第拾漆話 君の幸福を、ただ願う。
芯熟の街は混乱にあった。
瑞那と翠戦に諭されたねずみ小姓たちが連携し、一般観光客の避難誘導に尽力してはいたものの……。
「ちゅちゅッ!! 皆ちゃま落ち着いて欲しいのでちゅ! 押さないで駆けないで適度に急いで欲しいのでちゅー! ちゅあ!? ちょ、流ちゃれるぅーーッ!?」
誰もが誰も、我先にと街の外へ向けて駆けていく。
いくら数の多いねずみ小姓と言えど、一匹一匹は矮小。
とてもではないが、混乱した人間の濁流を御せるはずがない。
「溜息……これはもうお手上げと言わざるを得ない」
大きな硝子提灯を下げた鉄塔に登った瑞那。
はちゃめちゃに乱れる群衆を見下ろして、やれやれと溜息を吐いた。
先ほどまでねずみ小姓たちに混ざって避難誘導を行っていたものの、先の言葉通り「これはどうしようもない」と諦めた。
「人を束ねる才覚のある者がいれば、話は違ってくるけれど……この場で唯一それができそうな領主はこのザマ」
瑞那の傍らには、ぺたりと座り込んだ翠戦と、ねずみ小姓から引き継いだ芯熟領主・鉦盛が転がされている。
鉦盛は未だに白目がん剥きで気絶中だ。
「んまぁ、話に聞く下郎っぷりじゃあ、あの混乱を治められるような統率力は無さそうだがな」
翠戦も瑞那につられるように溜息。
「手っ取り早い方法としちゃあ、あいつがさっさと大帝を潰して、事を片付けてくれるってのがあったんだが……」
翠戦がぷるりと揺れながら顔を向けた方角。
かなり離れていると言うのに、大帝の超巨体の全容が視界に収まりきらない。
「大帝がまさかあんな隠し玉を持ってるたぁな……」
あの超巨体から響く声。大帝の声は、もちろん翠戦たちにも聞こえていた。
悪機大帝、覇死・震沌。
真名、神物・巫類都産。
十中八九、騙り……と決めつけたいところだが。
――神代の終焉。
神々は【異星より侵略してきた禍々しき邪神ども】と戦うため、この星の生命の守護を仙物に託し、空の彼方へと旅立っていったとされている。
その頃、巫類都産は人間の愚かしさを嘆き、冥界に閉じ籠っていた。
つまり……巫類都産だけは、神代が終わってもこの星に留まっていた。
今、この現世に出現してもおかしくない。
そして、人類の愚かしさに失望した巫類都産なら……禍の国を足掛けに全人類を侵略――いや、侵害し殲滅する動機もあるだろう。
もしも、本当に大帝が神物なのだとすれば……。
「嬢様なら大丈夫」
「あー、はいはい。わぁーってるよおめーの嬢様最強信仰は」
「そうとも言えないらしいニャ」
「「!」」
突如、瑞那と翠戦の会話に割り込んできた声。
いつの間にか、黒い尻尾を二本生やした奇怪な虚無僧が、翠戦の後ろに立っていた。
「あんだ、おめー……気配からして、化生っぽいが」
「御名答。ワシの名は……いや、名乗るのはやめとくニャ。あいつに報告されると面倒ニャ」
「ニャ―ニャ―うっせぇな。さては【猫又】か?」
「にゃんビクゥンッ!? ニャ、ニャぜそう決めつけるのかニャ!? 良くニャいと思うニャ~。そう言う偏見」
「……質問。先の発言は、どう言う意味?」
あからさまに怪しいが、どうにも詳細は伏せたいらしい黒尻尾の虚無僧。
この手の変態は雫紅で腹いっぱい。わざわざ詮索する趣味は無いので、瑞那はさっさと本題に入ってもらうように促す。
「このまま行くと、あいつ……雫紅は、あのデカブツに嬲り殺されるらしいニャ」
「……どこの誰かは知らないけど、私に喧嘩を売っているのなら買う」
「いや、違ニャぃうおッ!? ちょ、いきなり手裏剣投げる普通!? か、掠った今! もーッ! あいつの世話を焼けるような奴って聞いてたからまぁまともじゃあニャいだろうとは思ってたけど!」
「宣言。次は当てる」
「ニャッ、待て! 待つニャ! 別にこれワシの意見じゃあニャアし! ワシだってあいつが負ける所とか想像できニャアけど! あの黒い機械の予言は当たるニャ! 実際ワシの発言や行動は完全に見透かされたニャ! 信じるしかニャアだろうよ!?」
「黒い機械?」
「予言?」
ふと、瑞那と翠戦は顔を見合わせる。
両名とも、ある知り合い……と言うか、ある敵の顔が思い浮かんだからだ。
「ともかく、話を最後まで聞いてくれニャ! ワシは件の黒い機械から、『雫紅が勝てる未来』を実現する方法を聞かされて来たんだニャ! だからおみゃあらと、ねずみどもに協力して欲しいんだニャ!!」
◆
「……下郎がッ……!」
「プルハハッ、怒りを感じるぞッ! だがどうするッ? もはや貴様に勝ち筋はないぞッ! なにせ帝がみっともなくッ奥の手をッ出してしまったのだからなァァァッ!!」
「おまえが決める事ではないッ!!」
刀を構えた雫紅が、一面に敷き詰めれた大帝の機体上へと飛び込もうとした。
――だが、その時。
雫紅の眼前に、巨大な何かが降ってきた!!
