第拾陸話 神罰
――時は少しだけ遡る。
満月に照らされた蛙断の領、美川邸。
少し前に奇怪な怪物の襲撃を受け半壊し、今もなお修理工事が進められている。
その屋根の上に佇む、小さな影があった。
「やれやれ……久々に面を拝みたくニャったからこっそり来てみれば、屋敷は壊れてるわ、あいつは留守だわ。何がどーニャってんだかニャア?」
小さな影は、袈裟を纏って深笠を被り、いわゆる虚無僧のような恰好をしていた。
その尻からは、黒い尻尾が二本、はみ出している。
黒尻尾の虚無僧は随分と体が柔らかいらしく。
足を曲げて深笠の中に突っ込み、ぽりぽりと頭を掻き始めた。
誰かが見れば「まるで猫のような仕草だ」と言うだろう。
「……ま、残念ニャがらもう縁が切れちまってるっつぅ事かニャ」
そらそうだろうニャ……と黒尻尾の虚無僧が少し寂し気につぶやいた、その時。
「そんな事は無いと、オレの完璧な演算機構が教えてやろう!!」
「んニャ?」
どこからともなく響いた、くぐもった重低音の声。
はて、頭上から聞こえた気がするニャア? と黒尻尾の虚無僧が少し見上げてみると。
「見つけたぞ、我が尊き雫紅を救うために必要な【猫又】ァァァァッ!!」
「ふニャッ!? 何か黒い隕石が叫びながら真っ直ぐこっちに――んぎゃニャアアアアアアアアアアアアア!?」
美川邸、謎の隕石到来により全壊。
目撃者の証言によると。
謎の隕石は落下後、人型に変形。
ぐったりした虚無僧を抱えて芯熟方面へと飛び去ったと言う。
◆
「至急! 皆、急いで避難を!」
「くぁー! 急げ急げねずみども! おめーらごときじゃあ、あのでけぇ機械の攻撃は流れで喰らっただけでも粉微塵になって死ぬぞ!!」
「ちゅちゅー!? すごく物騒なのでちゅー!?」
「で、でも娜優ちゃまが……」
「そうでちゅ! あのでっかいの、娜優ちゃまを……」
瑞那と翠戦が避難誘導をする中、ねずみ小姓たちの動きは悪い。
当然だ。久方ぶりに見た愛しのねずみ御前が、あの巨大な機械――大帝に取り込まれているのだ。
到底敵わぬ相手だと理解していても、死してなお恩義のために化けて出るような者たちが命を惜しむはずがない。
だがそれは、
「ねずみ御前ってのは、おめーらを無駄死にさせて喜ぶような下郎なのかよ!?」
「ちゅッ……それは……」
「補足。大丈夫、ねずみ御前は必ず嬢様が取り戻す」
瑞那の断言を裏付けるように、夜空に薄桜色の大きな輝きが一閃。
さながら、桜色の雷霆が如く、大帝へと降り注いだ!
「グォオオオアアアアアアアアアアッ!?」
響き渡るのは大帝の悲鳴ッ!
今の桜色の落雷の正体は、雫紅の究極剣技!
両断の剣技、豪咆雷絡【天墜鳳凰】!!
天高くを翔ける鳳凰をも撃ち墜とす、雷霆が如き振り落としの斬撃!!
「ちゅ、ちゅごいでちゅ……あの巨大な機械の怪物相手に圧しているでちゅ……あれが、一刀無双!」
「あの千鍛とか言う奴との戦いから夜通し鍛え直していたとは聞いたが……まさかあそこまで強くなっていやがるとはな……」
おそらく、今の雫紅ならば全盛期の自分とも闘り合えるだろう。
本当に人間かよあいつ……と翠戦は半ば呆れ果てる。
「補足。それもあるけれど、それだけではない。大帝は嬢様の逆鱗に触れた」
「逆鱗?」
「柔らかきものに害意を向けただけでも、嬢様は怒る。もしも、柔らかきものに実際に害を為した輩がいるのならば、怒り狂う」
大帝は、柔らかき御手を持つねずみ御前を唆して利用し、あまつさえぞんざいに取り込んだ。
今、雫紅の腸は煮汁の一滴まで蒸発するほどに煮えくり返っているに違いないッ!
「嬢様はもう、大帝を斬り殺す事しか考えていないはず」
「大帝を殺すためだけに全霊を注いでいるおかげで更に強くなってると……あいつ、本当に敵に回すと厄介な変態だな」
◆
「グアアッ……貴様ッ……おのれ貴様ァァッ!! この大帝にッ! 大帝の素敵な機体にこんなにも多くッ、そして大きな斬り傷をォォォォッ!!」
「やかましいッ!!」
耳障りな大声を一喝で捨てて、雫紅は跳躍!
