18話 パニック&クライ夫
アンドロイドは疲れない。
乱れる息もなく、機械ゆえの無限ともいえる持久力で、シャロラインは走り続けた。
怒りも悲しみも絶望も、もう何も考えられない……空っぽの頭でただ前へ足を動かした。
その、シャロラインの足がようやく止まった。一際強い風が、彼女を横切ったからだ。木の葉が一緒に舞う強風に煽られ、目が覚めたように立ち止まった。金の縦ロールとスカートの裾が風に翻る。
ずっと下を向いていたシャロラインは、ここでようやく顔をあげた。
彼女は金の双眸で周りを見渡す。
見たことがない、林の中。いつの間にか街から離れ、雑木林まで足を踏み入れてしまったらしい。
「あ……れ……?」
おそるおそる後ろを振り返る。
スライプはおろか、誰もいない無人の道。さわさわと風が木の葉を揺らす、落ち着いた自然の郷。
普通なら、心に平穏をもたらす風の囁きなのだが、シャロラインの不安定な感情は、それを恐怖と捉えてしまう。不安感が一気に彼女を襲った。
「はやく、かえろう」
シャロラインは顔をひきつらせた。
感情が焦燥で逸るまま、来た道を戻る。
どこかで曲がったわけではなく、ただ真っ直ぐ突っ走ってただけなので、このまま直進していけば無事に戻れるはず。いつもの温かい場所に。
一刻も早く、この不安から解放されたかった。
しかし━━━━━━
シャロラインはふいに立ち止まり、目をぎゅっと強くつぶった。
どうしても、あの光景が頭に焼き付いていて離れない。
ここからは抜け出したいが、あの家には帰りたくなかった。
(そういえば……)
走っていた時は失念していたが、スライプはお客さんが来ると言っていた。もしかしたら、あの人がお客さんだったのかもしれない。
しかし、お客さんと玄関先で抱き合うものなのだろうか……。そんな事を考えているとますます帰りたくなくなってしまう。
結局どうする事も出来ずに、立ちすくんでいた。
すると、背後から女性の声が聞こえた。怯えた感情にもすんなり入ってくる、包まれるような安心感。
「あら、シャロちゃん。こんなところでどうしたの?」
声の主はリリエッダであった。土で汚れたエプロンと、同じく土や泥で汚れたスコップや手鎌が入ったバケツを持っている。
「リリエッダさん……!」
すっかり見知った顔にシャロラインは心底ほっとしたのか、思わずリリエッダのもとに駆け寄った。
「ここに誰かがいるなんて珍しいわね。うちの畑がね、この近くにあるの。だからこうしてたまに来てるのよ」
夫と交互にね、とリリエッダは続け、シャロラインの頭を撫でた。
「よしよし。その顔だと、何かあったんだね? これでも2人の子を育ててるんだ。そのくらい分かるよ。そら、おばさんに話してみな?」
夫の裏切りと1人の不安とリリエッダの優しい言葉に、シャロラインは目が緩むような感覚を覚えた。シャロラインに涙を流すという機能はないので、そのように表情が動くだけなのだが。泣きそうな表情のまま、ついさっきあった出来事を話した。
「なんだいそりゃあ!? あいつもバカな事をしでかしたもんだねぇ!」
一連の話を聞いたリリエッダは大声をあげて怒った。
まるで自分の事のように怒りを露にするリリエッダ。それに対しシャロラインは同じく怒りを露にするわけでも、愚痴を話すわけでもなく、肩を落として静かに呟いた。
「いえ……私の勘違いかも、しれません……。スライプが来るかもって言ってたお客さんかもしれないし……やっぱり、家に帰ります」
1人じゃなくなった安心感と、誰かに話した事により気持ちが落ち着いたのか、そう言ってとぼとぼ帰ろうとするシャロライン。去ろうとする彼女の肩を掴んだリリエッダは、ぶんぶんと首を横に勢いよく降った。
「いい、いい! 戻らないで、うちにしばらく泊まりなさい! 1週間でも、1ヶ月でも!」
気の強い彼女の性格が全面に出た台詞で、シャロラインを引き留めた。
「えっ……でも……」
ご迷惑では、と続けようとしたシャロラインを、リリエッダはこれまた強引に遮った。