「ッ!?」
思わず、雫紅は急停止。
目の前にそびえるのは……空気摩擦で所々朱色を帯びた黒い鉄塊。
既視感がある。
「これは……」
「フフ……相変わらずすべてが尊いな、雫紅」
その第一声に、雫紅は思わず「げぇっ」と嫌悪感を露わにした。
……間違い無い。
黒い鉄塊が、機械音と共に開帳。本来の姿を顕現させる。
雷光のように青白くほとばしる眼光の黒い巨人型機械――羅刹四将最強にして、完璧な演算機構を以て未来すらも読み尽くす悪機!
尽読の千鍛だ!
雫紅の事を正面切って「尊い尊い」と連呼する変態機である!
今まで一度しか会った事はないが、正直雫紅は苦手意識を抱いていた!
「一体、何をしに……」
「決まっているだろう?」
ああ、言われてみればそうだ。
千鍛は悪機。大帝の配下だ。この状況、大帝を加勢しに来たに決まって……。
「君を救うために来た」
………………………………。
「……はい?」
「君を救うために来た」
二度言った。
どうやら、聞き間違いではないらしい。
「あのまま飛び込めば、君は大帝の掌中。嬲り殺しにされている所だったとオレの完璧な演算機構は予見していた。だから救いに来た」
「……あなたは、悪機ですよね。あれの配下ですよね?」
「悪機である事はその通り。だが……配下だと思っていたのは、オレたちだけだったようだ」
「!」
「演算籠りをして、オレの完璧な演算機構はかつてないほどにすべての事象を演算し尽くした。大帝が復活する事も、そして君とどんな言葉を交わすのかも、すべて演算済みだ。そしてそれを承知したオレの結論を、今、君に伝えよう」
「は、はぁ……」
「どうせただの糧として喰い潰されるならば。オレは尊い君のために喰い潰されたい」
真っ直ぐに、雫紅を見下ろす青白い瞳。
その瞳は、誠事だ。
雫紅はよく知っている。
なにせ、自分がよくする眼の色だから。
初めて雫紅と会った時のただ狂ったように「尊い」を連呼していた悍ましい眼ではない。
あの時とは明らかに違う。とても重要なものを理解した眼。
己が愛するものに誓いを立てる。
そんな心情の眼だ。これは。
ああ、そうだ。
これは、荒々しく好意を叫ぶ狂者の眼ではない。
これは、ただ真っ直ぐに愛を謳う変態の眼。
――余計な言葉は、不要。
互いに、一路盲目になれる存在がある変態同志には、通じるものがある。
「君はかつて、オレの演算を信じてくれただろう。また、信じてくれるか? 雫紅」
「…………承知しました。千鍛殿」
「ありがとう」
そう言って、千鍛は鋼の表情を歪めて、笑った。
「オレは必ず、君の未来を切り拓く。だから君は、オレがどうなっても、大帝が何を言っても、オレの演算を信じてくれ」
「はい。千鍛殿。拙者は、何をどうすれば?」
「ここはオレに任せて、あの河童に会いに行け。そうすれば、大帝を倒す力がそこに揃う。仔細は、あの猫又が向こうで説明しているはずだ」
千鍛は己の腰部に手をあてがい、血黒刃の大剣・冥月刀を引き抜き、構えた。
「任せてって……しかし、それではあなたは……」
先ほど、千鍛は「大帝に勝つために」、雫紅に「翠戦の元へ行け」と言った。
つまり、大帝を倒す条件は今ここに揃っていない……千鍛では大帝に勝てないと言う事だ。
その状態で戦うと言う事は……。
「己の結末も演算済みだ。知っている。それでも行け。悪機とは言え、戦士が任せろと言った。無粋はするな。オレの尊き君よ」
「……!」
同志に、余計な言葉は要らない。
雫紅は置き換えて考える。
自分に取って柔らかいものが、千鍛に取っての自分。
であれば、今、千鍛がどう言う想いなのかを推し量る。
「……承知、しました……!」
雫紅は歯を食いしばって踵を返し、走り出した。
その背中を見送る事無く、千鍛は大帝と対峙する。
「……悪くないものだな。自らが尊く想う者に、命を惜しんでもらえる心地と言うのは」
「……どう言うつもりだッ、千鍛ッ……下等生物に肩入れするとはッ……故障したかッ!」
「ああ。雫紅の余りの尊さに、オレは壊れてしまった。故に覚悟を決めろ」
冥月刀の血黒の切っ先を真っ直ぐに大帝へと向け、千鍛は堂々と喝破する。
「震沌大帝。オレの完璧な演算機構を以て、貴様を冥府へと送り返してみせる。雫紅の幸福ある未来のためにッ!」
「気狂がッッッ!!」
「フン……悪機が誰かの幸福を願う事が、そんなにおかしいか?」
「当然だッ! そんな風にはッ! 創っていないッ!! 明らかな設計外動作ッ!!」
「バカバカしい」
千鍛は鼻で笑って、大帝の言葉を否定した。
「オレの完璧な愛が、貴様ごときの貧相な演算機構で処理できるものか」
背面の飛行機構を展開し、千鍛が飛ぶ。
大帝の本体に斬り掛かるために。
「愚か者めがァッ!! 何が愛かァァァッ!!」
飛行する千鍛目掛けて、大帝の超巨体から無数の攻撃が放射。
炎撃、雷撃、氷撃、触手、雑多膨大な攻撃が四方八方から千鍛へと襲い掛かる!!