大帝の巨体を足場にして駆け回りながら、柔見の慧眼を以て斬れそうな場所を見つけ次第、そこに全力の剣技を叩き込む!
そうやって大帝の巨体を徐々に徐々に抉り削っていく!
無論、大帝も無抵抗ではない。
体中のあちこちから機械触手を生やしたり、黒炎を噴いて雫紅を狙ってはいるが……当たらないのだ!!
これも柔見の慧眼の力!
柔らかさの変化から、触手に変化しようとしている場所や炎を噴出しようとしている場所を先んじて察知し、回避しているのだ!!
「おのれッおのれッおのれッおのれッ!! 下等生物風情がァァァッ帝にたて突くとかァァァッ!! ギャアアアアアアアッ!?」
大帝が喋っているのもお構いなし。
うなじに到達した雫紅はそこに全力の薙斬の剣技を横一閃。
大帝の後ろ髪ごと、その首を深々と斬り抉る。
だがしかし、両断とまではいかない。
大帝も伊達に大帝を名乗ってはいないと言う事だ。
(ですが、半分は斬った)
あとは前方から残り半分をぶった斬れば、首を落とせる。
「ぐぎ、ィィッ……下等生物ごときにッ、全力を出せばッ……帝の権威は失墜するッ……だが、このままではッ……あぁぁあああックソがックソがックソがァァァァッ!! もうよい、好きなだけ誇れば良い下等生物ッ!! 帝の本気をッ! 見せてやろォォォうッ!!」
「……? ――ッ!」
大帝の咆哮と共に、異変は始まった。
大帝の全身が轟音を鳴らしながら、大きく変形していく。
変形に巻き込まれて潰されるなどと言う間抜けは晒せない。
雫紅は大帝の機体から瓦礫の山へと飛び降りる。
「大変ッ遺憾ながらッ認めてやるぞッ……下等生物! かの忌々しき辮杯守徒主が鋳造した神日刀を用いているとは言えッ、帝を追い詰めたその腕前をッ、素直に認めてやるゥゥゥッ!!」
変形、凝縮、肥大、変質、肥大、変形、肥大、肥大、肥大。
「まさか、この感じは……悪鬼解放……!?」
翠戦いわく、大帝のあの巨体は悪鬼解放済の姿。
これ以上、強くなる事は無いとの見立てだったが……。
雫紅が今感じている、大帝の発する脅威の拡大感は……泰厭紋や千鍛が悪鬼解放した時の感覚に似ている!
「否ッ! これから帝が披露するはッ――悪鬼解放・真髄ッ!!」
「真髄……!? ッ、まずい……!」
大帝の肥大化が止まらない。
このままでは、雫紅も膨張していく鋼の塊に押し潰される。
「――はァァァアアアアッ!!」
雫紅、咆哮と共に刀を振り上げ、全力で振り下ろす!
先にも放った桜色の雷霆。
両断の剣技、豪咆雷絡・天墜鳳凰!!
肥大化を繰り返し迫ってきていた大帝の巨体を、その一撃で木端微塵に吹き飛ばす……が!
「ッ……!」
破壊した側からその痕跡を埋め尽くすように、膨大な鋼が波打って押し寄せる!!
大帝の肥大化が、止まらない!!
「くッ……!」
両断の剣技は威力が絶大な分、比例して腕力を多く消耗する。
連発すれば、さすがの雫紅も腕が自壊して、もげ散る。
ここに留まって大帝の肥大化を正面から迎え撃ち続けるのは、現実的ではない。
「こんな下郎を相手にひとまずと言えど撤退するのは癪ですが……致し方ない!」
雫紅は踵を返し、全力疾走!
大帝の肥大化から逃げる!
瑞那たちが避難誘導をしてくれたおかげで辺りに誰ぞの気は無い。
大帝の肥大化によって街は潰されていくが、さすがにそこまで守れる余裕は無し。
と言うか柔くもない建築物のためにそこまで頑張る義理も無い。
雫紅は後方を一切気にせず、清々しいほどに一路退散ッ!!
