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入れ替わりの王子  作者: りんご
2章 それぞれの暮らし
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-10-

「殿下! 流石です!」

「殿下! お見事です!」

「なるほど、殿下そうこられましたか」

「殿下。ようやく稽古が面白くなってきたのですかな?」


 キティグは王宮の廊下をニヤつきながら歩いていた。さきほどまでの賞賛が体の奥をじんわりと温めていた。褒められると意外にも嬉しいもので、自然と口角が上がった。やはりあれが良かった、と思った。あの特訓が……。


 数日前に時は遡る。


 キティグはある願いをバルバレア国王に話した。それは、市中を忍んで見回りたい、という願いであった。バルバレアはその願いを快諾した。ようやく自分の息子が統治に興味を持ち始めたと思ったのだろう。街中の経済がどういう仕組みになっているか、普段どういう生活を市民が送っているか、それを知ることは統治の基本であるからだ。


 キティグは、2日の日程をたて、わずかなお供を引き連れ王都に飛びだした。だが、その願いは偽りであった。キティグは街中に入るふりをして、すぐにザグゼインの屋敷に入った。


 これがキティグとザグゼインのたてた策だった。

 ジブリールらしくない提案をバルバレアに持ちかけるのはある種の賭けだったが、そのおかげでキティグはザグゼインの屋敷で朝から晩まであらゆる訓練を行う事ができたのだ。

 乗馬、弓、文字の読み書き、歴史の勉強。とにかく、詰め込めるだけ詰め込んだ。文字の読み書きに関しては、それほど向上しなかったが、乗馬や弓に関しては、たった2日で驚くほど上達した。

 王宮に戻ったキティグはバルバレアに街の様子を話し、再び高貴な生活に戻っていった。それからというもの、土台が出来たキティグの学習スピードは上がり、日々が楽しくなった。自分の見知らぬ学問や武術に触れ、それを賞賛され、好奇心を刺激される日々は今まで味わった事のない贅沢でもあった。

 街中をかけずり回り、繰り返し同じ事ばかりしていた頃と比べると、えらい違いだ、と思った。廊下の向こうからザグゼインがやってきた。怒った顔をしていた。言いたい事は分かる、とキティグは思った。きっと、稽古が上手く行き過ぎてる事への注意なのだろう。


 ザグゼインが目の前で止まり「殿下、少しよろしいでしょうか」と声をかけてきた。


 ――無視してやろうか。


 だが、ザグゼインの殺気の籠った目がそれをすることを許さなかった。

 正直、鬱陶しかった。


 キティグは如何にも王子らしく「よかろう」と言うと、近くの一室に入った。

 ザグゼインとキティグが中に入ると、昼間であるにも関わらずどこかの騎士と下女が乳繰り合っていた。ザグゼインは顔を紅潮させ二人を一喝した。


「殿下の前でなんたることだ! さっさと出ていけ!」


 騎士と下女は、前だけ隠し、ほとんど生まれたままの姿で王宮の廊下に飛びだした。すると、扉の外から女の悲鳴と男の驚きの声が聞えた。その声を聞いたキティグは鼻で笑った。その笑顔が気に食わなかったのか、ザグゼインは顔を紅潮させたままキティグに近づいた。


「いいか、キティグ冗談じゃないぞ」


 キティグは敢えてとぼけた。

「どうたしのでしょうザグゼイン様、そんなにお怒りになって」


 すると、間髪いれずにザグゼインはキティグの腹に拳をつきさした。キティグは、くの字になってお腹をかかえ、床に膝をついた。ザグゼインは冷静な声でいった。


「いいか、くれぐれも声を出すんじゃないぞキティグ。この私にそんな舐めた口を聞いた罰だ。私が怒っている理由は分かるな? ん? 分かるな!?」


 キティグは首を縦に振った。

 ザグゼインは、キティグの髪の毛を乱暴に掴み、下あごを突きだし言った。


「私は稽古を上手くやれと言った。だが、殿下よりも稽古を上手くこなせとは言ったつもりはないぞ? うん? お前は偽物の王子だと皆に悟られ殺されたいのか!?」


 ザグゼインはそう言い終ると、次はキティグの頭を床に叩きつけた。

 正論だった。

 少なくとも、キティグはそう思った。

 だが、その正論は間違っている、とも思った。キティグは直にそれらの者に接しているから、彼等の反応や瞳から情報を得ることが出来る。彼等は疑ってなどいなかった。どんどん力をつける王子に対し、自分の指導がやっと実を結んだ、と考える者ばかりだった。キティグは金貸し時代の経験で知っている。

 人間は成功している時はその成功を疑わないものなのだ。土台この王宮に集められているのはその道の成功者ばかりだ。つまり「前出来たことが出来なくなった」という事に対して不信感を募らせる事はあっても「前出来なかった事が出来るようになった」という事に対しては、その事実を自然に受け入れてしまうのだ。キティグは唇を震わせながら言った。


「その点に関しては、大丈夫でございます。不審に思っている者はおりません」

 キティグの言葉をザグゼインは鼻で笑った。

「不審に思われなかったから大丈夫だといいたいのか? いいか、お前は大事な点を見逃している。それが何か分かるか?」


 分からなかった。


「殿下だ」とザグゼインが言った。「殿下は恐らくすぐにお戻りになられるだろう」


 キティグは大きく目を見開いた。ザグゼインは続ける。


「その時に、お前が下手に殿下を上回る成績を残しても面倒なのだ。分かるな?」


 しかし、とキティグは思った。ジブリールの口ぶりでは一ヶ月、いや半年、下手すると数年ここから離れる、という話のように思えた。キティグもそのつもりでいた。なにせ彼は「身分を捨てる」とまで言ったのだ。最低でもその程度の期間は代理王子を務めるものだとキティグは思っていた。ザグゼインは更に続けた。