「ここから先の未来も、オレはすべて読み尽くしている!!」
ひらりひらりと、千鍛は攻撃の嵐を優雅に掻い潜る!
すべての攻撃を演算し、寸でで回避し尽くす!
標的を見失った大帝の攻撃同士がぶつかり合い、花火のように鮮やかな閃光が散っていく。
それらの光と大きな満月を背に、千鍛は冥月刀を大きく振り上げたッ!!
「オオオオオオオオ!!」
千鍛、咆哮!
空高く舞い上がり、大帝の頭を目掛けて刀を振り下ろしながら急速降下ッ!!
「しゃらくさいぞォッ!!」
大帝の超巨体から噴き出した無数の棘が、降下中の千鍛を狙う!
だが千鍛ならばこれも演算して回避――
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
何を思ったか!
千鍛、回避行動を取らずにそのまま降下!
当然、大帝の放った無数の棘が直撃、ゴリゴリとその漆黒の装甲を削り取っていくッ!
「プルハハハッ! 躱し損ねたかッ! やはり故障機ッ! 自慢の演算機構も狂ったようだなッ!!」
「否ァァァァッ!!」
「なにッ!? ま、まさかッ……」
「この一太刀が、我が愛を未来へと繋ぐのだァァァアアッ!!」
下半身を削り飛ばされ、左腕も、顔の半分も抉られ、胸に風穴を空けられてもなお、千鍛は止まらないッ!!
冥月刀の血黒の刃が、大帝の額から胴までを縦に大きく裂くッ!!
「グアアアアアアアッ!? き、貴様ッ、む、無駄なッ、足掻きをッ……この程度のッ、損傷でッ、帝は死なぬわァァァッ!!」
(……知っている。オレの完璧な演算機構が教えてくれた。どう足掻いても、オレでは貴様を殺せない)
――だから、繋ぐのだ。
(致命傷でなくとも、重傷だろう。その傷を直すのに貴様は二七秒間、動きが止まる)
――欲しい時間は、あと三四秒。足りない七秒は――
「グギギッ……覚悟しろッ、故障機がッ……傷が直り次第ッ、貴様を取り込んでやるぞッ……! 貴様のその演算機構を修復して使いッ、あの下等生物を殺してやるからなッ……!!」
(そうだ。そうしてオレを取り込むのに、貴様は七秒を費やす)
――これで、完璧だ。
(悔いなど無い……とは言い切れんな)
演算籠りをして、千鍛は答えを得た。
尊さとは、愛だ。
大帝が悪機に与えなかった感情だ。
だから、千鍛の完璧な演算機構を以ても、理解するのにこんなにも時間がかかってしまった。
しかし、それでも千鍛は理解した。
愛と言う感情を。
複雑な事は無い。実に単純な話だ。
――尊き君が、「幸福だ」と笑って生きていける未来を勝ち取りたい。どんな手を使ってでも。
雫紅が大帝に嬲られる未来を見て、千鍛の胸は張り裂けそうになり、そんな願いを抱いた。
不意に湧き上がったこの願望をこそ、愛と定義した。
誰かの幸福を心底から願う激情を、愛だと確信した。
(更に欲を言えば、幸福だと笑う君の横にいたかったものだ。未練、悔いでしかないだろう。これは)
だが、そこまでは望むまい。
雫紅は踵を返す時に、ほんの僅かに躊躇ってくれた。
最後に、この想いはほんの少しだが、確かに届いたのだ。
彼女がこの命を、僅かな躊躇いだとしても惜しんでくれるような存在に、なれたのだ。
未練はあれど、満足感もある。
矛盾しているようではあるが、確かな真実だ。
だから、悔いながらも、上出来だと笑ってやろう。
あとは、仕上げに入るだけだ。
「……フフフ……思い知るが良い、大帝。貴様はオレの完璧な愛故の献身によって、滅ぶのだ」