第70話 眩しさに目を細め 中編その2
再開しました。どうかお付き合いをお願いします。
宵闇は薄れ始めていた。地平には朝日が登り、空の境を薄紅へと染めている。
それでもまだ天幕は薄暗い。揺れる灯火に合わせ、影もまた仄かに踊る。
そんな中、彼らは緩く、穏やかに会話をしている。
張り詰めていた空気も解けて久しい。
フィロの声には先ほどまでの緊張はない、アレフの怒りが消えていると分かっていたけらだ。
時々冗談めかす軽口で話すが、アレフは軽くて受け流している。
アレフの怒りが引いた事を実感し、彼女は心から安堵していた。
諸々の報告が終わり、空気が僅かに緊張する。これからが始まる本題のためだ。
本題とは、女神ライファについてだった。
・
女神ライファ
それは敵だった存在だ。
自称破壊の女神にしてディーファの姉
そしてアレフは彼女と闘い、結果的に瀕死を負った。
彼女は一年前、指揮する魔力強化体第二大隊の部下達を殺してアメリアへと寝返った。
そしてアメリアでも異常体に変異する魔法術式を使い、都市スコルプの二十万人もの住人達を異形体へと変異させた。
これによって生まれたのは、まだ10万体ものサナギ状態の異形体達だった。
もしこれらが孵化していたら、周囲の都市どころか、星そのものの生命が食い尽くされていたかもしれない。
幸いにも、事前に察したフィロとディーファ達の尽力により、異形体達は孵化前に全滅させた。
被害は最小限に抑えられたが、それでもライファよって都市一つが滅んだ事実に変わりはない。
この異形体討伐の過程で、ライファからの妨害もあった。その結果、死者こそ出なかったものの、アレフを始めシェイド、クリス、そして獣人達が重傷を負わされ、ディーファも戦闘不能へと追い込まれてしまっている。
しかしアレフの健闘もあり、どうにかライファとの和解を取り付けられた。
一応は相互不可侵の形だが、口約束でしかない。
まだライファを信用できるはずもなく、今後も警戒の必要があり、それを話し合う予定だった。
真面目な課題であり、緊張するのも当然だった。
・
のだが・・・
『いやあ参りましたねえ、あはは』
フィロの異様に能天気な笑い声が響いた。
あるべき緊張の空気は、初手から見事にぶち壊されていた。
『女神!よりにもよって女神様ですよ』
最大限に気を引き締めるアレフに反し、フィロは能天気と思える程に軽かった。
『破壊を司る女神って、本当なんですかねえ?ともあれ、無事なんとかなって良かったですよ』
フィロの軽い言動が癇に障ったのだろう、アレフは不機嫌そうに眉をひそめた。
「くれぐれも油断だけはするな。まだ脅威は健在だ、過去形で語るには早い」
『あはは。しかしまあ、是非とも過去形にしたいものではありますけどね。はっはっは』
「気遣いはありがたいが、少し緩みすぎだ」
『いえいえ、締めるとこは締めておりますので』
「分かってはいるがな。こちらの気が緩みそうで怖い」
『心にも無いことを』
『油断するな』とのアレフの皮肉を、軽く受け流すフィロ
そしてそれが気遣いと分かるアレフも、怒らずに苦笑するしかなかった。
・
『現在ライファの所在は不明です。まあ私なら簡単に見つけ出せますけどね。取り敢えず探し出して、監視しておきましょうか?』
「相互不可侵の約束を取り付けた相手を監視か。どうにも体裁が悪いな」
アレフは少し考える素振りをすると、それから気難しげな表情で首を振った。
「やめておこう、探査自体も同様だ。必要があれば指示する。それまでは絶対にするな」
『おやおや、随分と消極的ですね。禁止の理由くらいはお聞かせ下さいな。まさか本当に体裁が悪いからなんて理由ではないですよね?』
歯切れの悪そうなアレフに、フィロがからかうように応えた。
「お前にごまかしは通じないから。本音は言えば、ライファが怖いからだ。これで満足な答えになれたか?」
『怖い?・・・いやまさか?天使とやらをぶちのめしたあなたが、今更神様とやらを怖がるのですか?』
フィロは驚きの声で応えた。
『怖い、怖い・・・うーむ、それは予想外でした。嘘ではなさそうなので、本気で困りますね』
フィロは本気で考え込んでいた。
軽口混じりで話しているが、実際はアレフの指摘の様な油断など全くない。
それどころか、ライファを最大の脅威として警戒している。
だから監視はしたいのだが、禁止されるとは思っていなかった。
