最終話 夕飯までには帰ってきて
竜王の背中から落ちない方法は、ようやく分かった。
背中に乗らなければいい。
そう言うとヴァルドは、空路の便利さを七つ並べた。私は徒歩で行ける工具店へ、朝から飛んでいく理由を一つも思いつかなかった。
彼は不満そうな顔をしたまま、店の裏で洗濯物を干している。竜王が洗濯をする理由も思いつかないが、そこは聞かない。外套の肩を整える手つきは、だいぶ上達した。
「そこ、もう一つ留めが要ります」
「風は余が止める」
「あなたがいない間に飛びます」
ヴァルドは黙って留めを付けた。小さな金具を指先で扱うのは、まだ得意ではない。落ちた一本を、私は拾わずに待つ。彼が自分で見つけ、端を合わせ直した。
店の表には、歯医者の看板が戻った。母の古い字の下へ、私の名を小さく足した。父の名も、設計の出所を示す帳面に残っている。看板へ家族全員を並べる気には、まだなれなかった。
午前の客は、欠けた農具の刃を持ってきた。『王の歯も直す人なら、これくらいすぐでしょう』と言われ、私は半日かかると答えた。農具は王の歯より小さい。急いでいい理由にはならない。
昼にはノエから手紙が届いた。アステルの補強器具は点検を通過。新しい葉が三枚開いた。白枝では、遅れた種まきの分をまだ世話している。セイルの港からの船は来週も出る。
ヴァルドは手紙の最後だけ読んで、妙な顔をした。
「『次は、診察抜きでお茶を』だと」
「いいじゃないですか」
「余は、招かれておらぬ」
「二人宛てです」
封筒の宛名を示すと、彼は字をよく見直した。国王の署名なら一目で分かるのに、招待されることには慣れていないらしい。
夕方、私が七号鏡の新しい継ぎ目を磨いていると、裏口が開いた。ヴァルドが帰ってきた。王宮での会議のため、午後だけ出ていたのだ。
「遅かったですね」
「余がいなければ、火山の報告を誰も読まぬ」
「読んでくれる人、増やしたでしょう」
ヴァルドは答えず、買ってきた野菜を台へ置いた。葉が少し潰れている。店主なら値引き札を付けるところだが、夕飯には使える。
「患者さんですか」と聞く。
「今日は違う」
その返事が、思っていたよりうれしかった。
私は研磨粉を払い、工具鞄を閉じた。父が直した戻り留めは、今も滑らかに動く。引く側の重さは、私が自分で直した。
「手を洗って。あと皿を二枚」
「余へ命令するな」
そう言いながら、彼はもう袖をまくっている。
竜王の背中には、また乗ることもあるだろう。けれど今夜、私たちが向かう場所は同じだ。
鍋の蓋を開ける。湯気の向こうで、ヴァルドが皿を二枚並べた。




