54話 出荷と“死”
ルーレンと不快な会話を交わしたメルザは、靴音を鳴らしテラバスをもとへ急いだ。
早く彼の顔を見たいというのと、食事の時間は暴力を受けない数少ない貴重な時間なので、きっとあの子も心待ちにしているだろうと思うと自然と足が早くなるのだ。
程なくして、檻の前に辿り着く。
檻の中の弟は珍しく意識があるようで、目は開かれ仰向けになり胸を上下させていた。
全身の傷が一層酷くなっている。少し痩せた体と相まって、以前のような好青年さは見る影も無くなっていた。それでも、反抗の意思はあるのか奴隷に身を堕とす気配見せず、目付きだけは異常に鋭くなっていた。
いっそ受け入れてしまえば、少しは楽になれるというのに……。
メルザはかわいそうに、と思った。いつ心が折れてもおかしくないのに、絶望しつつ抗おうとしている健気さについ笑みが溢れた。しかしその笑みは慈愛ではなく、蔑みにも似た冷笑である。
テラバス、と表情に反する優しい声をかけると、彼はゆっくり上体を起こし、視線をさ迷わせた。その動作はまるで、メルザの姿が見えていないようにも見える。
その異変に、メルザはすぐ気付いた。鉄格子を開け中へ飛び入ると、テラバスの顔を両手で挟み瞳を覗き込んだ。
「貴方……っ、魔眼を使ったわね……っ」
見た目は人間のそれと変わらないが、ただのガラス玉となったテラバスの眼球。
よく見ると、右目の亀裂が進んでいる。殴られた衝撃と魔眼発動の反動なのか、それは限界を迎えようとしていた。
あと数発、もしくは1回の発動で、右目は砕け散るだろう。
もう何回目なのか、数えるのも苦痛になるほど重ねられた暴力の数。
暴行を全身に受けながら、終わらない苦痛から逃れるためテラバスは、この状況を何とかする「確答」を視るために魔眼を発動させたのだ。
しかし、答えを視るより先に視力が尽きてしまったようで、決死の魔眼は無意味に終わってしまったのだ。
これにはメルザも驚いた……本当にまだ抵抗する精神力があったとは。同時に危機感を覚えた。ここから逃げ出そうとしている……まだまだ、彼は自分のものになってくれないのだ。
その事実を思い知ったメルザば、せめてもの腹いせにパンが乗った皿を静かに置き、彼が食事の存在に気付かないようにした。
まだ逆らうのなら、簡単に食事などさせない……そう思ったからである。
「さ、テラバス。檻の中に今日の食事があるわ。自分で探して食べなさい」
声音だけはにこやかに。
表情は形容しがたいほど歪めて。
テラバスは視力を失い開ける必要が無くなった瞳を閉じ、四つん這いになりぺたぺたと手探りで探し始める。それをじっくり、無言で眺めるメルザ。
やがて指先に皿が触れ、上に乗せられているパンを手に取り口へ運ぶテラバスを見ながら、メルザはため息をついた。
「空腹ってツラいわよね……分かるわ。私も奴隷として調教されてた時、お腹が空いて耐えられなくて……三日三晩土下座し続けて……ようやく子供の拳くらいのパンが投げ与えられた事があったわ。それを、私は泣きながら喜んで食べた」
そう過去を語りながら、懐かしそうに目を閉じた。
そして、メルザは四つん這いのままでパンを食べるテラバスの肩へ手を乗せた。
「君にはそんな事はしない。高く値をつけて、ちゃんと可愛がってくれるところに売ってあげるから……でも、可愛がってもらうためには、貴方も覚えること覚えないとね」
メルザは肩に乗せている手を、背中に走る血が滲む生傷へと這わせた。
「━━━━━━━━」
傷口をいじられ、痛みに呻くテラバスを目を細め満足そうに眺める。
「さぁ……自分の体を弄ばれる覚悟は出来た?」
それが奴隷の役目━━━━
本当につらいのはここからだと、指先を血でほんのり赤く染めながら告げた。
◇
「テラバスの出荷を早めるわ」
メルザがそう判断を下したのは、僅か数時間後の事だった。
本来ならもう少し時間をかけるべきなのだが、テラバスなら大丈夫だろうと判断した。
理由は幼馴染だという「彼」の回復。同じ奴隷商人の1人が教えてくれたのだ。このままでは、またテラバスを取り返しに来るだろう。おそらくこちらの攻撃手段がバレ、対策を練ってきただろうから、以前のような不意打ちは失敗する可能性がある。
せめて、テラバスをこことは違う場所に移す必要があるが、その場所が襲撃されてしまえば、他の奴隷達も解放されてしまう可能性もある。よって、さっさと競りにかけ完全に手放してしまえ、と考えていたのだ。
あまり時間をかけていないので高値はつけられないが、部外者に取られるよりはマシだと思った。
「出荷用の檻と、新しい服を用意して。あと、体も。血ぐらいは洗い流しなさい」
そうと決まれば行動は早い方がいい。
葵色の長髪と白衣を揺らしながら、自分の奴隷である男2人に指示を出す。主から指示を出された奴隷は、無言でその意思に従った。
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その指示を影で聞いていた赤い髪の人影が、焦燥で顔を歪めながらさっと走り去った。
『まずい……っ、まずい事になった……!』
ルーレンは焦った。いつも通りならあと3日は猶予がある……まだ出荷はされないと油断していたのだ。
非常事態を早くスライプに知らせなければ。その家へ向かうため一旦立ち止まり、転移魔法を自身に施す━━━━が、転移がいつまでたっても出来なかった。
「……ッ! 何でだよ……ッ!」
魔力は十分にあり、場所もはっきり分かっているのに、魔法が発動しない不可解さについ叫んでしまう。
焦りのせいか、何度集中しても一向に行使出来ない魔法を諦めかけたその時。
ルーレンは背後から襲撃された。
一撃で頭と首、胸のあたりまで潰されたのだ。
「ア……ガ……?」
突然の襲撃と破壊に、処理が追いつかない。
記憶が無くなっていく……。これが“死”の感覚なのだと、ルーレンはまるで他人事のようにぼんやり思っていた。
ガシャガシャとガラクタのような音をたて、通路に倒れるルーレン。
ルーレンは“死”より、役割を果たせなくなったのが何よりも悲しかった。
「ごメン……ゴめん……スラいぷ……サらすテぃバル……」
最も知らせなければならない事を、君達に伝えてあげられなかった……。
とても悲しいのに、涙は出てこない。アンドロイドに、泣く権利は与えられていないのだ。
━━━━勝手な事するからよ━━━━
自分が“死”にゆく中で。
なぜか、この場にいないメルザの幻聴が聞こえた気がした。
かろうじて残った口元で、何度もごめん、ごめんと謝る。
やがて、その呟きすら停止し、ルーレンは1人静かに“死”を迎えた。




