五の太刀
衛兵の首を貫いた刀を仕舞い再び歩みを進める下呂は、そのうちに自らの足が速まっていることに気が付いた。そしてそれは胸の傷が少しずつ閉じていったからだと分かる。血が止まり、折られた肋骨の痛みさえ我慢すればある程度自由に動けるまでに回復していたのだ。
歩みを止めずに思考する。
初めて身体が回復するのを実感したのはいつか、言うまでも無く人斬り新右衛門を斬り倒して千人斬りを達した時である。二度目はローブの老婆を斬ったあと、未知の攻撃を受けて失った左腕が少しずつ生えていった。三度目はあの武者と相打ちになった時。
あの武者の放った突きは、俺の心臓の動きを止めたのではないのか。そうだとすれば気を失っている間に心臓の傷は塞がり再び動き始めたのであろう。そしてつい先ほどの衛兵を殺した後には胸の穴が塞がった。
これは偶然ではあるまい……千人斬りを達したのち、仕組みは分からないが俺は人を斬ることで己の身体を癒すことが出来るようになったのだ。
分からないことを考え続けるほど無駄なことは無い。
しかし、試して分かることであれば試すべきである。
肋骨の痛みの強さは先ほどから変わらない。もう一人斬った後に肋骨が治ったならば、俺の推測は正しかったと分かるはずだ。
暗い庭園を石畳の道沿いに歩いていくと立派な門とその横の小さな通用口、その傍で槍に体重を預けて器用に立ったまま眠る衛兵の姿が見えた。
下呂の歩みは止まらない。
脇差を抜いて衛兵のすぐ傍まで行くと槍を握った左腕の下、鎧の大きな隙間となっているわき腹を狙い刃を寝かせてグッと差し込む。衛兵は目を見開き口を開けようとしたが、下呂の空いた左手が衛兵の口を覆ってそれをさせない。
脇から差し込まれた凶刃は衛兵の鎧と肋骨を避けて心臓に突き刺さり、何をすることも出来ぬままに衛兵から命を奪い去った。その身体は全身の力がふっと抜けて崩れ落ちそうになったが、下呂が左手を衛兵の背に回し優しく抱きかかえるように受け止めた後、静かに地面へと横たえられた。
脇差を引き抜こうと思ったが、ふと自分の姿を見下ろして思いとどまる。
元々が薄汚れていた着物は今は左腕部分が消失し、胸には大きな穴が開いている。その他にも先の屈強な武者との死合をする内についていた細かな切り傷がいくつもある。とどめに着物全体をじとりと濡らす、どす黒い血液だ。
人斬り新右衛門、老婆、武者、そして己の血液。
飛び散り、乾き。更に混じり、固まり。自身の髪も顔も返り血に塗れていることを考えれば、おぞましい相貌であろうと思われる。
その様は、地獄で死者を責め立てるという獄卒もかくやといったところ。
悪鬼――。下呂以下は自らをそう喩えて自嘲する。先ほど確信した、人を斬り己を癒す能力。あれは最早、人の領分ではあるまい。
「人であって人で無くなった……か」
さりとてまだ生きているというのも事実。この様な格好ではすぐに見咎められよう。いつか死ぬ日までこの門を抜けた先で会う人全てを斬り殺して生きていく訳にもいくまいと考え、衛兵の身体から服も鎧も全てを頂戴することにした。
幸いにも脇差を抜く前であったから、血は大してこびり付いていなかった。川か井戸でも見つけて洗えばまともに見えるだろう。腰に吊っていた幅広な剣は適当な村で売り払ってしまおう。
地面に転がる槍を拾い上げ、杖代わりにして歩き出す。
肋骨の痛みは既に消えていた。