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入れ替わりの王子  作者: りんご
2章 それぞれの暮らし
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今回の視点はジブリールです。

 ジブリールは窓から外の景色を眺めた。雨が降っていた。道に泥や油が浮きあがり、いつもならせわしなく行き交う表の通りにもあまり人影が見えなかった。すると、その中で独りポツンと行くあてもなく雨に打たれる女がいた。彼女は震えていた。その姿が路上で寝た日々を送っていた自分に重なった。


 あの日々からもう一ヶ月も経ったのか、とジブリールは思った。

 窓から視線を外し、ジブリールは最低限の家具がおかれた自分の家を見回した。少々固いベッド、椅子にテーブル。あとは食器が少しあるだけ。壁に目を移すと、木目が荒い木の板が張り合わせてあり、そこにレイピアがたてかけられていた。


 王都の西南、クレントン通り沿いの小さな家。ここが今のジブリールの新居であった。この家を手に入れたのは1週間ほど前のことであった。それまでは、野菜売りの一家の世話になっていた。そして、その前は、あの路上で生活をしていた。あの冷たい石畳の上で。

 ジブリールは大きく一回息を吸った。そして、もう一度窓の外を見た。女の姿がなかった。どこにいったのだろう。既にその場を去っていたようであった。

 もう一度見て、女がまだ居たならば、家に入れてやるつもりだった。もうあの姿を見ていられなかったからだ。ああいう姿をみると、何故かこちらまで苦しくなってくるのだ。それほど、あの路上での生活は……、特に石畳の冷たさは、筆舌尽くしがたいものがあった。


 それまでは寝る為に温かさが必要であるなどとジブリールは考えた事がなかった。床は温かいものであり、人はベッドに必ず寝るものだと思いこんでいたからだ。別に路上で寝泊まりしている人々を知らなかったわけではない。その程度の知識はあった。だが、いざ自分が寝てはじめて、そこに本当に寝ている人々がいることを知った。寝る時はつま先の感覚がなくなり、食べ物は飲食店の残飯から拾ってくる。当然不潔で、病気になりやすく、雨の日は本当に死人がでる。雨水につかり、体が冷えて死ぬのだ。

 だから人は家を建てるのか、と、その時本当の意味でジブリールは理解した。


 雨一つが命取りなのだ。


 そんなこと、王宮のふかふかなベッドで寝ている時は考えた事もなかった。

 石畳の広場に寝転がった初日。かじかんだ指先に何度も吐息を吹きつけた。それでも感覚が無くなってゆく指先をみつめ、ザグゼインの屋敷に一時避難する考えが何度もジブリールの頭にチラついた。だが、勇んで飛びだしたのに、これではあまりにも面目が立たないとも思った。その意思がジブリールを路上にへばりつかせた。

 だが、路上での生活が3日目に突入したある日、坊主頭の男に何かがたっぷり入った袋を押し付けられた。初めて見る顔の男だった。


「お前は誰だ? それに、これは何だ?」とジブリールは聞いたが、坊主頭の男は「うるせー黙れ」と言い、その場を去っていった。ジブリールが袋の中に手を入れると、沢山の銭と手紙があった。手紙には『少額ですが殿下の活動資金を工面いたします、もう一人の王子より』と書かれていた。キティグだ、と思った。それと同時に、キティグがこういう行動をおこしたということは、ザグゼインに内緒でおこなっていることだとすぐに理解した。ジブリールはなんとか面目が保たれた、と思った。


 最初の数日はその金で何とか凌いだ。次にキティグは自分の担当していた借金漬けの野菜売りの一家をジブリールに紹介した。なんでもその一家はキティグに『この人物を世話すると、今までの借金をチャラにしてやる』と言われたらしい。それでジブリールは厄介になった。すると一週間ほどでまたキティグから連絡があった。まとまった金が出来たので、新居を用意した、というのだ。もちろん案内役は例の坊主頭の男だ。


