41.【大島俊介(元アロウズ・システムズ取締役)の証言】
はじめまして、大島です。
今日はアロウズ時代のことについて聞きたい、ということでしたね?
いえいえ、大丈夫ですよ。シニアアドバイザーなんて肩書はついていますが、Nリンクではもう大したことはしていないんですよ。こうして土日もしっかり休ませてもらって……昼夜を問わず働いていたあの頃が懐かしいです。
……ええ。僕は、有賀さんも、朱鷺田社長も知っています。
アロウズは元々、朱鷺田社長が弟の優也さんと二人で始めた会社なんです。
最初は先行していた会社の下請け開発から始まったらしいんですが、ITバブルの崩壊で、宙に浮いたシステム保守を請け負う過程で、事業を拡大した。僕の入社もその頃です。
ITバブル崩壊期は、乱立したITベンチャーが次々に倒産しましてね。でも、会社が作ったシステムはそのまま残るから、顧客側は保守してくれる存在がなくなって困ったわけです。
そこで、倒産した企業の人材を拾って、システムの保守に参入して、そのうちカスタマイズや受託開発も請け負うようになって……という形で拡大していったのが、当時のアロウズでしたね。
有賀さんは、元々朱鷺田社長や優也さんと交流があって、社長の声掛けで合流したと聞いています。元の会社……アーガ・ソリューションズは畳むことになったとはいえ、営業力は確かな人でしたから。
……はい。朱鷺田社長の急逝は驚きましたし、正直焦りました。有賀さんが正式に合流して、会社の体制を整えて、これからという時に――亡くなったんですから。当時、朱鷺田さんはまだ二十代だったはずです。
あれは2006年――Web2.0だなんだと騒がれていた頃でしたかね。確かに「いつ寝ているんだ?」と思うような働き方はしていましたが、まさかあの若さで亡くなるとは思いませんでした。過労による心不全だったそうです。
それで、アロウズは創業社長が急死して、下手すれば空中分解するところだったんですが……優也さんと有賀さんがすごくよくまとめてくれたんです。優也さんなんてまだ二十歳そこそこだったと思うんですが、朱鷺田社長が管理していたプロジェクトを熟知していて、大したものでしたよ。有賀さんも新参とは思えなくらい的確に立ち回ってくれて。アロウズは有賀さんと優也さんのおかげで立て直せたようなものです。
だから……それから十年以上経って、有賀さんまで亡くなった時は、因縁めいたものを感じた部分はありました。
優也さんもさすがに――いえ、朱鷺田社長の時以上にショックだったようで、知らせを聞いた時はもう……絶句、としか形容できない様子でした。朱鷺田社長が亡くなった後、会社を支えてくれた有賀さんを年の離れた兄のように慕っていましたからね。
有賀さんの事故は……はい。運が悪かった、としか言いようがないです。たまたま工事中のビルの下を通った時に、落下した工具が直撃してしまったんです。
奥方とはだいぶ前に離婚していたそうで、身元確認には優也さんが出向きました。
二人三脚で会社を築いてきた相手が二度も不慮の死を迎えたら、ショックを受けるのはわかります。
優也さんは、表向きは気丈に業務を回していても、目に見えて口数が少なくなっていって……そんな時に、Nリンクからの買収が持ち上がりましてね。当時は、大手が中小のIT企業を次々と買っていった時期でしたから。そういう時流も後押しして、アロウズはNリンクに吸収されて――今に至るわけです。
優也さんは『ストックオプションでまとまった金額を得られたから、落ち着くまで静かに過ごす』と言って、会社には残りませんでした。何度か連絡を取ったり、飲みに行ったりしたことはありましたが、ここ何年かは会っていないです。
……相当、堪えていたのだと思います。
優也さんは気持ちを落ち着かせたいとき、兄である朱鷺田社長が愛用していた、お香を焚く習慣があったんですが……有賀さんの事故死から間もない頃かな。
用事があって優也さんが住んでいたマンションを訪ねたら、部屋中に甘い香の匂いが立ち込めていて、その奥から優也さんが現れたことがあったんです。幽鬼のよう、と言ったら言葉が悪いですが、そう形容したくなるくらい憔悴した顔をしていましてね。心の拠り所になるものの中で過ごしたい、そういう心境の現れだったのではないかと思うんです。




