6 カイルの部屋
「おい、バルド。あんなのをどこで見つけてきた」
カイル・アーデン公爵は王宮の自室でぼやくように言った。
それは感嘆のようでもあり、愚痴のようでもあった。
宰相バルドは慇懃に礼をした。
「町の路上で劇団をしていた娘です。なかなかの者でしょう。
捕まえたときはちんちくりんのただの小娘でしたが、三か月でなかなか育ちました。
役者としては、いや、なかなか」
その声音はいささか得意気でさえあった。
公爵カイルは目を細めた。
王室付きの大臣たちの中でも感情をあまり表に出さないこの宰相が、珍しいこともあるものだ。
「お気に入りのようだな」
「影武者としては逸材を見つけたかと自負しております」
豪奢なソファにゆったりと体を横たえ、リラックスして脚を伸ばしたカイルは微笑んだ。
「確かに逸材ではあったな」
「カイル様?」
「くっくっくっく……ふふ、いや、な。女性に『黙っていろ』と言われたのは、初めてだ」
「あの娘! そんな無礼を」
「いや、いいんだ。成人してこのかた女性についておおよそのところは知り尽くしたと思っていたが、
それは俺の思い違いだったようだ。世の中には俺の知らないことがまだまだあるんだな」
カイルはソファから手を伸ばし、フルーツ籠に盛られていた小さなサクランボをつまみあげた。
挑戦的な目でバルドを見て、ゆっくりとサクランボを口に入れる。
目尻の下がったアーモンドのような形の目は黄金の蜜をためたように甘く、ふっと長い睫毛が伏せられる。
色香で女を殺せると騎士団の連中に揶揄されるだけのことはある。
バルドは見慣れてしまった無駄な美貌の発露にため息をついた。
「お戯れもたいがいになさって下さいね」
カイルは言う。
「バルドよ。美少年のまま育ったら俺もあんなふうになっていたと思うか?」
バルドは『美少年がそのまま青年になったような王太子』の役を演じている哀れな娘の顔を想像した。
顔だけ見れば、本当に幼少期の王太子にそっくりなのだ。
「ええ、そりゃあもう……騎士に交じって訓練を受けて体を鍛え、武術の鍛錬を続けていなければ、このような筋肉などつかず、腕に傷もつかず、人形のようなすらりとした美青年におなりになっていらっしゃったでしょうな」
カイルは楽し気に声を出して笑った。
「はっはっは。天使のような青年にか? 確かにあの偽物王太子は、羽でも生えたように軽かったな。ちゃんと食べさせているのか?」
バルドは心外だと言わんばかりに、首を振った。
「ええ。一日三食におやつ付きです。体質かもしれませんな。あれでも捕らえた頃よりは林檎三つほども体重が増えたのです」
「事実ならば、我が国の情勢は酷いものだな。民はまだ飢えに喘いでいるというのか」
こう見えて案外に真面目なのだ。バルドは昨今の国内情勢を鑑みて意見した。
「昨年の不作で小麦が高騰しておりますが、あの娘に関していえば、男装だけでなく踊り子の真似事もしていたようです。捕らえたときはちょうど意図的に線を細くしていたと申しておりました」
「そうか。いや、興味深い女性を見たものだ」
「女性……というにはいささか反論の余地がありますが」
「何を言う。れっきとした女性だろう。俺の腕の中に抱き留めた瞬間に分かった。というか、お前も人が悪いな。あれが男ではないだなんて、一言も言わなかっただろう」
「そうでしたでしょうか」
「とぼけるな。父上と母上にだけ報告をまわしやがって」
「もしあなた様にお伝えすれば、女性に危険な真似をさせるなど言語道断と言って、我々の考え上げたこの計画を一瞬で破談になさったでしょう」
カイルは押し黙った。
まさにその通りだったからだ。
「影武者なんて、女にやらせるようなことじゃない」
「いいえ。それは全くお考えが甘いです」
バルドはピシャリと言った。
「影武者に男も女もない。もうお忘れですか? 7歳の誕生日にケーキに毒が盛られていたこと。10歳の夏には川へ突き落されたこと。12歳のクリスマスに刺客に襲われたこと。13歳では下履きの中に……」
「分かった分かった。俺が悪かった。お前が俺と、それ以上にこの国やら王家のことを考えてくれているのは理解している」
「重畳でございます」
カイルは息をゆっくりと吸い込んだ。
幼い頃からの付き合いではあるが、バルドという宰相、これでかなりの策士である。
「だが、バルドよ。彼女が怪我などしないようにしっかり見張りをつけておいてくれよ」
「保障はできかねます」
カイルがじろりと睨むと、バルドは仕方なく息を吐いた。
このお人は、女性が絡むと非情になり切れないのがたまに傷だ。
「不肖ながら私の息子をリアナ・フェルナーに付けております。先日の狩りは、流感をひいてしまったと言っておりましたが」
「ああ……」
「どうなさったので?」
「合点したよ。はは、噂ばかり聞いていたが、影武者本人と全く会えないのはおかしいと思っていたんだ。お前の息子は優秀だな、バルド。あの影武者の娘が、直接俺と鉢合わることのないようにしていたんだろう」
「念には念を入れよ、というのが我が家の家訓でございます」
と、感情の読み取れない仏頂面でバルドは言った。
「公爵カイルは警戒されていたわけだな。俺だってばかではないさ」
公爵カイルはサクランボの種を口からつまみ上げ、小さな銀の皿に置いた。
「それともお前の息子はまさか、俺が『初めまして、王太子です』などと自己紹介する道化だとでも思っていたのか?」
バルドが眉をひそめた。
「いえ、そういうわけではございません。ですが」
「分かってる分かってる。念には念を、ということだろう。な? 万が一にも本物と偽物を並べて、誰かに気付かれないようにと。まあ、うまくやるさ」
にやりとカイルは笑った。
「興味がわいたからな。俺の『影』とやらに」
「フリードリヒ様」
たしなめるように呼び掛けたバルドに、公爵カイルは口端をゆがませた。
「おいおい、その名前では決して呼ばないと言ったのは、お前の方じゃなかったか」
「……失礼いたしました。ですが、勝手な行いは厳につつしんでください。アルノー王子の派閥が王宮に刺客を送り込んだという噂もあります。何のための影武者か、よくよくお考えになってください」
「俺の命を守るため……か。その代わりにあの娘はみすみす殺される」
「だとしても、それはリュミエール国のための礎となるのです! 大臣たちや公妾のアルノー派を全員あぶりだせれば、フリードリヒ様の治世は盤石となる」
「評判通りの鬼宰相だな、お前は」
「……何とでも」
「いや、感謝しているよ。バルド」
公爵カイルは何か考えるそぶりをみせたが、けだるげな猫のようにすぐに目を閉じてしまった。