「いいの! お互い頭冷やす時間が必要なんだから! ちょっとくらいあいつを心配させてやんなさい!」
言い終わるやいなやシャロラインの背中をぐいぐい押し青果店である自宅へ連れ去っていった。
◇
シャロラインの帰宅が、あと1分早ければ……もしくはあと1分遅ければ、この悲劇は起きなかったかもしれない。
「うああああああああああああああ!!」
スライプはテラバスの家で絶叫……もとい号泣していた。
テーブルに顔を突っ伏し、ティッシュを2、3枚一気に使い溢れ出る涙と鼻水を拭い続ける。この行動が何度も何度も繰り返され、ゴミ箱があっという間にぐしゃぐしゃになったティッシュでいっぱいになった。
「お前……いつまで泣いてる気だよ。それと、あんまりティッシュ使いすぎんなよ」
アンドロイドを修理する作業場に折りたたみ式のテーブルを出し昼食をとっていたテラバスは、泣きながらやってきたスライプを見て驚きながらとりあえず椅子、テーブルとティッシュを提供していた。
シャロラインに逃げられたと言われた時はさすがにテラバスも叫んだが、その理由が理由だけにスライプには申し訳ないが笑いそうになった。
「んで、そいつは今どこにいるんだ?」
「それが『何か修羅場っぽくなっちゃったね。ごめんね、また改めて来るわね。ばーい』だとよ、あいつぅぅぅぅ!」
およそ成人男性から聞くことがないであろう涙声を出しながら悔しそうにテーブルを叩いた。
「一応オレも聞くが、そいつとは何もないんだよな?」
「当たり前だぁぁーーーー!」
わざと不信な面持ちで聞くテラバス。
スライプが不倫するような奴ではないと一番分かっているテラバスだが、日頃のうっぷんを吐くためについ虐めたくなる。
号泣し憔悴している、何を言っても反撃(物理攻撃)してこないこの瞬間がチャンスなのだ。
「……そんなに泣くならあるのなら探しに行けば?」
ごもっともな台詞なのだが、スライプにはすぐすぐ行けない理由があった。
「金稼ごうとして、ものっそ依頼受けてたら……レイに怒られて……。1週間以内に全部やってこないと次から仕事やんねーぞって言われた……」
「あらま。どうしてそんな」
「どっかの誰かさんが僕の貯金の大半を持ってったからだよ」
シャロラインの修理費、金貨55枚。
翌日きっちり払ったスライプだが、これは手痛い出費となった。日頃の生活やうっかりシャロライン破壊という事もあるので、出来るだけ金貨は稼いでおきたい。
あれこれ片っ端から受注してたら所長に怒鳴られ、全部成功させるまで帰ってくるなとお叱りを受けてしまったのだ。
「ちなみにいくつ受けたんだ?」
「……5つ。うち1つはシャロライン同行じゃないと難しいやつ……」
スライプが受けてくる依頼は基本的に難易度が高めのものなので1日1つが限界である。
つまり、ほぼ1週間は仕事に行かないといけないのである。
それもありただただ泣く事しか出来ず、幼馴染を頼ってきたのだ。
「つまり、仕事しつつシャロラインを探さないと、お前は食いっぱぐれるって事なのか……」
この事件は、スライプの夫婦関係と生活の両方がかかっていたのだ。
腕組みをするテラバス。しばらく何かを考えているような仕草をしていると、思い至ったように勢いよく立ち上がった。
奥へ引っ込みガサガサと何かを漁り戻ると、缶と瓶を1本ずつスライプの前に置いた。
「お前、ビールとワイン、どっちがいい?」
スライプが顔をあげると、一方は冷え冷えの缶ビール、もう一方は白ワインのフルボトルが目の前に置かれていた。
「はぁ? 酒? お前そんなの飲んでるのか」
こんな時に……と、擦り過ぎた目と鼻を真っ赤にさせながら、スライプはテラバスを睨んだ。
しかし、今のスライプの睨み顔など脅威でも何でもない……。テラバスは笑って受け流す。
「独身貴族の成せる技よ。ほら、とりあえず飲もうぜ。たまにはいいだろ昼間っから呑んだくれるのもさ」
そう言ってテラバスは酒とつまみを適当に広げ、幼馴染水入らずの酒盛りを開始した。




