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001『ミツバチ勇者よ公取に駆けろ』

 定年までの給与据え置きとボーナスなしを貼り出される社令だけで通告された中古OLが、リクルートが褪せていくだけのぶかぶかスーツに、皺だらけのウィンドブレーカーという、地方社畜のくたびれ姿で失望の猫背を傾けて早朝の従業員口を開けた瞬間、真っ白な光に包まれた。

 点在する松明灯りだけで暗かろうと、柱の林立するアーチ作りの漆喰塗りは、より明るいなら真っ白な荘厳の空間なのがわかった。

「勇者様だ」

「おお、神がお応えなされた」

 分厚い白ローブ姿の人だかりが、ただの社畜へかしずいていく。

「な、なにっ!? カルト宗教!!?」

 金細工を首から提げた神官長らしき女声が社畜の前に立ち、床に突く銀メイスが轟きと化して響き渡る。

「神に選ばれし異界の勇者よ。名を」

「えと、えと、えと……」

 挙動る社畜に、この若い神官長はなんら変わることはない。

「名を」

 白ローブは分厚く黒い影になっているが、雪の色をした女性の蒼い瞳がみつばを捉えている。

「み、み、み、御手洗みつばですっ!! 29歳ですっ!! ハクアイスーパー尾張のエリアマネージャーですッ!! 入社5年目ですっ!! 愛知電機大学院中退ですっ!!」

 ハチのようなちくちくの連打で負け組社畜の中古OL御手洗みつばは、うすらとそばかすと隈の浮く吊目を見開いて、ヒロインなアニメ声を張り上げる。

「勇者ミタライミツバ」

「はっ、はひっ!!?」

 ハチのキャラクターでデコられるパンパンのトートバックを床に落としてしまい、慌てて拾って面接の直立に正す。

 自分を勇者と呼ぶ神官長が、困惑のみつばにかしずく。

「ミタライミツバ様、どうか世界をお救いください」

 そう懇願する神官長の声は、とても切実で悲痛に満ちている。

「えと、これ、つまり、その、ついに私にも異世界転移がっ??」

――いやいや。これは先週のクレーム処理で、眠れなくなるほどの疲労のツケがきているだけだ。

 とにかく頬が腫れるまででもつねって今は目覚めないと。

 刺身の解凍出しを終えたら寿司マシンの即席修理をやってバイヤーとの打ち合わせがあるし、欠員パートのシフトやりくりとお願いの電話だってしなきゃならない。

 倍々で増えていく売上ノルマに対して、私が管轄している店長達が適当やった不正数字の都合だってどうにかつけて、チェーン本部への報告だって……。

「すみません。私、勇者じゃありませんので、このまま辞退ということで、業務が溜まっているんで帰ることってできます??」

 白ローブの群衆が割れた。

 立ち上がる玉座から静かに歩いてきた金王冠の若い男が、白目のみえないつぶらで精悍な瞳を、見下さないように屈んでまでみつばに寄せた。

「貴殿は間違いなく召喚に選ばれた神託の勇者である。故にすまないが、運命として受け入れていただきたい」

「いやっ、困りますよっ! 突然過ぎて有給申請出してないし、正当な理由をちゃんと伝えないと有給にならないしっ、だいたい勇者に選ばれた理由じゃふざけるなって給料から天引きだしっ」

「魔に堕ちた我が妹を……どうか勇者ミタライミツバ、ひと思いに討って欲しい」

「話を聞いて下さいっ!!」

 天窓から後光を差す玉座の横で、30半ばくらいの高貴な美女がつまらなそうに欠伸をかいている。

 わざとらしく声まで発するその美女へ「あれは母上をよく見習った結果なんですよ」と青筋をどうにか抑える若い王は、愕然のみつばへ再び振り返る。

 ……自分と変わらない年頃にみえるみつばの、下手をすれば洗濯係よりくたびれた病気の顔色に、「これは勇者に選ばれるより前に何かにとり憑かれている」と直感してしまった。

