調理実習-3
葉を剥がす。キャベツの芯を落とす。葉脈に沿って半分に切る。切った葉をいくつか適当に重ねて巻く。これを横にしてあとは細く切る。大雑把にではあるが、キャベツの千切りの方法はこの通りだ。
しかし今日はそこまではしない。裏から芯だけくり抜いてテキトーにざくざくするつもりだ。男子の調理実習なんてそんなもので十分ではないか?
「一ノ瀬君。そのまま切らずにちゃんとやってもらえるかしら?」
まさにキャベツに包丁の刃が入らんとしたその刹那、悪魔のご注進によって俺の手は止められた。
「千切りって細く切ればいいんだろ? それくらいは何とかやってみるよ」
白々しいが知らんぷりを決めて言葉を返す。すると予想通りに藤之宮の視線が強さを増す。まるで『いい加減にしろよ』と脅すかのように。刺すような視線を受けることが予想できるのなら、そんな返し方しなくてもいいんじゃないかって? 男には自ら死地に向かわねばならない時もあるのさ。
「あら? 大きな声でお願いすればいいのかしら?」
「すみません、わかりました」
しょうがない。命あっての物種だ。幸いなことに皆自分の作業に集中していてこちらを見ている奴は誰もいない。今のうちならバレずに済みそうだ。下手に時間をかければそれだけ見つかる確率が高くなる。バレる前に終わらせよう。だがあまり早くやり過ぎるとそれはそれで目立つ。何事も程々が一番だ。
――タン、タン、タン、タン
3枚重ねて丸めた葉を刻んでいく。いつものペースの四分の一くらいの速さだ。何、少し太めに切ればローペースでも早く終わらせられる。
――タン、タン、タン、タン
へへへ。いい感じだ。
「一ノ瀬君、それじゃ千切りとは呼べないわよ? もっと細くお願いね?」
だああああ! 見てんじゃねえっ。
声の方には目もくれず言われた通り細さを変えて切る。こんなことしてたら時間がかかっちまうだろうが。いいのかそれで?
「そのペースじゃ時間内に終わらないわ。もう少し早くお願いできないかな?」
いちいちなんだってんだよもう! わかったよ早く切ればいいんだろ!
――タンタン、タンタン、タンタン、タンタン
無言で少し速度を上げたがこれ以上早くは出来ない。いや、早くしてはいけない。今ならまだ『ちょっと器用な男子』程度で済む。
「ちょっと器用な男子を装ってないで、手を抜かずにやっていただけないかしら?」
やめろ! 何を口走ってんだよ!
思わず顔を上げるとすぐそこに藤之宮の顔があった。なんでそんなに近いんだよ! 万が一にも無いかもしれないけど、妙な誤解されかねない距離だぞ? 俺はびくっとなって固まってしまった。
「あら? 遠くから聞こえるように言えば良かったかしら?」
良い理由が無いだろ! でかい声で言われてみろ、俺の学生生活はバッドエンド一直線だぞ? 何が欲しい? 金なら無いぞ? ま、まあ、一応気にして近くで言ってくれたのか…… いや、ここで感謝はおかしい。俺の冷や汗が止まらないのは明らかに悪魔のせいだ。
「わかった。腹を括ろう。だから声をかけるのは勘弁してくれないか」
「最初からそのようにしていただけましたらお互いに無駄なやり取りをすることなどなかったのですが?」
「俺が悪いってのか?」
「皆さんにご判断いただきましょうか?」
「俺が悪かったです」
――ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
出来るだけ音を立てないように、しかしさっさと終わらせるために全力で刻んだ。こんなに緊張して千切りをするのは料理をし始めた頃以来かもしれない。今のところ誰も気が付いていないことを幸いに細心の注意を払って急ぐのだ。
「秀斗、大丈夫?」
淳也が心配して小声で話しかけてきた。こいつはこいつで玉ねぎをみじん切りにしているが『涙が出てなかなか進まない』体を振りまいてやがる。小狡いにも程がある。
「……お前、ほんとずるいな。俺が玉ねぎにすればよかった」
「藤之宮さんが決めた役割だよ? 僕に文句いわないでね」
「涙出しながらにやけてんじゃねえ」
「えーん、秀斗君がいじめるー」
「やめろ! ただでさえ目ぇ付けられてんだからな」
小競り合いをしつつも手は全力で動かしなんとか千切りが終わった。淳也はまだ玉ねぎを刻んでやがる。
「千切りが終わったらジャガイモを四つ切りにしてね。大きい物は適当にさらに半分に。もうすぐ小林君が皮を剥き終わるわ」
「一ノ瀬、悪い、もうちょっと待ってもらえるか?」
「わかった。こっちもまな板と包丁を一旦洗うから」
