7 リアナには政治が分からぬ
王宮の北棟の政務会議室。
織り模様の施された長卓の中央に、リアナは硬直していた。
光沢のあるブラウスの襟元がやけに重く感じる。
リアナの王太子としての政務の初日だった。
「洪水に備えた治水について、ご助言を」
「異民族との抗争が避けられません。お考えを」
「南方の新興国から輸入の許可を得たいと使者が参りました」
(わ、分からないっ……!)
平民には平民の分があるのである。
リアナは芝居の上手い、ただの一般人なのだ。
政治を求められたとて、急に名君の考えが浮かぶわけでもない。
「えー……治水……は、……川を……太くする……とか」
精いっぱいひねり出した答えにバルドが額を押さえている。
「幅を……でしょうか?」
家来のほうもぽかんとしている。
正解ではないということは明らかだ。
左隣からプッと噴き出す声が聞こえた。
「あはは、それはもちろん冗談ですよね? 引きこもっている間にジョークのセンスがあがったのではないですか、兄上?」
アルノー第二王子。
本物のフリードリヒ王太子は成人しているはずだが、この王子はまだ未成年だったはずだ。
しかし、アルノー王子は、歳のわりに知恵と毒を備えた人物だった。
葡萄色の髪と瞳は、母親に似ている。
(あのリュシーヌ様の息子って……確かに髪の色や目は似ている気がするけど)
リュシーヌには春祭りの恩がある。
が、息子はいけすかない。
「僕ならば、治水のためには堤防を作りますね。土盛りだけじゃ心もとないから、石を積みます」
アルノー王子は自信にあふれていた。
世が世ならばこの王子が王になるのか。
それはそれで、想像できなくもない。
平民のリアナとしては他人事なのだが、現在は自分が王太子なのだ。
「王太子殿下。小麦の値が高騰しております。どうかこの案件を承認してください」
文官が文書を差し出してくる。
視線が遠くに彷徨ってしまうが、内容は頭に入ってこない。
「……進めて構わない。貴族会議の承認が得られれば」
なんとか声を出すと、アルノー王子がすかさず笑った。
「へえ。貴族会議の承認がなければ進められないとは、我が兄ながらずいぶん臆病な物言いですね。まるで……人形のようだ」
静寂が走った。
「僭越ながら、それは少々お言葉が過ぎてはおりませんか」
バルド宰相の鋭い目線が横から突き刺さる。
アルノーはにやにやと笑いながら言葉を続けた。
「いやこれは恐れ入った。でもね、僕の身にもなってくれ。この間まで不在の王太子に代わって僕が政務の中心を担ってきた。子供や平民にも思いつくような案には口もはさんでしまうというものだ。正常な考えのある王族ならば、ね」
リアナは黙っていたが、せめて表情だけは高潔に見えるようにと顔をあげていた。
引きこもり王子への恨みつらみが募る。
(なんで私がこんな目に……!)
アルノー王子がせせら笑う。
「王の器というのは、もっと大胆なものであるはずです。それとも、長い間姿を隠していたら、胆力まで落ちてしまったのですかね」
「アルノー王子。フリードリヒ殿下におかれては――」
バルドがたしなめようとした。
が、リアナはそれを制した。
政務の内容は全く分からない。
が、仮にも『王太子』が第二王子に言われっぱなしでいていいわけはない。
リアナは政治は素人だが、演技に関しては一流だった。
したがって、これまでやった劇のセリフは一言一句間違えずに覚えていた。そして、海賊の王子というなかなかに意味の分からない役も、その中の一つだった。
(あの時のセリフ……)
リアナはゆっくりとアルノー王子に顔を向けた。
「『国は船。民が船員なれば、貴族は船首。王族はその最たる者――その自覚無き為政者など、愚の骨頂。沈みゆく船からは民が逃げ出してしまう』」
「は? 僕が沈みゆく船だと?」
一瞬、空気が凍った。
だがその凍気を破るように、アルノー王子は愉快そうに笑い出した。
「――ほう! ようやく兄上らしくなってきたじゃないですか。面白い」
リアナのこめかみに冷や汗がにじむ中、会議は形式的に終了となった。
その後すぐ、バルドが部屋にやってきた。