「だいたい私ただの一般人ですよっ! ここだと外国籍の人間ですよっ! 妹を討てって、それ嘱託殺人ですよっ!!」

 みつばの非難がぶすぶす刺さりつつも、シガン国王ブライクは、それでも勇者の任を全うさせなければならないとよく奮う。

――帝国に嫁いだために国ごと狂犬と化した、あの悪逆怠惰なドグサレ妹を討たねばならない。

 心を鬼にしたその時だった。


 漆喰壁にところどころ設けられるステンドグラスを突き破り、魔法の跳躍を得てレイピアを突き立て吶喊してくる水色ドレスが、みつばの眼前にふわりとひらめいた。

「レイン、貴様まさ」言いかけのブライク王の顎にレイピアではなくバフ倍掛けの細腕ラリアットで玉座へ叩き戻して、ひび割れの中に沈めてしまう。

 銀メイスに竜巻を蓄える神官長や抜剣する白ローブ、駆けつける近衛兵達。

 レイピアを一旦納めてスカートを優雅に翻す金髪の眩い氷の美女が、強者の断じで高らかに宣言する。

「これはもらっていく」

 指さした困惑のみつばの鳩尾にドカンと一発で昏倒させ、その勢いのまま魔法で彼方に飛ばしてしまう。

 ドレス美女は、みつばのトートバックを拾い上げてから、レイピアを投擲して銀メイスを弾いた。

「あの穀潰しを叩っ斬れぇええええええ!!」

 フードを抜いだ青髪サイドテールの神官長が女の金切り声でそう叫びあげるばかりで、絶対の忠義で動くべき近衛兵に至っては「それだけの給金を頂いていません」とばかりに、ダラダラ持ち場へ帰っていた。

 世界の敵の扱いを受けて久しい冷血レイン姫は、破れたステンドグラスから跳んでいく。

 その先では時速150kmで南西の彼方へぶっ飛ばされていく御手洗みつばは、ただただ「あ、タイムカード。昨日の退勤忘れてた。始末書書かないと」などと、現実逃避を極めていくのだった。



 鳩尾を抱えて悶絶していた御手洗みつばが目を覚ます。

 天蓋付きのキングベッドの上。

 横には自分をぶっ飛ばした犯人が素っ頓狂に、初霜のような長い睫毛をパチクリさせていた。

「絵物語の続きを、持ち合わせてはいないのか?」

――冷血な顔つきのわりに、駄々の強い子どものような声色だ。

 みつばが目線を下に提げて、彼女のしなやかな右手を見ていると、ハチでデコされたスマホを握っている。

「ちょっと、なにするんですかっ!? だめですっ!」

 自分のスマホを引ったくったみつばだったが、直前の記憶にある凄まじい所業を思い出して後ろにたじろぐのを、この冷血金髪美女は四つん這いのまま追いかけた。

「えとっ、絵物語?? マンガのこと?」

 うんうんと、それはもうキラキラと琥珀瞳をまんまるに輝かせて待っている。

「漫画は単行本で買っているので、それに最近買ってないし。スマホには入れてないっ……かなぁ~」

「そうか……、残念だ」

 ふわふわのハネハネがしょげてしまう。

 いじけるようにトートバックに入っていた卸データを挟めるファイルをパラパラ捲るので「それもダメ!!」とみつばはひったくって取り戻す。

 足元にあったトートバックを懐に抱いたみつばに、この美女は思いついてまた期待した。

「なら、何か面白い話をしてくれないか?」

「面白い話って……」

――……ちょっと待て。私にマンガを所望したりスマホを難なく操作していたり、ファイルを捲るときのつまらなそうな態度といい、この子が玉座を襲撃した目的って。

「えと、その前に」

 冷血そうな美麗の顔立ち以外のすべてが躾のなっていない駄犬に対し、くたびれのみつばはその二の腕を掴んでよく落ち着かせ、場を整えた。

「御手洗みつばといいます。あなたが、もしかしてそのー……」

「ミツバというのか。私はラングバルク帝カインの妃、レインだ。よろしくな」

――異世界召喚20分でラスボスによるマンガ目的の誘拐ですか。そうですか。

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