「……と言うか……どこまで大きくなる気で……!?」
雫紅が退避を始めてから十数秒。
ようやく、大帝の肥大化が止まった。
「プルハハハァァァッ……プルハハハハハハハァァァァッ!!!!」
その笑い声は、もはやただの地震でしかなかった。
その全容……城と例える規模はとうに越え、山と言ってもまだ不足を感じる。
一体、この巨体は何に例えれば良いのか。雫紅はその答えを持たない。
滅茶苦茶だ。
規模も、形状も。
支離滅裂。何の形とも言えぬ、歪な異形。
まるで幾千幾万の機械を闇雲に引っ付けてこねくり回したような、ぐちゃぐちゃ。
そこら中に手足や角が生えている。
そこら中で紅い眼や青白い眼や黄色い眼が光っている。
そこら中から笑い声が響いている。
無数の機械が寄せ集まった超巨大な塊。
それが今の、震沌大帝を端的に表現できる言葉。
「これぞッ! 帝の悪鬼解放・真髄ッ――【飲兵臨在・機万威羅】ッ!!」
大帝の超巨体の中心部で、何かが隆起した。
ぐちゃぐちゃではあるが、姿影だけを大雑把に捉えればかろうじて人型とも言えなくもない。
その隆起した何かの頂点には、無数の角を生やして剣山のようになった大帝の貌。
「プルハハハハハッ!! 恐れおののけッ!! 帝の悪鬼解放・真髄が誇りし鬼能ッ端的に言えば【吸収合体】ッ!! 鉱物の類を吸収しッ、帝の一部とするのだッ!!」
芯熟の中枢街を完全に埋め尽くした機械の超巨塊。
その全体から、大帝の声が響き、地を揺する。
大帝の重量と声の振動に耐え兼ね、芯熟のいたる所で地盤沈下が発生。
地下の穴蔵街をも大帝が蹂躙していく。
「吸収……!? こんなにも大量に、一体何を吸収したと……まさか、芯熟の街を構成する鉱物を……?」
「下等めッ!! 喰えれば何でも良い訳があるかッ!! 帝は質を尊ぶのだッ!!」
どうやら、雫紅の近場まで来ている大帝の体にも聴覚機があるらしい。
雫紅の声を拾い、大帝は「愚ッ」と嗤った。
「あの至極退屈な冥府へと向かう貴様にッ土産をくれてやろうッ……帝の名をッ、教えてやるッ」
「は? 知っていますが」
「覇死・震沌は俗名ッ、即ちッ貴様ら下等に呼ばせるための仮称に過ぎぬッ!!」
「忌み名があると……?」
忌み名を伏せ、俗名で呼ばせるなど。
庶民では名を呼ぶ事すら畏れ多い人皇陛下や、陛下に連なる宮家の方々がやる事だ。
下郎が何を高貴ぶっているんだ、と雫紅は眉を顰める。
「心して聞けッ。帝の真の名はァッ巫類都産ッ……鉱物を生み出し司る【神物】であァァるッ!!」
「……巫類都産……!?」
神話に疎い雫紅でも名前だけは知っている。
その名は、神代の頃にこの地にいた神の一柱だ。
――鉱物を司る者。
人に鉄の文明を与え、人の世に工業による都市的発展をもたらしたと言われる神。
……しかし、かの神がもたらしたのは恩恵だけではなかった。
優れた鉱物と発展した工業技術によって生み出された苛烈な兵器により、人と人の争いは激烈化したと言う。
その有様を嘆いた巫類都産は自ら冥界へと沈み、神代の終焉よりひと足早く、人の世と決別したと言われている。
「帝の権能がひとつ【鉄生神殿】ッ!! 帝の体はッ鉱物を生み出す神殿そのものッ、糧となるものさえあれば、永遠無限に鉱物を創り続けるッ! そうして生まれ出でた鉱物に魂を与え、悪機を創ったのだァッ!! 覚えておけぇいッ!! 悪機帝国とは国や組織の名ではないッ!! 悪機を生み出し続ける帝の通り名よォッ!!」
「では、この歪な超巨体は……」
大帝が有するのは『悪機を生み出す権能』と『鉱物を吸収合体する鬼能』……そして肥大化した大帝の機体。
つまり、
「今ッ、この場で無数の悪機を生産しッ……そしてッそのままッすべて取り込んだッ!! 素晴らしかろうッ!! 忌々しき河童と相討った時は備えが足りなかったッ!! あの屈辱から今日までッ、冥界や現世で多くの者たちを喰らいッ、取り込みッ、このための糧を蓄えてきたのだァッ!! もう二度とッ、敗北を味あわぬためにィッ!! 特にッ先日喰らったッ羅刹四将の二機は最高だったぞッ!!」
「ッ……!? 羅刹四将を、喰らった……!?」
「帝が生み出した時よりも幾重に自己改造を重ねッ、良質な糧として帝の元へ現れてくれたッ!! 創っておいた甲斐があったぞッ、羅刹四将!! 帝が力を失った時、取り込む事で一挙に力を取り戻すための蓄えッ!!」
「羅刹四将が……ただの蓄え、だった、と……?」
確かに、違和感はあった。
何故、羅刹四将と言う強大な戦力を連れずに、大帝は活動していたのかと。
大帝は、羅刹四将の武力になど、期待してはいなかったのだ。
大帝は「もしも己が敗北するような事があった時、すぐに力を取り戻せるための備えをしておきたい」と言う考えで、羅刹四将を創り、そして控えさせていたのだ。
もしもの時に、喰って、糧とするために。
「己を慕う部下を、何だと思って……!」
「部下? 違うなッ、そもそもの認識が間違っているッ! 帝に取って悪機とはッ、元より非常食に過ぎぬッ!! ただッ、兵としても使えるしッ、そうして運用していれば勝手に自己改造を重ねて食い甲斐が増すからッそうしてきたのみッ!! 貴様らで言えば農耕や酪農のような行為だッ!!」
「……下郎がッ……!」
悪機なんて堅いものに、雫紅は愛着など無い。
だがしかし……泰厭紋や千鍛の瞳には、確かに人に等しい感情があった事を知っている。
そんな彼らが、主君と信じ慕うものにないがしろにされる……その心境を察し、憐れめぬほど、無機質な目では見れない。
今、大帝は――雫紅の怒りの炎に、薪どころか油をぶち込んだ!!
