6話 サキュバスの開花
「クロエ!!!」
クロエがはっと意識を取り戻すと目の前にはアーヴィンがいた。
まだ意識はぼんやりとしており何故自分が倒れたのか、どれ程時間がたったのか、オリビアはどこなのか…口に出して聞きたいことは山ほどあるが何故だかとても疲れていて声にならない。
「アーヴィン…さま」
愛おしい夫の顔を見ると安心したのか再びがくっと意識を失ってしまった。
・・・
オリビアがアーヴィンの上着のボタンを外しにかかったところ、ただならぬ空気に気付いて手の動きを止めた。
その瞬間、アーヴィンが右手に持っていたワイングラスが彼の手の中で小さな音を立てて割れ、床に高い音を響かせて欠片が落ちた。手から流れ落ちる己の血液など微塵も気にしていないようだ。
オリビアが恐る恐るアーヴィンの顔を見上げると美しい顔は怒りに歪み、アイスブルーの瞳がオリビアを凍りつかせるように睨んだ。
こんなにも逆鱗に触れるとは思ってもいなかったオリビアは驚き、本能からか脚が震え身体中から冷や汗が流れ出た。
「あ…の…」
「クロエに何をした!?」
怒りと共にアーヴィンのまわりには魔力が放たれ、その魔力に当たったオリビアはあまりの恐怖から床に崩れ落ちてしまった。あわてふためき言葉を発せずにいるオリビアから目をそらすと、目の前の出窓を開け放ちアーヴィンは飛び立った!
彼の背中からはコウモリを思わせる黒く大きな翼が生えていた。飛膜で空気をつかむと急いで農園へ向かった!
外にはまだ太陽が照りつけているが、アーヴィンはそんな中羽を広げ上空からクロエの姿を懸命に探した。真上から見ても広大なブドウ畑には風に揺れる葉が動いているだけで人影は見当たらない。
ふと、畑の隅にある倉庫の裏に人が倒れているのが見え急いで降下した。近づくにつれ先ほどの農夫だということが分かった。
「おい!クロエはどこだ!?」
アーヴィンは怒りに任せ倒れる農夫の首もとを掴み、吠えるように問うが返事は返ってこない。何やら農夫は苦悩の表情を浮かべうなされている。「助けて、うう…うわぁぁ」と何度も呟く。アーヴィンが頭を振っても全く目を覚ます気配がない。こいつは使えない!そう思い畑に転がすと農夫の手から鍵がこぼれ落ちた。
もしやと思い鍵を拾って急いですぐ横にあった倉庫の裏口を開けた!
倉庫の扉を開けると目の前ににクロエがうつ伏せで倒れていた。アーヴィンは血の気が引き慌てて抱き上げ名前を呼んだ。ドレスには倒れた為か土がつき手にすり傷ができて血が滲んでいるが、他に外傷はなさそうだ。何度か名前を呼ぶとうっすらと目を開け「アーヴィン…さま」とか細い声で名前を呼んだかと思うと再び瞼を閉じてしまった。
・・・
「…あ、れ?」
クロエが次に目を覚ますと窓からは夕刻の日が差し込んでいて、見覚えのあるキングサイズのベッドに横たわっていた。
起きようと体を起こすと左手をしっかりと捕まれている事に気が付いた。アーヴィンがベッドの横で椅子に座り上半身をベッドに横たえ、クロエの手をしっかりと握り眠っていたのだ。クロエが動いたところでアーヴィンも目を覚ました。
「クロエ、大丈夫か?」
「私、何で寝室に?倉庫に閉じ込められていたんじゃ…? あっ!オリビアさんは!?」
「オリビアが良からぬ事を企んでいたのが分かって、すぐにクロエを探しに行ったら農夫が倒れていて…クロエも倉庫の中で倒れていたんだよ。心配したよ」
「じゃあオリビアさんと二人きりって…」
「不安にさせて悪かった、もう二度としない。俺にはクロエだけだよ」
アーヴィンはクロエを引き寄せその存在を確認するかのように強く抱き締めた。クロエはアーヴィンに触れる事でほっとし、やっと冷静になれたようで夫の変化に気が付いた。
「アーヴィン様…その上着はどうされたんですか!?きゃっ、み…右手が…」
アーヴィンはクロエを抱きそのまま自身で羽ばたき屋敷へ帰ってきていた。クロエの様子からすると頭を打っているようではないので寝室のベッドに横にすると、そのまま魔力の使いすぎで疲労感に襲われ横で寝てしまったのだ。シャツは羽を広げたことで無惨に破れ、右手もワイングラスを握りしめたことで血が滴っていた。
「あぁ、羽を出して飛行したことで魔力を使いすぎて…まだ血が止まらないか」
いつも以上に青白い肌をしているアーヴィンの顔を見てクロエは狼狽え、とっさにアーヴィンの右手の傷に舌を這わせた。疲れきっているアーヴィンはされるがままにぼうっとクロエを見ていた。
「アーヴィン様、私の血を吸血してください!」
ドレスの胸元を大きく開けデコルテをアーヴィンの顔の前に差し出した!
