-2- 『おやすみ』
「本当に良いのか? 捕まるぞ」
「何に?」
「警察だろ。二人乗りなんかしてたら……」
「大丈夫だよ! 田舎だもん!」
それは理由になっていない。
……現状、俺は自転車の荷台に跨っていた。
壮大な送り迎えだと聞いていたが、まさか自転車の相乗りだとは、予想すらしなかった。別にリムジンを想定していたわけではないが、もっとこう……なんかあるだろう。
「いっくよぉ、ふーくん!」
「とばすなよ!? 道路交通法は守れよ!?」
二人乗りの時点で矛盾だが、この際、それは大目に見よう。
しかし子供の頃に二人乗りしたことはあるが、今は体重も身長も違うわけで……。
「せぇーのっ!」
「うわ、わ、うわわわわわわぁぁぁあああっ!」
風になった。
――そんな気がしたが、速度はゆるりとしたもので、生温い風を切って走る。
乗ってみれば案外楽だった。あえて欠点をあげるとしたら、前に乗る菜有の黒髪が風になびき、鼻がくすぐったいことだろう。
これから向かうは、菜有の家だ。
この夏休みの間、下宿させてもらうこととなっている。
「年頃の娘を、どこぞの若造と一緒の屋根の下に寝泊まりさせるわけにはいかない!」とは一切言われず、むしろ家族のように扱われているため、歓迎された。
これも、五年前まで家が隣通しだったからだろう。
何かと信用されているのは少し嬉しかった。
――などと考えている間に、駒羽田家に着いたようだ。
「到着ぅ。さ、汚い家ですが、どうぞ~~」
「それはお前の部屋だけだろう?」
「えへへ。物置に自転車置いてくるから、待っててね」
そう言って菜有は家の裏の物置へと姿を消した。
この辺りは家も並んでおり、先程の無人駅とは違って人の気配もある。
だが、頼りの灯が外灯一つというのは心許ない。今にも消えそうな点滅照明が電柱についている。
辺りを見回すと、ある場所が目に入った。
そこだけは鮮明に憶えている。
「……もう、姿形ないな」
駒羽田家の隣を見ると、空き地になっていた。ここに元の家があったはずだ。
しかし現在は草が伸び伸びと生きていて、かつてそこに人がいたとは、とても連想し難い場所となっている。
「お待たせ~」
「なぁ、菜有」
「どうしたの?」
「あいつら、元気か?」
「うん。今から呼ぼうか? スパッと飛んでくると思うよ~」
「いや、いい。少し、あの頃を思い出していただけだ」
「……そっか。ほらほら!早くおいでよ。お父さんもお母さんも待ってるよ!」
「そうだな……」
このあと家に通され、俺は土産物を取出し挨拶をした。背中を押されるように、おじさんとおばさんから手厚い歓迎を受け、食事をいただいた。
「ふぅ、二人とも変わってなかったな」
二階にあてがわれた部屋は十分すぎるスペースがあり、簡易テーブルも置かれていた。
「夏休み中だけなのに、なんか悪いな」
――とは言いつつも、内心では少し安心している。用意されていた部屋が物置だったら、早く帰りたいというノスタルジアが発症しそうだからだ。
こう見えてホームシックだし。
しかし俺は特にすることもなく、部屋で物を整理することにした。持ってきた荷物はそれほど多くはない。時間がかかりそうもない為、すぐバッグに手をかけた。
整理中、部屋をノックする音が響く。
「はい」
「ウチだよ!開けて!」
「……」
拒否しても退かないだろう。そういう所は昔から変わっていない気がする。
頑固というか、我儘というか……。
第一、用件も言わずに「開けて」というのは、少し非常識すぎやしないか。
「何か用か?」
「遊びに来ただけ!」
子供だ。恐ろしくお子ちゃまだ。
だが、そんな幼稚な理由に呆れつつも、部屋の扉を開くことにした。同時に部屋に入り込んできたのは、寝間着姿の菜有だ。手にはトランプが握られている。大体の予想はついた。
「ね、久しぶりに勝負しない?」
「神経衰弱か?小学校の頃やってたけどさ、あれって面白いか?」
「断・然、面白いよ!やろっ!」
「……そこまで太鼓判を押すほどか?」