「プルハハッ、怒りを感じるぞッ! だがどうするッ? もはや貴様に勝ち筋はないぞッ! なにせ帝がみっともなくッ奥の手をッ出してしまったのだからなァァァッ!!」
「おまえが決める事ではないッ!!」
確かに今の大帝は超大。
山すら凌ぐ超巨大、さながら怪物の帝王。
雫紅の事など、子ねずみが爪楊枝を構えているようにしか見えていないだろう。
だとしても、斬らずにいられるか。
「その首、貰い受けると言った!!」
刀を構え、雫紅が飛び込む。
もはや大地と化した大帝へと。
着地した途端、四方八方から機械の触手や手足が雫紅へと一斉に襲い掛かる!!
「邪魔だぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
乱斬の剣技、激烈嵐猟・狂乱鴉。
四方八方への滅多斬り……に見えて、実際は一太刀一太刀がきっちり計算づく。
雫紅の柔見の慧眼の認識速度と、それに合わせられる筋肉あっての剣技!
無数に襲い掛かってくる触手や手足を、すべて余す事なく迎撃し尽くす!!
斬り払って、斬り払って、斬り払いまくりながら、雫紅は大帝の機体上を前進していく!!
目指すは一路、大帝の首!!
「愚ッ!! 先までとは物量が違うのだッ、物量がッ!! 更にッ……帝が取り込むのはッ、質量のみにあらずッ!!」
「……ッ……!?」
ふと、雫紅は違和感を覚えた。
――気温が、下がった……?
唐突な寒気は、心因性ではなく単純に外気の低下。
不意に、雫紅の足が止まってしまう。
「なッ――」
足が、凍りついている。
凍って、大帝の体に繋ぎ止められてしまっている。
「取り込んだ悪機どもの鬼能もッ、帝のものだッ」
雫紅は即断即行、自らの足を斬り落として進もうとしたが、
「ぅがァッ!?」
雫紅の全身を走り抜ける熱く尖った衝撃。
数舜遅れて、バヂィンッと言う音が鳴る。
電撃だ。足元、大帝の機体から、大規模な放電ッ!!
雫紅はそれをもろに喰らってしまったのだ!!
雷撃に体内を焦がされ、雫紅の口から黒い煙が零れる。
まだ、終わらない。
風の刃が背を斬りつける。
炎の鞭が腹を打つ。
鋼の棘が肩を貫く。
「プルハハハハハッ!! プルハハハハハハハッッッ!!」
嬲りだ!!
大帝は、その気なら急所に当てて殺せる攻撃を、わざと急所から外して雫紅に当て続けている!!
「貴様は下等な分際のくせにッ帝に本気を出させたッ! つまり帝の威厳を失墜させたッ! 生温い死は与えぬッ! 肉体もろともその魂をッ限界まで削り取った上でッ、帝の冥府へと誘ってやるッ!!」
嬲りは続く。
だがしかし、雫紅の眼は黒いまま、涙の一滴も滲まない。
今、雫紅が考えているのは前進する方法だ。
痛みなど、どうでも良い。こんなものは耐えれば良い。
「生意気なッ眼だッ!! 順序を間違えたなッ!! まずは牙を抜くッ!!」
機械の腕が、雫紅の刀を握る右腕を掴み上げた。
そして、雫紅の腕を掴んだまま、回る。
最初に響いたのは、湿った何かが砕け散る音。
続けて、ぶちぶちと何かが裂ける音。
最後に、風船が爆ぜるような音。
雫紅の右腕が、骨を砕かれ、肉を裂かれ、血肉を撒き散らしながらもぎ取られた音だ。
「……ぁ……?」
剣豪に取って、最大の武器。
技を染み込ませ、磨き抜いてきた、利き腕。
それが今、もぎ取られた。
「まずは四肢ッ、次は感覚器官ッ。ひとつひとつッ、順番に毟ってやるぞッ……下等生物ゥッ!! プルハハハハハッ、プルハハハハハハハハハハッ!!」