宰相はリアナの机の前に立ったまま、冷ややかに言い放った。
「何か言うことは」
「……ありません」
「本日、あなたがアルノー王子に返した言葉。あれは『本物』のフリードリヒ殿下ならば、絶対に口にしません」
リアナは押し黙った。
バルドは続ける。
「王は怒らない。たとえ侮辱されても、表情ひとつ変えず、優雅に上から見下ろすように笑う。それが王者の格というものです。あなたの言動は――単なる平民の反射反応にすぎない」
痛いところを突かれた。
リアナは唇を噛んだ。
「……だったら、早く本物が出てきたらいいじゃないですか。私は……私なんかが、王の器になれるわけないんです。ただの平民の女が、ちょっと教え込まれたからって本物の王族になれるわけない」
血だとか環境よりも違った何かが、決定的に足りない。
しかし、それが何か分からない。
――悔しかった。
演技者として、これ以上はできないと限界を感じた気がした。
「ならば、鍛えるしかありません」
バルドが言った。
扉を誰かがノックした。
ここは仮にも王太子の自室なので、見知らぬ人間というわけではない。案の定メイドのマティルダが入って来た。
バルドはマティルダに耳打ちをして、下がらせた。
リアナはぽつぽつと言葉を紡いだ。
弱音がこぼれ出た。
「バルド宰相。あなただって今日で分かったでしょう。平民に執務なんて無理です。決まったセリフじゃなくて、自分で王太子らしいことを言わなきゃいけないだなんて」
「たとえ木の盃でも金でメッキをせねばならない。あなたには今夜から、特別な『教師』がつく」
「特別な?」
「礼儀作法や知識ではなく、貴族の呼吸を教える教師です。いずれ必要だとは思っていましたが、本当はこんなはずでは……まあ、適任といえば適任ですし……ぜひとも、とあちらから願い出られたので、こちらとしても断りにくかったのですが」
珍しくバルドは歯切れが悪かった。
「失礼しますよ」
その声に、リアナは飛び上がった。
現れたのは、公爵カイルだった。
目の下のいやに色気のある泣きぼくろ。
女を全員落として生きてきましたとでもいうような容姿。
リアナの最も忌み嫌う人種だ。
立ち姿が妙に堂に入っている。
「な……なぜ、あなたが……」
リアナが言葉を詰まらせていると、カイルはニヤリと笑った。
「バルド宰相がお困りのようでしたので」
リアナの中で何かが爆発しそうになった。
よりにもよってこの男を……!
「お久しぶりですね、王太子殿下?」
キラーンと効果音がしそうな白い歯。
リアナはそっと目をつむった。
「……」
「そんなにつれなくしないで下さいよ。私はあなたに好感を持っています」
フリードリヒ王太子に?
王太子とカイルはどのような関係なのだろう。
バルドを見ると、フッと視線を逸らされた。
ひきこもりの王太子の裏事情など知らないが、こういうことがあるのならば伝達をしっかりしておいてほしい。
平民にも劇団にも容姿の優れた男、色男は少なからずいたが、その多くが酷い者だった。
つまりは女心をたくみに手玉にとり、金を巻き上げていくような奴らだった。
客商売、俺たちは夢を売っているんだというのが彼らの口癖だった。その実、己の色も売っているような者たちを、リアナは嫌っていた。どれだけ顔が良くても、演技で食っていけないなら、それはリアナとは違う生き物である。
「明日の夕刻より、特別レッスンを始めましょう。大丈夫、王太子殿は長いひきこもり生活で少し忘れていらっしゃるだけです……手順をふんでお教えしましょう。懇切丁寧に」
カイルはとろけるような微笑みを浮かべて囁いた。
「では、また明日お目にかかりましょう」
パタンッと扉が閉まって、リアナは一瞬で炎天下に出された氷菓子のようになった。
「よりにもよってあの人か……」
王宮の女を何百人も手玉にとっているに違いない。
公爵カイルだけは、近づきたくなかった。
あまりにも絶望していたので、リアナはバルドが複雑そうな顔で指を組み替えているのには気が付かなかった。
「何もせんでくださいよ、殿下……」
「えっ? 何か言った?」
「……いいえ」