とりあえず荷物の整理は後回しとなった。
敷布団の上に二人で座り込み、向かい合って神経衰弱を開始する。菜有は終始楽しそうにしていて、まるで、あの頃に戻ったかのような気分になった。
これは悪くない。
三勝三敗。お互いイーブンで七回戦を開始しようとした時、不意に脳裏を何かがよぎった。
「どったの?」
「……いや。こうして、昔も遊んだことあるなって思ってさ」
「そうだね。あの頃は色んなことして、すっごく楽しかったよ~~」
「ああ……」
生返事しかできない。
理由は明白だ。俺が、その頃のことをぼんやりとしか憶えていないのだ。
確かに、菜有や他の友人達と遊んでいたことは憶えている。そこだけは鮮明に憶えているのだが、何かが抜け落ちているような気がしていた。
「さ、これで勝負を決めるよ!」
「……よし」
現状、今の感覚が何なのかはわからない。
俺はとりあえず神経衰弱に取り組む。
その結果、四勝三敗で俺が勝った。
「ふーくん、強いね~」
「記憶系は得意だからな。それにしても、こんなんで楽しめる女子高生なんて、今時珍しいぞ。天然記念物じゃないのか?」
「都会では、トランプしないの?」
俺が住んでいる場所は決して都会ではないが、ここに比べてみればそうなる。
「まあな。みんな、カフェとか小洒落た店に行っているらしい」
「ふーくんも?」
「俺は……関係ないだろ」
喫茶店に入る勇気がないなんて、とても言えなかった。
「そっかぁ」
菜有は俺の事情を大体知っている。友人・恋人がいない事も。勉強の成績が良い事も。メールで質問されたことには大抵答えてきた。だから知っている。
「あ、もうこんな時間だね」
そんな菜有の言葉に釣られて据え置き時計を見ると、深夜0時を回っていた。
「明日も早いし、もう寝よっか」
「早いって、どこか行くのか?」
「行くよぉ~。せっかく、ふーくんが遊びに来てるんだもん。夏休みはずっと遊び尽くすって決めてるんだ~~」
「……菜有、受験勉強は?」
そう。俺達は曲がりなりにも高校三年生だ。立ちはだかる「進路」という壁を無視することは出来まい。
「進路、決まってるのか?」
「……うん。とりあえずこの町で就職かな。人手が足りない場所はたくさんあるから」
「そうか。ちゃんと考えてるんだな。少し安心した」
「当り前だよ!もしかして、ふーくんは進学?」
「まあな。でも、俺はお前と違って日夜努力してるから、この夏休みくらい休んでも支障はないだろう」
「じゃあ――!」
菜有は目を輝かせながら期待していた。
「ああ。付き合ってやるよ。こっちに来てる間は、な」
「やたっ!」
小さくガッツポーズをとり、菜有はその場で小さく一回転した。
「じゃあさ、じゃあさ!明日はみんな集まれるね!うあぁ~、楽しみ~!」
菜有はまた小さくガッツポーズをとった。そして、トランプを速攻で片づけると部屋を出て行こうとする。
――が、扉を開けた時に振りむいてきた。
「どうした。忘れ物か?」
「違うよ~。……えと、おやすみ。ふーくん」
「……ああ、おやすみ」
「ふふっ。これも五年ぶりだね」
「そうだな」
「また、明日ね」
「ああ」
菜有は笑顔で手を振りながら、部屋を出て行った。
彼女が言うまでもなく、俺も気が付いていたことだ。昔は隣通しで俺の部屋の窓と菜有の部屋の窓が向かい合っていたから、いつもこんなやり取りを交わしていたんだった。
「……寝るか」
照明を落とし、布団に転がった。この暑さならタオルケット一枚で十分だろう。
エアコンの無い部屋だったが、ついさっき菜有が来る前に開けておいた窓から入ってくる風が心地よかった。車の騒音もなく、大きな障害物もない為か風通しが良い。
俺はすぐに眠りについた。
夢。
夢なのに、そんな実感があった。
辺り一帯が白い靄に包まれ、意識だけがそこにある気がした。
そして、脳に直接語り掛けるような声が聞こえてくる。
『探しに、来てくれたんですか……?』
『誰だ。どこにいる……』
しかし、声はそれきりしなくなった。