『あんたのことは、キティグの兄貴から何も聞くなって言われてるから何も聞かねーけどよ。あんたと兄貴の顔って本当に似てるな』


 坊主頭の男はそう言って屈託なく笑っていた。そして、一通の袋に入った手紙を差し出した。中にはこう書かれてあった。


『小さい家ですが、不自由なく暮らせる最低限の家具を備えてあります。もう一人の王子より』


 ジブリールは、鼻で笑いながら手紙を閉じた。

 こうしてジブリールは、もう一週間近く何もしないで暮らしているのだ。もちろん、もっと外の世界を知りたいという欲求はあったが、一度路上での生活を味わってしまうと、日々の生活がある一定の水準を保っている方がよほど大切、と思うようになってしまった。

 だが、だからといって、このまま王宮に帰るのは何となく気が引けた。全部ザグゼインの思った通りになったと認める事になるからだ。だからジブリールは、日がな一日外を眺めたり、何かを食べたりして暮らした。


 ――なんと自分は格好悪い生き物なのだ。

 そんなことをジブリールは思った。本当はもうそろそろ帰りたかった。父上に怒鳴られるのは確かに辛いが、それでもずっとこの家にいることに何の意義を見いだせなかったからだ。

 もう一度窓から外を眺めると、所々に光りが射してきていた。すると、自然と口角があがっていった。まぁ、考えるのは明日でいいか、とジブリールは思った。とにかく問題を先送りする事にかけては達人級のジブリールは、頭の中から《帰る、帰らない》という問題を追い出した。


 ジブリールは雨が嫌いだった。元々あまり好きではなかったが、今回の経験があり、より一層嫌いになった。そのおかげで雨上がりが好きになった。まだ濡れている地面も、これから乾いて温かくなるのだと思うと嬉しくなってくるのだ。

 だから、外に飛び出した。すると「号外!」という声がジブリールの耳に聞えてきた。どうやら誰かが号外を配って走っているらしい。その声を聞きながらジブリールは、もっと地面が乾いてから配ればいいのに、と思った。案の定、号外が地面に投げ捨てられベショベショになっていた。ジブリールはそれを親指と人差し指を使ってつまみあげた。インクがにじんでよく文字が見えなかった。


「これじゃ何のための号外か分かりゃしない」


 号外の文字は何かめでたいことを伝えようとしていた。それだけは分かった。どうやら毎年この時期に行われるミッドランドの軍事演習〈川睨み〉で何かがあったらしいが、そこを機転で乗り越えた、みたいな事が書いてあった。しかし、肝心な所が読めない。だが、まぁいいか、と思い、号外を投げ捨て、家に帰ろうと踵を返した。

 その時であった。

 号外を読みながら並んで歩く中年の女の言葉がジブリールの耳に飛び込んできた。


「まさか、ザグゼイン様が死ぬだなんてね」

「本当よね。王宮で一番期待されていた人なんでしょう? なのに、こんなことになるなんて」


 一瞬ジブリールの時間が止まった。

 彼女達の喋る言葉が上手く脳みそに入っていかなかった。

 中年の女性はどんどん遠ざかってゆく。心臓が鳴っていた。痛いくらいに鳴っていた。そしてようやく言葉が頭の中に入ってきた。


 ――ザグゼインが……、死んだ?


 全く予想だにしない言葉だった。そんなことあり得るはずがない、と思った。

 ジブリールは思わずその中年の女性のところまでかけた。

「頼む、その号外見せてもらえないか?」

 いきなり声をかけてきたジブリールがよほど気味が悪かったのか、中年女は無言でジブリールに号外を差し出すと、ジブリールもそれを無言でむしり取った。そして、しわしわになった号外に目を通した。


 震えた。

 頭の中がぐちゃぐちゃになり、息ができない、と思った。


「何かの間違いに違いない。そうだ嘘だ! 嘘に決まっている! 絶対にこんなことあるわけがないんだ。嘘だ。嘘だろ……ザグゼイン……嘘だあああああああ!!」


 通りの真ん中でジブリールは絶叫した。

 そこにはザグゼインが〈川睨(かわにら)み〉で侵略国家ウォーラの手先として働き、その場で処刑されたと書いてあった。


 そして、こうも書いてあった。


『素早く処刑を命じたプリンス・ジブリールの英断であった』と。


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