小林が皮を剥き終わるのとほぼ同時に俺の洗い物も終わった。まさかこのタイミングを予想出来ていたのか? 本当なら恐るべし悪魔だな。
「では、一ノ瀬君、お願いね」
「へいへい」
「加藤君はみじん切り終わったかしら?」
「は、はい。そろそろ終わります。残り玉ねぎ半個です」
「そう、じゃあ玉ねぎを炒めましょうね。小林君、手が空いてるわね。やってみませんか?」
「え、俺ですか? 出来ますかね?」
「大丈夫よ、基本フライパンで混ぜるだけですし、加藤君の手が空いたら代わってもらいますわ。それに最初は私がやりますから安心してくださいね」
「そ、そうかい? じゃあやってみるよ。よろしくね」
藤之宮は次々に指示を出していく。リーダーシップが遺憾なく発揮されており、これには素直に感心するのだが、どうにも作業量が偏っていて不公平感しかない。
小林が藤之宮に玉ねぎの炒め方を教わっているのを横目にジャガイモを四つ切りにしていく。小ぶりなジャガイモがほとんどなので四つ切りでも十分火は通るが、たまに大き目のもあるのでそれは適宜良い大きさに切る。
――スパ、スパ、スパ、スパ
千切りと違ってそんなに手数は必要ないのでゆっくりと切っていても問題はない。悪魔の突っ込みもない。フフフーンと鼻歌い一つでも出ちゃいそうな平穏の時である。料理楽しいな。
と思っていたのだが、程なくしてとんでもないところから至福の時を切り裂く魔の手が現れる。
「一ノ瀬君って、男子のくせになんか慣れてない?」
ソースを火にかけて混ぜている松井が俺の手元をじっと見てそう言い放った。焦げるからちゃんと鍋見てような? な?
「いやいやいやいや、ぜんぜん、ぜんぜん、たまたま、たまたま!」
『いや』と『ぜん』と『たま』しか言ってない。焦り過ぎだ。余計に怪しまれるわ。
「本当ーーー? え、あ、ちょっと待ってよ。そのキャベツの山も一ノ瀬君が切ったんだよね? 早いよね? もしかして包丁使うの得意とか?」
「いやいやいやいや、こ、これはだな、えっと、そ、そうだ、藤之宮さんの大いなるアドバイスによって成し得たことであってだな、本当に藤之宮さんはすごいなあ、さすがだよ藤之宮さん、素晴らしいよ藤之宮さん」
「そうなの? アドバイスでそんなに早く千切りできるようになるものなの?」
「できるできるできるできる、松井さんもいつか藤之宮さんに教えてもらうといいぞ! なあ、藤之宮さん?」
思考が混乱して思わず悪魔に話を振ってしまった。しかしそれは混乱に拍車がかかるだけの最悪手だった。
「あら? 私は手を抜かずに早く切るようにお願いしただけよ?」
「な!? そそそそんなことはなかったよな? ちゃんとアドバイスくれたよな? な? な? な?」
「あなたは私にウソをつけとおっしゃるのですか?」
「あう……」
顔面蒼白冷や汗ダラダラの俺。詰んだ? 詰んだのか? 終わってしまったのか?
この悪魔のせいで俺の学生生活は終焉を迎えてしまうのか? なんということだ。
言葉を無くした俺に口角の上がった悪魔がその口を開く。とどめを刺しにきたのかと絶望した瞬間。
「なんて、冗談ですよ」
………………え?
「一ノ瀬君には千切りのコツをお教えいたしましたわ。もっとも、途中からお教えしたので、よく見ていただくと太い千切りと細い千切りが混じっているはずですわ」
覚悟を決めていた俺は予想外の助け舟に追い付けず完全に固まってしまっている。淳也もピクリとも動かない。
松井は千切りの山を見て藤之宮の言っていることがウソではないと納得してくれたようだ。
「藤之宮さんってすごいのね!? 一ノ瀬君、良かったわね、藤之宮さんに直々に教えてもらって!」
「そそそそうだな! 藤之宮様様だよ! ほんとそうだよ!」
「て言うか、藤之宮さんも冗談を言うんだ!? そっちの方が意外ー!」
「いえいえ、私だって冗談の一つや二つくらい言いますよ?」
「いやーん、親近感沸いちゃうー」
藤之宮が冗談を言った。このことがクラスから注目を集めたため、俺の料理の腕からは関心が外れた。助かったのである。助かりはしたが、寿命が1,200秒くらい縮まった。
――パン、パン
クラスが盛り上がる中、藤之宮が手を二つほど叩いた。
「はい、皆さん実習を進めましょう。時間が無くなると美味しいハンバーグが食べられませんよ?」
クラス中が動き始める。それぞれが自分の作業に戻る中、俺達のところへ話題の主が不敵な笑みを湛えてやってきた。
「ふふふ。一つ貸しでよろしいですわね?」
そう悪魔は一言残してソースの味見をしに戻って行った。
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