後編
やっと……!やっと後編で完結!!!
結婚式。女の子なら、誰もが憧れる人生最高の日。
私、サマンサも例外ではないわ。
真っ白のウェディングドレスはロングトレーンの総レースで、引き裾にかけて真珠が散りばめられている。
クラシカルな美しさの中に可愛らしさを感じさせるこのドレスは、新郎のデブが出した『全身真珠をびっちり縫い付けたドレス』や、『この世の美しいレースを全て使った全身フリルのドレス』や、『伝説の女王スワニーエの羽毛で作られた羽が背中についた、全身羽毛で作られた天使のドレス』という破滅的なデザイン案を、私とマダムが却下しつつ、デブの意向もちょっぴり入れた、愛と希望と(マダムの)苦心のドレスなのだ。
その気高いドレスをまとった私の隣には、白のフロックコートに身を包んだ旦那様のデブ。
筋肉が大きくて、服の上からもムキムキなのがわかるの。
デブの腕に捕まるように自分の腕を絡ませる。
この感触。
カッチカチよ。ゾックゾクするわ。
教会の司祭様の前で、私とデブは、永遠の愛を誓った。
既に籍は入っていて、もう夫婦ではあるのだけど、それでもデブの妻になったという自覚をもう一度認識できた。
デブが私を見る瞳が優しい。私、とても幸せよ。
その後、裾が後ろに広がるロングトレーンのドレスから、レースのVネックにAラインのオーガンジードレスに着替えた私は、デブと教会からハーディルト邸に戻った。
これから、結婚披露のパーティーが始まるのだ。
新郎新婦の挨拶が終わり、食事と歓談が始まる。
お客様達は、そのほとんどがデブの関係者で、新婦側からは、お父様のマグナクト伯爵や伯爵夫人のお母様、お屋敷の異母姉エイラと私の祖父祖母にあたる先代のマグナクト伯爵夫妻くらいね。
異母兄のカイルリードは急な腹痛で来れなかったらしいわ。
今頃トイレにこもっているのかしら。恐らく私の指なら、あっという間に治せるのでしょうけど……。
いけないわ。兄が定期的に鼻の穴をほじられに来るなんて、なんだかとてもいけないわ。
いえ、兄のことはどうでもいいのよ。
ともかくも、デブは特殊な立場だから、妻の親族と必要以上に接触すべきではないのだという。
それで、新婦側の招待客は厳選されたのよ。
その代わり、デブ様の招待客は華やかよ。王族からは、王弟であるノックス大公、宰相様、近衛騎士団団長様、魔導師団団長様、教会の教主様。
他にも、ハーディルトの寄り子の貴族達。
デブのご両親は既に亡くなられていて、弟が一人いらっしゃったのだけど、今はどこで何をしているのかわからないそう。会えないのは残念ね。
ぐるりと会場を見渡せば、あちらにいるのは、ビーエ・ルー子爵だわ。綺麗な顔の青年と仲良くお話をしているわ。
まあ、青年の耳に口を寄せて、ずいぶん親密そうね。
あら?あれ、耳をなめてませんかね……?み、見なかったことにしましょう……。
あ、あれは、マグナクトのお祖父様とお祖母様!ノックス大公に取り入ろうと必死ね。
なんとなく辺りを見回しながら、挨拶に訪れる客の応対をしていた私の元に、ノックス大公に適当にあしわられたお祖父様とお祖母様がやってきた。
「おお、サマンサ。可愛い自慢の孫よ。綺麗になって!」
「まあまあ、素晴らしいご縁をいただいて、あなたは幸せ者ねえ。私達が大事に育ててきたかいがあるわあ」
まあ、何かおほざきになっていらっしゃるわ?無かった過去を語って……。痴呆かしら?
「まあ、ありがとうございます。マグナクトのクソジジイ様(お祖父様)とクソババア様(お祖母様)!」
「なっ……!」
「だ、誰がクソババアよ!!」
しまったわ。本音と建前を逆にしてしゃべってしまった。
だって、あまりにもクソなんだもの。
「申し訳ない。私の妻が失礼を」
デブが形式的に、クソ達に謝罪する。
私はデブを謝らせてしまったことに謝った。
「ごめんなさい、デブ様。だって、めったに会わないお祖父様とお祖母様が、私に優しい言葉なんて、びっくりしちゃって。たまに会えば、『卑しい娼婦の娘』だの『ゴミ虫』だの、罵詈雑言しか言わなかった人達が『自慢の孫』だの『大事に育ててきた』なんて、動揺しちゃったの」
「ほう、私のエターナルホットサマーは、先代からそんな扱いを……」
おい……、今さらりと、『封印せし恥名』を口にしやがりましたわね??
