四章九話 『一つの終わりと、始まりの夜』
見覚えのある天井だった。
部屋の外でせわしなく動く数人の気配、薬品の臭い………診療所だ。
「起きたか」
オオバコのベッドに背を向ける形で机に向かっていた医師ナツメは、いつもの無表情をこちらに向け声をかける。
「……………戦いは?」
「終わったよ。今は、動ける者は片づけをしている」
「あれから何日経ったんすか?」
「5日だ。君は負傷が酷く、一時は危なかった」
「……………カシューはどうなりました?」
少しの、間。
「死んだよ」
ナツメは少し、厳しい顔でそう告げた。
「腹部が抉られていた。手当のしようもなく、戦闘中に命を落としたと聞いている」
「………そうですか」
オオバコはベッドの脇の窓へ目を移した。
ナツメはそんな彼を見届け、1つ息を吐く。
「今日目覚められたのは幸いと言えるのかな。ツワブキ氏が送魂式を行うらしい。
自由参加で、式というよりは集まりのような緩いものだそうだ。
今夜、屋上に適当に酒を持ち寄って、適当に始めるんだとさ」
「…………そうか。分かりました。行きますよ」
「まだ一人で歩ける体じゃない。
…………行くなら私が付き添おう。それまでは寝ててくれ」
「そうします」
大人しく布団に体をうずめるオオバコ。
普段の陽気さは見えず、目の前のことに焦点が合っていない。
ナツメはもう1つ息を吐くと、また机へ向き直った。
ハルピュイア戦役。
銀の団が魔王城に移住した一年目の流れ月、172匹のハルピュイアが魔王城を急襲した。
銀の団は魔王城に籠城し、屋上にてこれを迎撃、その全てを駆除し終える。
途中、地下よりウォーウルフの群れの急襲があったが、戦闘部隊アシタバ、ラカンカ、キリの三名が対応、群れの半数を駆除した後、追い返すことに成功する。
また、魔王亡き後、初めて朱紋付きが確認された。
遥か上空より飛来したそれは、他の朱紋付きに違わぬ圧倒的な戦闘能力を見せつけるが、銀の団に帯同していた勇者リンゴがこれを迎撃。
討伐報告
ハルピュイア172匹。
ウォーウルフおよそ47匹。
朱印付き、鳥王ジズ。
戦死者 八名。
夜。
ナツメに支えられながら、オオバコは松明に照らされる石畳を辿り、やがて魔王城の正面玄関に着く。
その脇にはハルピュイアの死骸が山積みにされていた。
地上のが寄せられたものと、屋上から落とされたものだ。
中にはウォーウルフの死骸も見える。
その前には、アシタバとキリの二人が立っていた。
「…………………おぅ」
「………なんだか、久しぶりだな。もう体はいいのか?」
「ま、付き添いありでなんとかな」
夜の暗さに気まずさが息づく。
会話を少なめに打ち切ると、彼らは屋上を目指した。
屋上の中心、鐘の横には大きな篝火が据え置かれていた。
大工班の運び込んだ角材が篝火を中心にすり鉢状の場を作っており、人々はそこに思い思いに腰かける。
まだ傷の癒えぬ者、警備につく者、子供をあやす者を除き、銀の団の大半がその集まりに顔を見せた。
ほどよく人が集まったところで、篝火の側にツワブキが立つ。
いつもと違う、暗く真剣な顔つきだ。
「…………みんな、よく集まってくれた。ぼちぼち始めるか……………」
そう言うとツワブキはゆっくりと、戦死した者たちのことを語り始めた。
その者が、どういう人物だったのか。
何をして。何が好きで。どこから来て。どうして来て。
どう戦って。どう、死んでいったのか。
「―――次は、ミセバヤか。こいつぁ大した酒飲みでよぉ。
俺に飲みで勝てる数少ない奴だったな。
