですか?」

 サラに聞かれて、ジュストは少し考える。

 好き――と、言われたことはない。

「でも、イジワルするよ? それに、僕とルーチェは恋人なんだ。僕は婿になるんだよ」

「えっと……」

 ジュストが首を傾げると、サラは眉を下げて困り顔になった。対して、ユベールはクスクスと笑っている。

「婿にしてくれるって言ったの? あの子が?」

 楽しそうに言うユベールに向かって、ジュストは大きく頷いた。

「ルーチェのお父さんが、ルーチェの婿に来るかって聞いた。僕はアリーチェじゃなくてルーチェがいいって答えたんだ。だから、僕はルーチェの婿になるんだよ」

 そう言うと、ユベールは耐え切れなくなったらしく、盛大に噴き出した。

「ユベール様っ」

 サラがユベールの腕を軽く叩き、彼を咎める。

「く、ふふっ……そっか。父親が味方なら心強いね。ふ、ふっ、くくっ」

 ひとしきり笑って目尻の涙を拭うと、ユベールははぁっと息を整えてジュストを見た。

「じゃあさ、ルーチェ、だっけ? もうあの子をジュストのものにしちゃえばいいんじゃないの?」

「ユベール様!」

 ユベールの言葉に、サラが顔を真っ赤にして叫んだ。

「ルーチェはもう僕のだよ?」

「は……?」

「え!?」

 何か変なことを言ったのだろうか。

 ユベールとサラがこれでもかというほどに目を大きく開いて、ジュストを見る。どうしてそんなに驚くのだろう。

「名前も書いてあるよ」

 ジュストはポケットの中を探ってペンを取り出し、ケーキの敷き紙に自分の名前を丁寧に書き出した。

 J、U、S、T、E

 グラートが1番に教えてくれたのが、ジュストの名前だった。

「ほら。僕、他にもいろいろ文字が書けるようになったんだ。ルーチェの腕は、紙と違ってちょっと書きにくいけど、ちゃんと僕の名前だってわかるよ」

「腕? くっ、プッ! あっははは!」

 ユベールは今日1番の笑い声を上げた。サラも「ダメですよ」と言いつつ、肩を震わせて笑っている。

「どうして笑うの?」

 ジュストは何が可笑しいのか全くわからず首を捻るばかりだ。

 名前はいっぱい練習したから間違うはずがない。グラートに褒められたことだってあるのだ。

 自分のものには名前を書くようにと教えてくれたのもグラートだし、何も可笑しなことなどないではないか。

 それに――

「ルーチェのお母さんの本にも、シルシをつけるとウワキしないって書いてあったんだ! ダンナが嫌なんだって」

 あれ? そういえば、ダンナがどういう意味なのかルーチェに聞くのを忘れていた。

「ぶっ! はははっ! もう、君、最高!」

 ユベールはとうとうソファをバンバン叩き出した。

 涙を流して笑い転げるユベールを、ジュストは首を傾げつつ見つめる。

 一体、どうしてユベールはこんなに笑うのだろう。ジュストは真剣に婿になる方法を聞きにやってきたというのに……

 ジュストが少々ムッとし始める頃、ようやく落ち着き始めたユベールは、深呼吸をしてジュストに向き直った。

「ジュスト、旦那が嫌なのは浮気相手に印をつけられた場合でしょ?」

「テオのこと?」

 テオは印をつけたりしない。ボーラでルーチェと話してはいるけれど……そうだ、ルーチェはまだウワキを続けている。ダメだと言っているのに!

「テオ? とりあえずさ、ルーチェと君が恋人だとする場合、君が旦那――婿――なわけでしょ? だから、印をつけられて嫌なのは君の方になるはずだけど……まぁ、逆も然りかな……うん、でも……ふふっ……名前が書いてあるなら大丈夫なんじゃない? くっ……」

 ユベールはそう言ってまたクスクス笑う。

「まぁ、面白いからそのままでいいよ。えーっと、それから抱きしめるのが変だって?」

「……うん」

 なんだかもやもやしたままだけれど、それは帰ってからもう1度ブリジッタの本を読めばいいだろう。いや、あれはルーチェに捨てられてしまったんだっけ……?