「い、いやっ!それは……」
「誤解っ、誤解があるのよねえ!サマンサちゃん!」
お祖父様とお祖母様が慌てている。
なんせ、同じ伯爵位といっても、こちらは立場が違う。
マグナクトは確かにお金をもっているけど、デブは王国内の貴族だけでなく、王家にも影響を与えかねない人なのだ。
流石デブ。さすデブね!
まわりの招待客も、興味津々で見守っている。
そこへ、若い女性の声が飛んできた。
「もうお黙りになってくださいませ。お祖父様、お祖母様。これ以上は我が家の恥を晒すばかりですわ」
驚いてそちらへ目を移す。
豊かな金の髪を結い上げ、冷ややかに先代マグナクト伯爵夫妻を見るのは、異母姉エイラだった。
「だ、黙れだと、エイラ!わしは!」
「まわりをよくご覧なさいませ」
お祖父様達は、そこでようやく自分達が好奇の目に晒されていることに気づいたようだ。
とたんに居心地悪そうな顔になる。
「今さら急に態度を変えても、あの子も受け入れられませんわ。私やカイルと同じように、ね」
お姉様が私を見ずに、お祖父様達に語りかける。
「さあお祖父様、お祖母様、私と席に戻りましょう」
そう言って、お祖父様とお祖母様に戻るように促したお姉様は、最後に私を見て、少し間を置いてから口を開いた。
「ハーディルト伯爵と結ばれたこと、大変喜ばしいと思うわ。おめでとうございます」
まさか、私といっしょにお屋敷に住むことを拒んだお姉様が、お祝いを言ってくださるなんて……!
「あ、ありがとう……ありがとうございます。お姉様!」
私は返事を待たずに、凛として去っていくお姉様の背中に、精一杯の喜びと感謝を伝えたの。
私達、これから少しずつ、仲良くなれるかしら。
お姉様は、案外お優しい方なのかもしれないわ。
少し離れた席から、お母様の呟きが聞こえた。
「ツンデレ乙……」
ちょっと何言ってるのか、わからないわ。お母様。
それ以降、お祖父様とお祖母様はおとなしくなり、パーティーは大きなトラブルもなく終わった。
それから三日が経った。
私はデブと王家主宰の舞踏会に参加していた。
今夜の私は、淡いグリーンのドレスである。結い上げた髪に、銀細工の繊細な髪飾りがしゃらしゃらと涼しげな音を立てる。
この舞踏会はシーズン最後にして最大の舞踏会。これに参加するも、私とデブが、ハーディルト伯爵夫妻となったことを、国内外の貴族に知らしめられるらしい。
さっきから、デブを見る人々の目が驚愕に満ちている。
「え、ウソあれ、肉伯爵?肉は肉だけどあの肉じゃない……」
「王家の肉の肉がなくなって、王家の肉に……?!(混乱)」
「まさに王家の番肉……(物理)」
肉のかたまり(脂身)から肉のかたまり(筋肉)になったわけだし、結局、『肉』呼ばわりに変わりはないみたい。
私達は王様に挨拶してから、式に参加してくれた方々へ挨拶回りをすることにした。
「あら、あそこにいらっしゃるのは近衛騎士団団長のロンムル公爵では?」
デブには劣るものの、筋骨隆々の逞しいおじ様が、壁に向かってしきりに顔を触っているようだ。
私達は寄っていった。
「こんばんは。どうされたのです、ロンムル公」
「うん?あ、ああ、ハーディルト卿か。実は鼻の奥に小虫が入り込んでな。わしの指が太いせいか、なかなかとれんのだ」
「まあ、女の私の指ならきっと奥まで届きますわ。取って差し上げます。ちょっと失礼」
ガシッ!