笑い声がうるせぇし、ザ・荒くれって感じだったが、初めて顔を合わせる奴らの多い銀の団、戦闘部隊にゃ、いて助かる陽気なおっさんだったぜ」
「私、彼と会ったことがあるわ」
ツワブキから少し離れ、ローレンティアの呟き。隣のエリスだけがそれを聞き取った。
「見張りをしていた時に一緒になったの。本当に陽気な人だった。
私の、樹人のことなんかを笑って褒めてくれて」
目は彼女の膝へと落とされ、手は強く握られている。
エリスはその様子を無表情で見守る。
「あの………ジズがやってきた時にとびかかった一人だった。
私がすぐ側にいたんだ。私がちゃんと、的確に動けていればきっと………」
「それは傲慢というものでしょう」
やはり。
やはり泣き月にエリスが感じ取った不安は、ローレンティアの中で貪欲に成長を続けていた。
「あの場にはツワブキ様を始め、名だたる英雄が揃っていました。
それでもどうにもできなかったのです。
そもそも朱紋付きという存在は、戦争時代、各国に甚大な被害をもたらしました。
何千という兵士が彼らに立ち向かい、そして敵わなかったのです。
ローレンティア様は彼らが無能だと?」
「そ、そんなことは!」
「あなたは王族で、兵士ではない。城の中で暮らしてきた。武将ですらないのです。
何千という兵士や、歴戦の英雄にできなかったことでご自分を責めるのは、どうかおやめください」
ローレンティアは黙る。反論はない。けれどエリスには分かっていた。
彼女は納得をしたわけではない。
貪欲に、次はどうすればいいかを考え始めている。
かつて古城に閉じ込められ、人に疎まれ続けた彼女に、銀の団での称賛は初めての経験だった。
喝采を求める英雄願望の類ではない。
否定されいないように扱われ続けた自分と、そんな自分でも認め受け入れてくれる銀の団。
絶対防御の呪いを持っているとはいえ、ハルピュイアの大群を前に最前線を張り続けた彼女の決断を。
その異常性を、エリスは不安に思っていた。
「――――次は、あー………次は、カシューか」
ツワブキの声が少し沈む。
「あんまり死んだ奴を不平等には扱いたくはねぇが、カシューは若すぎた。
早過ぎなんだ。まだまだ、あいつはこれからだったのによ」
アシタバとオオバコは、真剣な顔でツワブキを見ていた。
「魔物に奪われた故郷を元に戻すために、探検家修行で魔王城に来たらしい。
おじいさんが測量士だったそうでな。
魔王城上階の探索に携わったあいつは、丁寧な地図を作った。
ハルピュイア迎撃準備の時に大いに使わせてもらったよ」
ツワブキは頭を掻く。
「丁寧………丁寧な奴だったな。
一度、樹人の処理でミスったが、それ以降は罠系に関して人一倍気を使っていた。
臆病と言われるかもしれねぇが、俺に言わせりゃ慎重だ。
俺はさ、あいつは結構いい探検家になると思っていた。
何せ、若い時のディルとそっくりだったからな」
ディルは憂いを残した困ったような笑みを返した。
「慎重で、仕事が丁寧。
探検家って仕事をするにあたって、何が一番大事か知っているか?
強大な魔物を打ち倒す戦闘力?あらゆる魔物にも対応できる知識量?
どんな危険地帯へも臆せず飛びこむ冒険心?そうじゃあねえ!」
ツワブキの声に熱がこもる。
「俺に言わせりゃ、武勇を語る探検家なんざ三流だ!
俺たちは魔物の巣へ、奴らの領域へ潜り込む。
危険な場所だ。知り合い、家族にゃ心配をかける。
だから俺たちは、帰らなきゃいけねぇんだ。
無事に生きて、元いた場所へ!!武勇も功績もいらねぇ!