『あー、誤解しないで下さいね。今は本気、あなたをからかうつもりはないですから』
「長い付き合いだ、その程度は分かっている」
『それはどうも。しかしあなたが怖がるなら、なおさら監視は必要では?』
アレフの安全を最優先するフィロには、ライファの監視は必須、絶対に外せない。
「逆探知された場合が怖い。私はともかく、お前が危険だ」
そんなフィロの思いにも関わらず、しかしアレフは頑として首を縦に振らない。
『え?私が危険と?え・・・あり得ませんよ』
納得できないフィロも食い下がった。
「奴はお前を欲しがっていた。逆探知でお前の居場所がバレた場合、お前を奪われる恐れがある。それは最悪だ」
「はっ?私を奪い取る?宇宙にいるのに?」
冷めきった紅茶を飲むアレフの耳元で、フィロの素っ頓狂な声が響いた。
・
『いやいやいや、物理的に無理ですって。それとも何か根拠があるのですか?単なる予想ですよね?恐れる必要なんてないですから』
「少ないが可能性はある。可能性がある以上、恐れるに事足りる。自重してくれ、私もそうする」
『こ・・この人が自重なんて言葉を使うなんて』
アレフのあまりに意外な言葉なのか、フィロはしばし絶句した。
『ま・・・まあ、確かに可能性なんて幾らでも作れますから、完全に否定出来ませんよ。でも、そんなのほんの些細なものです』
「ごく些細な可能性とやらに、歴史が動かされた瞬間を何度も見てきた。それがどうしようもない恐ろしい。臆病者と笑いたければ笑え」
『卑怯な言い回しですね。笑えるわけないでしょうが』
フィロの拗ねた声を聞きながら、アレフは空になった杯を置いた。
「今は私達は不安定な天秤の上にいる。下手に踊ればいずれかに落ちる。それはごめん被りたい」
『今更?いつも天秤の上で踊りまくった挙げ句、傾けるどころか崖から突き落としてきた人が言いますか?今まで通り、あなたが傾きまくった天秤を力づくでひっくり返してぶっ壊せば良い話でしょうが』
「・・・私を何だと思ってる?それだとまるで破壊神だぞ」
『良い例えですね、これから使わせてもらいましょう。ごきげん麗しゅうございます、破壊神アレフ様」
困り顔をするアレフに対し、フィロは心底呆れた声で応えた。
ある意味フィロはアレフをまったく信用していない。
これまでの長い旅路、アレフは事あるごとに色々とやらかし、その度に(本人は否定するが)自ら厄介ごと飛び込み続けてきた。
最後には解決(主に物理的に)してきたが、その度にフィロが受けた苦労と迷惑は計り知れない。
今更自重しろなど、説得力がまるでない。
「・・・天秤は動かせない、今回ばかりはな」
多少は自覚があるアレフを、目を泳がせ苦笑した。
「次は勝てない、地力が全く違う。先程も言ったが、彼女が本気なら負けていた。それは戦った私自身が一番痛感している」
『そうは見えなかったのですが・・・いや、でもあなたが言うのならまあ・・・うーん、認めたくないですね。でも戦闘の素人の私では、反論の根拠が見えない。嫌だな』
フィロは食い下がった。
事実を突きつけられても、フィロの心は納得を拒絶していた。
・
アレフと出会う以前、フィロはかつての旅で相棒を五度死なせてしまった。
だから恐れていた、また今度はアレフを失うことを。
ライファとの戦いで、アレフは死にかけた。
手を出すなとの厳命がなければ、なりふり構わず乱入していただろう。
あの時、泣きながら見守るしかなかった。
あれ程無力を嘆いたことはない・・・
・
『私も戦いたい・・・でもあなたなら勝てると信じています。それでも私も力になりたい』
「力に?いや今のままでも十番助かってる。これ以上は制約があるから無理だろ」
フィロの絞り出すような願望に、しかしそれに気が付かないアレフは不思議そうに首を傾げた。
『あー、この唐変木が!んなもん、私が一番良く分かってますよ!』
「なぜここで怒る?」
突然怒り出すフィロに、唐変木が首を傾げた。
『うっせい!怒っちゃいけませんか?私はあなたの相棒なのにこれ以上力になっちゃいけませんか!ああそうですか!』
「落ち着け。一体どうしたんだ?まさかお前自身が戦闘に加わりたいのか?だが、それは賢者達に禁止されているのだろう?無理をするな」
『くっ!・・・・分かってますよ、ああその通りですよ。くっ・・・すーはーすーはー・・・冷却するのでしばしお待ちを」