流れるように近衛騎士団団長の鼻に手を伸ばした私の手首を、巌のような手とたおやかな手が力強く掴んだ。
「サマンサ?」
「油断も隙もないわね」
デブと、私をみつけて近づいてきたお母様だった。
二人にジト目でお説教され、身を縮こませる。
結局私達は近衛騎士団団長の鼻を見捨てて、逃げるように彼の鼻の穴から逃れた。
いけないいけない。うっかりほじる所だったわ。気をつけなくては。
私は、デブとお母様とで連れ立って歩く。
デブは、すぐそこにいる宰相様と魔導師団団長様に挨拶をしにいくようだ。
「あれ?お父様は?」
「先代に捕まってるわ。私がいると、アンソニーが余計にヒートアップしちゃうから、逃げてきたのよ」
「まあ、あの人達、ろくなこといわないものね……あっ」
私はドレスの裾を踏んでしまった。
「「「あ、危ないっ」」」
いつの間にかすぐ目の前に来ていた宰相様と魔導師団団長様とが、転んだ私を受け止めようと慌てて身を乗り出し、デブが私のお腹に手を回して前から支える。
私は、その衝撃で思わず両腕を前に突き出した。
しかし、勢いは未だ前進を続け……。
その奇跡のコラボレーションが悲劇を生む!
前進する私の突き出された両手の指が、いい感じの位置に屈んだ宰相&魔導師団団長様へ。
片方の指は宰相様の鼻の穴へ、もう片方は魔導師団団長様の鼻の穴へ、文字通り手分けしてジャストミートしようとしている!
ガシガシッ!!
お母様が、私と宰相&魔導師団団長様の間に体を滑り込ませ、両手を鋏のような形にして私の両指を挟み、食い止めていた。
「真指、白爪取り……」
か、カッコいいいいーーー!!!お母様、いつの間にそのような妙技を!?
「ありがとう、夫人。ナイスセーブだった」
「無我夢中で……。なんだか私も特殊スキルに目覚めた気がするわ」
デブがお母様を労う。今度お母様もステータス鑑定をしてみるといいわね。きっとお母様も特殊スキルが発現しているわ。
『ほじる指を止める』特殊スキルが……!
私達は宰相様達に挨拶をして、そそくさとその場を離れた。
「あら?あれは教主様だわ」
「鬼門ね」
「簡単に挨拶して、さっさと離れよう」
お母様とデブが短くやり取りしている。
そうよね。『聖女』や『ヒロイン』がバレたらまずいものね。
私達は教主様へ話しかけた。
当たり障りない会話をする。
そこへ、向こうで騒ぎが起きた。見ると、お父様とクソジジイ様が口論になっている。
お母様はため息を吐いて、離脱した。
それと同時にデブに王弟のノックス大公が声をかける。
なんだかお仕事の話みたい。
デブは私を心配しながらも、渋々離れていった。
大丈夫よ。私も人妻。伯爵夫人。
男性の鼻の穴だって、立派にあしらってみせるわ!
まずは教主様ね。
「お一人で心細いでしょう。良ければ、伯爵が戻るまで、わしと話をしませんかの?」
親切に言ってくださるけど、万が一があってはいけないわ。ここは丁重にお断りしましょう。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですわ。あちらに友人もいますから」
そう言って適当な方向に目をやると、あ、あれカイルお兄様だわ。
凄く怖い顔でこっち見てるわ。まだお腹痛いのかしら?
私は目線を教主様に戻し、にこりと微笑んで暇を告げた。
それにしても舞踏会なんて、まだ二度目。友達もいない。お父様の方は……、何故かお母様が荒ぶってるわ。
一人でうろうろして、またうっかり誰かに鼻ズボしそうになったらいけない。
もう私にストッパーはいないのだから。
「そうだわ。一人になればいいのだわ」
私はそう独りごちて、テラスから庭へと抜け出した。
そんな私を見つめる人達の視線に、気づかぬままに。
庭に出たら、そこかしこで呻き声がする。夜中に呻き声……。
まさか過去に王宮で起こった悲惨な事件の被害者の霊達が……?
いやーー!茂みに人の足が生えてるっ。足だけの霊!?
……違った、生きてたわ。
茂みにカップルが潜んでいたのに驚いた私は、舞踏会会場から少し離れた静かな四阿を見つけ、そちらへ向かい歩いていた。
「待ってくれ。ハーディルト伯爵夫人……いや、サマンサ!」
その時、後ろからそう呼びかけられ、振り向く。
そこには、ルイス王子が立っていた。
月明かりに照らされ、ルイス王子の金の髪がしっとりと耀く。
その顔は、美しさの上になんともいえぬ色っぽさを醸し出し、こちらを熱く見つめている。
ルイス王子は、立ち止まった私に近づくと、私の手を取り片膝をついて囁いた。
「お願いだ。少しでいい。―――ほじってほしい」
「お断りします」
しかしルイス王子は私の拒絶をものともせず、再び懇願した。
「君を見たら、どうしても鼻の奥が疼くんだ。ここなら誰も来ない。ハーディルト卿も見ていない。先っぽだけ。先っぽだけでいいから……」
先っぽだろうが第二間接までだろうが、ほじるのに変わりはないのよ?