「僕、ルーチェに抱きしめられるとふわふわする。ルーチェは柔らかくて、気持ちいいんだよ。でも、ルーチェは触っちゃダメって言うから……」

「さ、触るのは、その……ダメなんじゃ……?」

 サラが真っ赤になりながら答える。やっぱり、変なのだろうか。

「でも、僕は触りたいよ? ルーチェとくっつきたいんだ」

 ジュストが肩を落とすと、ユベールはニヤリと笑ってサラを抱きしめた。

「別に変じゃない。君も、オトコだってことだよ」

「そうだよ? 僕、ネコじゃなくてオトコだよ。でも、ルーチェにわかってもらえない。僕、勉強も婿修行も頑張ってるのに、ルーチェは婿にしてくれないんだ」

 ちょっと馬鹿にされていた気もしないでもないが、一応ユベールはちゃんとジュストの気持ちをわかってくれるらしい。

「じゃあ、今日も1つ良いこと教えてあげる。君の言う“印”はちょっと間違ってる。本物は――」

「――っ、ユベール様!」

 サラを抱き締めていたユベールが、サラの耳の下、首筋に唇を落とした。

 チュッと、音を立てて吸うようにするとサラがピクリと震える。

「コレ、キスマークっていうの。これが、サラは僕のものっていう印」

 ユベールが指差したところは赤く痕がついていた。痛くないのだろうか? ルーチェはいつも、ああいうのを魔法で治しているのに……

「名前じゃないの?」

「違うよ。これがオトコの印、ね?」

 ユベールはフッと笑って片目を瞑ってみせた。

「もう! ユベール様、こんなこと教えたりして知りませんよ」

 サラは頬をリンゴのように真っ赤に染めてユベールを睨んでいる。

「いいんだよ。どうせ、そのうち学ぶことでしょ?」

「そうかもしれないですけど――っ」

 言い返そうとするサラの唇に、ユベールはキスをしてサラを黙らせた。

「あと、おまけでもう1つ。ルーチェはたぶん、キスをしたことないよ。だから、優しくしてあげないとダメだからね?」

 ユベールはギュッとサラを抱きしめて、サラの肩越しにジュストにニッコリと笑った。


***


「ねぇ、兄様」

「ん、何?」

 帰り際、玄関まで見送りに来てくれたユベールを振り返る。

 ジュストよりちょっとだけ背が高くて、綺麗な顔をしている兄は、城を出て柔らかくなった気がした。

「また来てもいい?」

「ダメ」

 笑顔で断られ、ジュストは唇を尖らせた。

 ユベールがイジワルなのは、ジュストを好きだからではないと思う。それくらいは、ジュストにだってわかるのだ。

「君に割く時間はないの。マノンとディオンが寝てるときしかサラとくっつけないっていうのに、今日は君がいたから充電不足だよ」

 ジュストが居ても、十分くっついていたような気がするけれど。

 肩を竦めたユベールは、チラッと廊下の奥へ視線をやった。マノンとディオンが起きて、サラが2人を見に行ったのだ。

 ジュストも来たときに見せてもらったけれど、とても可愛い双子だった。また会いたい。

「……いいよ。僕、ちゃんと1人で来れるし」

「ちょっと、冗談でしょ。僕、君とそんなに会わなくても生きていけるから。当分来ないでもらいたいね」

 ユベールは眉を顰めてジュストを見ている。

 当分……は、長い間。それなら、長い間が過ぎたら来てもいいのかもしれない。

ジュストは1人納得して頷いた。

「わかった」

「うん。よろしく」

 ユベールはニッコリ笑って手を振った。早くジュストを帰らせたいらしい。

「兄様、僕……ルーチェの婿になれるよね? 僕、オトコだよね?」

 最後にそれだけ聞きたくなった。「なれるよ。オトコだよ」と言ってもらいたかったのもある。

 すると、ユベールはフッと笑ってジュストの頭にポンと手を置いて撫でた。

「君はオトコだよ。ルーチェにキスしたいって思うくらいには、ね?」

「うん……ありがとう。じゃあ、僕行くね」

「はいはい。ああ、最後にもう少しだけ良いこと教えてあげる――」

 そう言って、ユベールはジュストの耳元に口を近づけた。

「――わかった?」

「わかった!」

ジュストはニッと笑ってユベールに手を振った。

「あ! ジュスト!」

 玄関を出て走り出すとユベールの声が背中に掛かり、ジュストは振り向いた。

「キスは、ちゃんと“好き”じゃないとダメだから!」

「……?」

 ジュストはその意味がよくわからなくて首を傾げたけれど、ユベールは言いたいことを言ってスッキリしたのか、サッサと扉を閉めてしまった。

「変なの」

 ジュストは小さく呟いて、また走り出した。

 好きじゃないとダメ――でも、ジュストはルーチェのことが大好きだから、ダメじゃない。

 今日はいっぱいいろいろなことがわかった。きっと、これでルーチェの婿になれるに違いない。

 サラの婿であるユベールが教えてくれたのだから、絶対だ。

 白く染まる自分の息は、ネコのときよりいっぱい息をしているみたいに見える。

来るときは軽かった身体は、人間の姿の今、重いけれど……大きい身体はルーチェのことを抱きしめることができる。

 人間のジュストなら、ルーチェの婿になれるのだ――



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