「お前は殿下の言葉を信じたみたいだが、お前はあのお方を知らんのだ。どうせすぐに音をあげるに決まっている。おそらくいくら遅くても数日、いや1週間後には我が屋敷に泣きついてこよう。そして、殿下の恥を知るのは側近では私だけとなる」


 ここまで言われて、はじめてキティグはザグゼインの根底に流れる感情に気付いた。確かに始めこの男はジブリールの入れ換わり計画を止めようとしていた。だが、その実、積極的に計画に加担してきたのもこの男なのだ。


 ――この男には野心があるのだ。


 ジブリールにはそれなりに多くの側近がいる。ザグゼインと言えどもその中の1人に過ぎない。だが、ザグゼインは今回の計画を通して、二人の間に秘密を作り、よりジブリールと個人的な関係を結ぶことを望んでいるのだ。そうすれば、次代の王の最も信頼する側近として重く用いられる事になると思っているのだ。

 つまり、この入れ換わり計画は、ジブリールが途中で音をあげ、失敗する事が前提の計画なのだ。

 だが、なぜジブリールが途中で音をあげることなど分かる。あれだけの金を持たせたのだし、偶然上手く行く事だってありえる。それにあれだけの金があれば早々と王都から飛び出しているかもしれない。すると、ここでキティグは気づいたように口をあけた。


「まさか、ずっとジブリール殿下を監視されていたので?」

「当然だ。大切な御身であらせられるからな。そして、今は無一文のまま、王都の乞食広場の石畳の上に寝泊まりしている。分かっただろう? 我が屋敷に泣きつくまで、それほどはかかるまい」

「無一文?」とキティグは素っ頓狂な声をあげた。王宮を飛び出してからわずかな期間しか経っていないと言うのに、どうして無一文なのか。ザグゼインは、その声を聞いてほくそ笑んだ。

「赤毛の女に金を持ち逃げされたらしい。全く、世の中には悪い奴がいたものだ。くくく」

 たぶん、これは、とキティグは思った。証拠などない、もちろん見たわけでも確かめたわけでもない。タリスマンに育てられ、それなりに場数を踏んだキティグの勘が告げているだけである。だが、ほとんどキティグは確信していた。


 ――ジブリールの金を赤毛の女に持ち逃げさせたのはこいつ――ザグゼイン――で間違いない。


 ザグゼインは一通り言いたい事を伝え終わった、と思ったらしく、鼻から息を吐き「分かったな? 稽古の成績を適度に下げろ」というと、部屋から出ていった。

 静寂があたりを包んだ。

 キティグはしばらくザグゼインが出ていった扉を眺めていた。だが、やがて、大きな溜息をつくと、その場に腰を下ろした。

 キティグは、王子になってからのあらゆる場面を思い出した。

 もう一度溜息をついた。


 ――もう王子でいる時間は終わるのか。


 だがそれは、ただ元の生活に戻るだけ、とキティグには思えなかった。知ってしまったのだ、王子である、という快楽を……。それは一部に流行するアヘンにも似たものだった。豪華な食事を食べ、立派な服を着、ふかふかなベッドに眠る。ありとあらゆる者が自分に跪き、崇める、そして、指ひとつでどんな人間をも死に至らしめる。それは今まで奪われ続けてきた人生を送っていたキティグにとって、あまりに強烈な体験であった

 キティグは唾を飲み込んだ。

 元に戻るのか、と思った。自分の生活はあの惨めなドブの中に――

 今まで頑なに閉じていた《キティグ》であった頃の記憶が一気に蘇ってきた。


 鼠や猫が這いずりまわる床、冷たい風を通す藁葺きの家、タリスマンの顔色をうかがい、その一言一言に気を払う毎日。貸した金を回収するため、時には拳をつかい、時には人を死に至らしめ、恨み、恨まれ、足蹴にされ、この王宮を見ては胸が焼け焦げるほどの嫉妬で不平や不満をつぶやく。それなのに、その美しさに思わず跪きそうになる。そんな哀れな人生を送っていたのが、今思う元のキティグであった。


 歯が震え、目の奥が熱くなり、息がつまりそうになった。タリスマンのニヤつく顔が目の前にある気がした。その顔は、臭い口をあけ、女言葉をなげかけてくるのだ。


 ――どこかに飛べるとでも思ったのかしら? お前はね。ずぅっと私の下にいるの。一生地べたを這いずり回るの。分かった?


 見えない首輪によってタリスマンに引きずりこまれてゆく気がした。キティグは、苦しくて喉ぼとけのあたりをさすった。すると、そこには確かにあった。見えない首輪が、確かに。

 キティグの全身の鳥肌が立った。


 ――嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。絶対に嫌だ!!


 キティグの細胞の全てが元の生活に戻る事を拒否していた。

 すると、キティグの頭が高速で回転を始めた。それは、どうしても嫌な事があると、決まってそれから逃れる為に頭を働かすキティグの癖だった。きっとタリスマンの下で生活するうちに自然と学んだ術なのかもしれない。つまり、一種の逃避に近かった。だが、そうやってキティグはいつも答えを導き出してきた。どうしよもならない場面をその頭脳でなんとか覆してきたのだ。


 だから、この時も、ある答えを頭が導き出した。

 とてもシンプルな答えを。

 キティグは笑った。酷い笑い顔だった。それは、口角の片方をつりあげた、この上なく〈悪い顔〉だった。この笑顔は、素晴らしいアイデアを発見した時だけにみせる、キティグの悪魔の笑顔だった。


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