フィロは悪態をついた後、自身を熱を覚ますため深い呼吸を入れた。
『えっと・・・今は賢者様とは通信が途絶してますので、私の独断専行・・・臨機応変な現場判断が許されます、多分。それに仮に直接戦闘をしたとて、記録を消去してしまえばバレる余地はない。つまり事実自体が存在しなくなるのです』
フィロのヤケクソ気味な宣言の後、重苦しい沈黙が訪れた。
アレフは鎮痛な面持ちで頭を抱えていた。
「すまないフィロ、私の悪い面に影響を与えてしまったらしい。本当にすまなかった」
そう言うとアレフは、これ以上ないぐらいに深々と頭を下げた。
『え、マジもんのガチで謝られてる?私そんなに酷いこと言いましたか?』
「事実云々はともかく、頼むから戦闘はやめてくれ。相手は神だぞ。私達とは隔絶した壁がある。いくら強くかろうが次元そのものが違う。お前の傷ついた姿を見たくない」
『ぬっ・・・うー、うー、そりゃ私だって見られたかは・・・うー、分かりました戦闘はあなたにお任せします』
何故かフィロは照れたような声で少しだけ押し黙った。
・
『それなら!』
沈黙の後、フィロが唐突に叫んだ。
「あなたが神にに至れば!あなたの例の切り札ならきっと!』
「それは過ぎた力だ。それに代償がつきまとう、必ずだ」
アレフは疲れた顔で首を振った。
「切り札は使えない。使わないではなく、使えない。これ以上の代償はさすがにきつい」
『・・・え・・・もしかして既に代償を?」
「心配するな、今回は大したことはない。次はどうなるか分からんがな」
声をを搾り出すフィロを心配したのか、アレフは優しげな声で応えた。
「フィロ、この飲み物の成分を分析してくれ」
そう言うとアレフは先程から何度か口にしていた水杯を掲げた。
『?主に水分と果糖、それとわずかに塩分、要するにただの果実水です。そんなの飲んでるあなたが・・・もしかして味覚がない?』
「察しが良すぎるのも困りものだな。まあいい、味覚だが完全にはなくなってない、僅かだが甘みは感じている。果実水とまでは分からなかったがな。幸い他の五感は大丈夫そうだ」
『私の権限で許可します。直ちに惑星の探査は中止にし、戻ってきて下さい。精密検査をします。もしかしたら脳に損傷があるかもしれない』
「たかが味覚だ、それに以前にも同様の経験はしている。その時は3日で治った」
『今回も元に戻るのですか?』
「さあな、戻らんところで特段困りもしない」
こともなげにそう言うと、アレフは笑いながら首をすくめた。
・
シェイド達を助ける時、アレフはとある切り札を使った。
事態が切迫していたため、使わざるを得なかったからだ。
それは『魂の解放』と呼ばれる禁忌の技
とある秘術を用いる事で、魔力と肉体能力を劇的に向上させる。
しかしそれはあまりに強すぎる力
結果アレフは彼らを助け、そして幾つかの代償を支払った・・・
・
『あなたの頑固さは身に染みて知ってますので、説得は諦めます。でも異常があればすぐに戻ってきて下さい』
「そうしよう。さて身体はどうでも良いが、問題は魂の方だ。今回も相応に擦り切れた。あと何回使えるかは分からんが、一桁前半あたりだろうな」
『・・・・私が軽率でした。ライファとは戦わないで下さい。本当に申し訳ありませんでした』
答えるフィロはわずかに涙声だった。
「謝るな、これが私自身の選択した結果だ。それと、このことは絶対にシェイド達には言うな。余計な心労を負わせたくない」
『それは了解しましたが、私にも責任があります。せめて何か償いを」
「謝るなと言ったはずだ。それ以上は私への侮辱になる」
『それは・・・私は無力で・・・』
「自身を責めるな。お前は何も悪くないし、この上もなく頼もしい私の相棒だ。この言葉に嘘はない」
今にも泣きそうなフィロに対し、アレフは優しく暖かい声で応じた。
「私には約束がある。それを果たすまでは死ねんさ。それだって・・・いや何でもない」
アレフは唇を吊り上げ肩をすくめる。
それはどこか嬉しそうな様子だった。
『分かりました!』
突然フィロが声を張り上げた。
『ライファを最大の脅威と認定し、極力接触を避ける方向で検討します。命令通りライファへよ監視は実施しません。しかし保護対象のあなた付近に反応があった場合は報告します。それは構いませんね?』
「そうしてくれ」
ようやく納得したフィロに、アレフは満足そうに頷いた。