「ごめんなさい、殿下。私は夫を裏切るつもりは」
「これは裏切りなんかじゃない!……ただ、ほじる、それだけだよ……」
王子が立ち上がり、私に迫る。
私は後退りしたけど、手を掴まれたままで逃げられない。
そこへ、鋭い声がした。
「この阿婆擦れが!夫のある身で、色仕掛けで殿下を籠絡しようとは、恥を知れ!!」
「殿下!その女からお離れくださいまし!殿下の婚約者候補筆頭の私を差し置いて、それも人妻でありながら殿下に近づくとは、許しがたいですわ!」
「ええー……。なんで、私が迫ったことになってるの……」
「カイルリード・マグナクトと、エリザベス孃!?何故、ここに!」
そこには、私を睨み付けるカイルリードお兄様と、銀髪のご令嬢が立っている。
あのご令嬢、エリザベス・マコーリー公爵令嬢ね。あの人、ルイス王子の婚約者候補なの?
エリザベス様は、震えながらルイス王子の問いに答えた。
「わ、私は殿下がその女を追って広間を出るのを見て、気になって追いかけて参りましたの。でも、一人で庭に出るのは怖いので、同じ方向を見ていたカイルリード様に同行を願いましたの」
「それでカイルリード・マグナクトと後をつけてきたのか」
「エリザベス公爵令嬢とは貴族学院で交流がありますから。それよりも、殿下、こいつは娼婦の娘です!こいつから離れてください」
お兄様、あれほどお母様が説明したのに、まだわかってなかったの?
「お兄様、何度言ったらわかるの!私のお母様は娼婦じゃないわ」
「黙れっ!お前も、お前の母親も、不幸を撒き散らす毒婦だ!お前のせいで、母は心を病んで、孤独に死んだ!最近はマグナクトのお祖父様もお祖母様も、お前と仲良くしろなどと!お前の結婚など祝いたくないから仮病を使って欠席したら、私を廃嫡して、結婚式で有力貴族と顔を繋いだエイラに婿を取って跡を継がせるなどと言い出して……」
え?そんな話になってるの?!
「母方のお祖父様であるラントルーゼ侯爵まで、お前と仲良くしろとか言い出して、ふざけるな!母上がどれほどお前達母子を憎んでいたか!父も母も私から奪っておきながら、お前ばかりが愛されて幸せになる?そんなこと、許されない!私が許さない!!」
カイルお兄様は、ゆらゆらと私の方へ近づくと、懐から何か光るものを取り出した。
ナイフだ。そう認識した時には、私の胸にナイフが迫っていた。
ダメだ。死ぬ。
思わず目を瞑った。
でも、衝撃は来ない。
私は目を開けて、そして恐ろしい光景を見た。
私の目の前にルイス王子がいる。
そしてルイス王子の胸に、ナイフが生えているのだ。
カイルお兄様は、現実を受け入れられないのか、呆然としたままその場にへたり込んだ。
「キ、キャアアアア!!」
エリザベス様の悲鳴が響いた。
しかし、声にならないのか、思ったよりもか細い。ルイス王子が崩れ落ち、エリザベス様は、転がるようにルイス王子のそばに来て寄り添った。
そして、悲鳴を聞きつけたのか、誰か複数の足音が聞こえた。
「愛しのサマンサ、こんな所に!」
「ハーディルト伯爵夫人に……ルイス殿下!?これは一体……!」
「サマンサ、何が起きてるの?!」
「サマンサ、それにカイルリードまで?」
デブと教主様、そしてお父様とお母様だった。
私は、教主様にすがりついた。
「教主様!教主様なら、治癒魔法を使えますよね!お願いします。魔法を!殿下を治して!」
教主様はルイス殿下に駆け寄ると、ナイフを引き抜き、治癒魔法を行使した。
しかし、しばらくして、首を振った。
「ダメじゃ。確かに傷はふさいだ。今はかろうじて息があるが、ショックで心臓がうまく働かなくなっておる。もうすぐ鼓動は止まる。これ以上は、無理じゃ」
「そ、そんな……!」
エリザベス様が悲痛な声を上げる。
私は、デブを見た。
デブは、怖い顔で首を横に振った。
私は、デブに言った。
「デブ……ルイス殿下が、カイルお兄様から私を守ってくれたの。自分の身を犠牲にして。ここでこの人を見捨てたら、私、一生後悔するわ」
「サマンサ、やめてくれ!私は君を失いたくない!」
「デブ様、ごめんなさい」
私は跪いて、エリザベスに膝枕され仰向けで倒れているルイス王子に、手を伸ばした。
「殿下に触らないで、この売女!」
エリザベスが私の手を払う。鬱陶しいわ。一刻を争うのよ。死んだら流石に治癒できない。
「邪魔しないで」
ズボズボッ!