滑らかな肌にうっすらと這うようにのびる血管が透けて見え、その中には暖かい血液が脈打っている。アーヴィンは普段なら全く気にならないはずなのに今は体が血液を欲しているのか、クロエの首すじを目の前に体の中から吸血の衝動が沸き上がった。
「だめだ、クロエ…」
「そんな顔をして何を言ってるのですか!?さぁ、早く!」
アーヴィンはクロエの肩に手をおき一度は離れようと腕に力をいれるが力が入らないのかふらつくと、クロエは更に首すじを目の前に近づける。
アーヴィンは体が強くクロエの血液を求めている事に気づいていた。しかし…少しだけ残った自我で一度は止めようと思い止まったが、再び目の前に美しくほのかに甘い香りを漂わせる首筋を晒され…もう耐えることなどできなかった。
大きく口を開けクロエの首筋に唇で触れると、ゆっくりと己の牙を突き立て熱く脈打つ血液を啜った。
驚いたことにクロエの血液はどんな上等なワインよりも濃く、甘く、アーヴィンの体に染み渡った。
それは昔飲んだ血液の味とは比べ物にならないほど上質で、上品で、欲望のままに啜っていたら飲み尽くしてしまいそうなほどだった。
数度の吸血で魔力がみるみる快復するのを感じ静かに牙を引き抜いた。傷つけてしまった首筋を舌で舐めるとヴァンパイアの唾液の効果で傷口の血は止まり塞がっていく。
「すまない、クロエ…」
吸血に伴う高揚感と、吸血してしまった罪悪感でアーヴィンは戸惑っていた。
クロエの首筋から顔を離し目を合わせると、気づいた。
顔を紅潮させ、深く息をするクロエは瞳孔が大きく開きただならぬ雰囲気を纏っている。これは…
「はぁ…アーヴィン様…私、倉庫に閉じ込められてからおかしいんです。体の内側から何かが沸き上がるような気分がして…」
そういえばとアーヴィンは倒れていた農夫の姿を思い出した。顔は苦痛に歪み額には汗が滲み、うなされている様はまるで…悪夢をみているようだった。
「クロエ、もしかして魔力が開花したのか!?」
倉庫に閉じ込められ境地に立たされたクロエは魔力を開花させ農夫に悪夢を植え付け、一度は意識を失ったがアーヴィンの吸血により再び魔力を発動させている…そう考えた。
現にクロエからは強い魔力を感じる。
側にいるだけで脳が痺れ、体は熱くなりクロエの瞳から目が離せない。ヴァンパイアのアーヴィンでもこうなのだから他の者であれば意識を失ってしまうであろう。
クロエはアーヴィンの右手をとり吸血により傷が塞がったのを確認すると、細い体のどこにそんな力が?と思うほどの強い力でアーヴィンをベッドにひきずり込み組み伏せた。
スミレ色の瞳にははっきりと欲情が浮かんでいる。口元は気だるげに開きぺろりと舌で唇を舐めまるで獲物を喰わんとしている。
「アーヴィン様、体が…疼きます」
アーヴィンがゆっくりとクロエの太股に手を這わせ弄ると、彼女の口からは熱く甘い吐息が漏れ甘美な声が部屋に響く。
牙を覗かせニヤリと笑うとクロエの瞳を見つめた。
「覚悟はできてるんだろうな?」
これでおしまいです。ありがとうございました。