恥も外聞もなく、ただ生き残ろうとする…………。
臆病さ。それが探検家に求められる、一番の才能だ。
あいつは、それをちゃんと持っていた………」
項垂れる。ツワブキは、期待をしていたのだ。
「俺はあいつを、故郷を取り返せるぐらいの、一人前の探検家にしてやろうと思ったんだ…………」
夜に響くその声は、しかしもう届かない。
戦死者 八名。
銀の団は初めて、喪失を経験することとなる。
「――――送魂式っていうの、初めてでしたけどいいもんですね」
屋上での送魂式が終わり、深い、深い夜のこと。
赤い顔をしたオオバコはツワブキに話しかける。
地下一階、クロサンドラの『サマーキャンドル』には、式を終えたツワブキを労うべく、数人が集まり酒を飲んでいた。
ディル。アシタバ。キリ。ローレンティア。エリス。タマモとモロコシ。そしてオオバコだ。
「本来はしみったれたのぁ、苦手なんだがな」
「でもなんていうか、誇張をせずいた人を語るっていうのが、確かにこういう奴だったなって思えてよかったです。一緒にいたんだって実感できた。それにあれもよかった」
「あれ?どれだ?」
「俺たちは生きて帰らなきゃってやつ。
『泥を啜って酒を飲む』の序章にありましたよね」
「お前、あの本を………俺の恥部を読んだのか!?」
【凱旋】のツワブキ、インタビュー式の探検家指南書、『泥を啜って酒を飲む』全十二巻が、とにかく酒を飲ませ上機嫌にさせたツワブキから作者が引き出した酔っ払いの戯言集というのは、探検家の間の常識だ。
「ええ。後半のよく分からない武勇伝?は見てないっすけど……。
序章は好きなんです。俺たちは生きて帰らなきゃいけない、っていうの。
だから俺は………誇りのために死ぬ騎士でも、金のために戦う傭兵でも、あるいは農民でもない。
この魔王城にきて、探検家を目指そうと思ったんです」
「…………そうか」
「俺、魔王城に行こうと思うんだ」
兄と同じような切り出しを、オオバコは妹に告げる。
銀の団の団員募集は彼らの辺境の村にも届いていた。
「………そうなると、思ってた」
しかし、妹のツクシは驚かなかった。
「兄貴がどういうものに立ち向かって、どういう場所で死んだのか………。
俺はそれが知りたいんだ」
「うん」
「本当に。本当に、自分勝手なのは分かってる。心配と迷惑を沢山かける」
「ははっ」
ツクシが可笑しそうに笑う。
「心配?せぇへんよ。家族を捨てて、死人を追いかける奴のことなんか。
人間、みんな一人で生きて一人で死ぬんよ。大兄も兄貴も、私もおんなじ。
だからどこでも好きなとこへいって、好きに野垂れ死にぃ」
兄だけではない。
村からは何人かの若者が国の兵士に志願し、魔物達との戦場へと向かっていった。
故郷を守るためと、ツクシと仲の良かった幼馴染も戦場へ旅立ち、そして戻りはしなかった。
この村まで、戦火はやってこなかった。
だけど遠くの戦火が、喪失が、人の心を削っていくんだ。
夕焼けの畑の中で見た妹の笑顔は、ひどく、ひどく歪で。
「…………家族なんだ。一緒に生きてきたんだ。
本心と、そうじゃないものは分かる」
現在、オオバコが呟いた。
酒は進み、面々は酔っ払い。既にいびきをかく者もいた。
オオバコを診療所へ送るため、酒を控えめにしていたアシタバとキリが、その言葉を受け止める。
「カシュー、いなくなっちまったんだな……いいやつだった。
俺がこっちで知り合いがいない時に、向こうから話しかけてくれてよ。
それで仲良くなったんだ。真面目な奴、村にはいなかったからな。
あいつといて面白かったよ」
オオバコが十何杯目かの酒を喉に流し込む。
「カシューは死ぬべきじゃなかったんだ……!
あいつも生きて帰らなきゃいけなかった!
たった数カ月一緒にいただけなのに、こんなに辛れぇ……!」
「…………ああ」
「アシタバ。俺ぁ、生きるぞ。この魔王城がどんなところか、知って。
一人前の探検家になって、故郷に、村に帰る。
俺ぁ、強くなる!!この魔王城で生き抜いてやる!!
誰をも守って、手前も殺さねぇ探検家になる!!」
「ああ」
「なんとしても、生き延びるぞ」
ハルピュイア迎撃戦を経て、銀の団全員が、魔王城に住むとはどういうことかを実感した。
流れ月。魔王城居住区化が始動して四カ月。
銀の団の、序章と呼ばれるものが終わろうとしていた。
地上一階、スライム狩り。
地下一階、樹人の巣探索。
地上二から四階、人魂討伐。
そして屋上、ハルピュイア迎撃戦。
内容はともかく、これらはいずれも魔王城というダンジョンの入り口で行われたものだ。
これより、銀の団は挑み始めることとなる。
世界最難関と言われるダンジョン、魔王城。
その深く、深くへと。
四章九話 『一つの終わりと、始まりの夜』
第四章 了