「ふぎっ!?」
私はエリザベスの両の鼻の穴に指刀を叩き込んだ。エリザベスは、鼻血を出したまま硬直した。
うまく無力化できたようだ。
「ハーディルト伯爵夫人、何をする気じ」トスッ
教主様が崩れ落ちた。
お母様が教主様の頸動脈に向けて、手刀を叩きこんだのだ。
「護身術講習で教わってはいたけど、うまく気絶してくれてよかったわ!サマンサ、教主が復活する前に、さっさとほじりなさいっ」
「わかったわ、お母様っ!」
「夫人……。あなた、やはりサマンサの母親だ」
「エ、エリーゼ?教主様、死んでないよね?」
「たぶん大丈夫よ。息はしてるもの。大丈夫!最悪、サマンサにほじらせて、回復させて、魅了で洗脳しちゃいましょう」
夫と両親の会話を背に、私はルイス王子の鼻の穴に二指入魂する。
ルイス王子の長くなって途切れかけていた息の感覚が、戻っている。
青白かった顔色も、健康的な色に戻った。
そうして、何事もなかったかのように、目を開けた。
「あれ?私は、確かに刺されて……」
「殿下!!よかった!」
エリザベスがルイス王子に抱きついて喜んでいる。
二人とも血まみれだわ。浄化の魔法を使わないと……。
その後、私達は、ルイス殿下に事情を話し、土下座して謝った。
このままだと、カイルお兄様は王族への殺人未遂で、極刑だ。マグナクト家もただではすまない。
ルイス殿下もエリザベスも、継続的にサマンサの指を提供することで、今回の事件はなかったことにしてくれた。
死にかけたのに、それをなかったことにして、ほじられることを選ぶなんて、魅了ってほんとに怖いわ。
何にせよ、ルイス殿下とエリザベスは、【共通の趣味】ができて仲が良くなったようだ。恐らく二人は婚約するのだろう。
カイルお兄様は、お父様にこっぴどく叱られていた。
廃嫡の上、国外追放という処分をお兄様は受け入れた。本来なら極刑なのだから、命があるだけマシというものかもしれない。
それにしても、お父様?
「カイル、もし、お前がサマンサじゃなくてエリーゼを刺そうとしていたら、私がお前の息の根を止めていた!」
こんなこと、私の前で言わなくてよくないかしら?
スパーンッ!
ほら、お母様から頭をはたかれているじゃない。
カイルお兄様が、なんとも言えぬ顔で私を見ているわ。
そうよ。カイルお兄様。まともな父親なんて、私にもいなかったの。
お父様は、いつだってお母様しか見えていないんだから。
でも、私にお母様がいたように、あなたもお母様が愛してくれていたのでしょう?
あなたも私も、実はそれほど違いなんてないのよ?
さて、教主様だけど、デブが【浄化】で血まみれの衣服や周辺をきれいにして、教主様を起こしたの。
面食らう教主様に、「教主様が突然倒れた」と説明。全員で示し合わせて、夢オチだと言い張ることにした。
教主様は、納得いかなそうにしながらも、実際ルイス王子がピンピンしているので、深く考えるのをやめたようだ。
こうして私は、『ヒロイン』でも『聖女』でもなく、『ハーディルト伯爵夫人』へと運命を切り替えた。
定期的に、ルイス王子と婚約者のエリザベスがほじられにやってくるのだけど、これは見なかったことにしてほしい。
むしろ婚約破棄どころか、婚約させたのだから、私、『ヒロイン』の運命からはなんとか逃げ切れたのではないかしらね。
「では、サマンサ、行ってくる。留守を頼むぞ」
「はい、デブ。あまり遅くならないようにね。今日こそいっしょに夕飯が食べたいわ」
「王を脅してでも、早く帰るよ。私のエターナルホットサマー」
私は、サマンサ。ハーディルト伯爵夫人。(エターナルホットサマーでは断じてない)
地位も、王都在住も、馬鹿にされない環境も、そして愛さえも手に入れた女。
私が、サマンサ・ハーディルトよ!