1話 サキュバスの嫁入り
GW期間中に完結する連載です。よろしくお願いします。
「お前は本当に純血のサキュバスかっ!?」
ベッドの上で二人の男女が睨みあう。
黒いレースの下着に身を包んだ女性は切実な声で訴える。
「お願いです!私を一人前のサキュバスにしてくださいっ」
・・・
どんな世の中にも噂話は存在する。噂話は瞬く間に広まっていくのだ。面白おかしく、間違った伝言ゲームのように拡張されて。
そんな噂話に翻弄された貴族がいた。
彼の名はアーヴィン・グラント。代々続く格式高いヴァンパイア一族の末裔だ。美しいブロンドの髪の毛に少し青白い肌、アイスブルーの瞳に浮かぶどこか心に影を抱え母性本能をくすぐるような視線は餌となる女性の視線を引き付ける為なのか、その容姿はヴァンパイア として完璧なものであった。
しかし時代と供にヴァンパイアの数は少なくなり昨今では混血のヴァンパイアも少なくはない。
アーヴィンもすでに子供がいてもおかしくない年齢だが純血のヴァンパイアとの婚姻を求めるが故にすっかり独身貴族となっていた。
彼の元で働く者達は早くアーヴィンが結婚し所帯をもって落ち着いてくれることをただひたすらに祈っていた。なぜならば、アーヴィンはヴァンパイアとして生まれ持った美しさを余すことなく利用し、すっかり只の女好きになってしまっていたからだ。
とある平日の朝───。
「アーヴィン様、アーヴィン様!!朝ですよ!」
メイド頭のアリスは柄の長いホウキを手に当主であるアーヴィンの部屋へズカズカと入っていった。部屋の中央に置かれたクイーンサイズのベッドに気だるげに横たわるアーヴィンは大きく伸びをしてベッドから起き上がると、めんどくさそうに椅子に掛けたままの洋服に着替え始めた。
続いてアリスはホウキの柄で彼のいなくなったベッドをつつくとガバッとシーツを剥ぎ取る。
「やだぁ、もう少し寝かせてよ」
ベッドの中には全裸の女性が丸まっていたが、手慣れた様子で柄でピシピシと女性の大きなお尻を叩く。
「ほらっ!あんたは早く家に帰りな!」
お相手女性もアリスに裸を見られ叩き起こされているのには慣れている様子でゆっくりと着替えをし「また呼んでねぇ」と言いながら部屋を出ていった。
アリスは腰に手をつきやれやれといった様子で大きく息を吐く。毎朝こうなのだから今更驚きはしないが、よくも代わる代わる夜のお友達が見つかるものだと呆れている。
「全く!本当に毎日毎日…早く良いお相手を見つけてください」
アリスは先々代からグラント家にメイドとして仕えていて、アーヴィンのオムツ交換もしたことのある大ベテランだ。他にも女性のメイドや下働きの者がいるが、この城で働く者は皆同じように歳のいったベテラン揃いだった。なぜならば、若い女性を雇うとすぐにアーヴィンがちょっかいを出してしまうので新しい募集がかけられない。それほどまでに女癖が悪いのだ。
「アリスやハロルドが家柄、純血とうるさいからだろう?俺は好みの女であれば文句はないのに」
「まぁ、人のせいにして!ハロルドが素敵な女性を見つけたと言ってましたよ!今度こそ良いお相手だとよろしいですね」
「またそれか」
実際アーヴィンがまだ結婚していないのはメイド長のアリスと執事のハロルドがグラント家に相応しいのは家柄も良く純血のヴァンパイアでないといけません!と女性をふるいにかけた結果なかなか相手が見つからずズルズルと今まできてしまったからだった。
二人の過剰なまでの家柄・純血への執着は若くして両親を亡くし一人になってしまったアーヴィンを心配しての行動だったが完璧に裏目に出てしまっていた。
まぁ、初めの頃は条件にあった女性もいたのだがアーヴィンが「見た目が好みじゃない」「貧相な体をした女は嫌だ」等と断ってしまっていたのもある。
ハロルドとは執事としてアリスと同じくらい長年グラント家に仕えている者だ。未だにお見合い相手探しに力をいれているがアーヴィンの女好きは周知の事実であちらから断られることも多々あり、なかなか良いお相手が見つからなくなってきていている。
二人はこのままグラント家が衰退してしまうよりは種族など何でも良い!早くお相手を見つけなければと焦っていた。すると、ハロルドに一つの噂話が聞こえてきた。
「隣国にとんでもない上等のサキュバスがいる!」と…。
「アーヴィン様!今度こそ素敵なお相手が見つかりましたよ!」
朝食をとりつつ仕事の書類に向かっていたアーヴィンの元へ執事のハロルドが嬉しそうにやって来た。
「なんだ?今度はどこの出戻り令嬢だ?」
「いいえ。今度のお方は初婚の美女です!歳はまだ成人 したばかり」
「なんだと!?美女で成人したばかり!?ハロルド、たまにはやるじゃないか」
最近ハロルドが持ってくる見合い女性はだいたい出戻りか訳ありの女性ばかりでさすがに家柄・純血が合格でもアーヴィンは相手も見ずに断り続けていた。自分に夜のお友達がたくさんいるのは棚にあげて困ったものである。
しかし今回は違った。
「下級種族ですが純血のお方です。同じく夜を統べる者、サキュバスです」
サキュバスは相手の男性を虜にし骨抜きにさせてしまう種族だ。しかしアーヴィンは上級種族のヴァンパイア、純血で魔力も高いときている。サキュバス程度に骨抜きにされるようなお方ではない。ならばアーヴィン様の夜のお相手をしっかり勤めていただいて子孫を残してくれさえすれば!ハロルドとアリスはそう思いアーヴィンに話を持ちかけたのだ。
「へぇ、興味があるな」
アーヴィンは書類をめくる手を止めてにやりと笑った。
すぐにハロルドに命じ相手の女性にオペラのチケットを手配し招待した。当日、アーヴィンはボックス席に陣取りオペラグラスで見合い相手をこっそりと偵察した。
「で、席はどこなんだ?」
「向かいのボックス席をご用意しております」
「んー、お!いたいた…」
オペラグラスの先には鮮やかな赤い髪の毛を腰まで艶やかに伸ばした女性が席に着席しようとしていた。
細く長い足、大きくハリのあるヒップ、抱き締めたら折れてしまうのではと思うほどきゅっとくびれたウエスト、つんと上を向いた豊かなバスト、そして勝ち気そうな少しつり上がりぎみの目もとはアーヴィンの好みのタイプど真ん中だ。オペラグラス越しなのに彼女の香りすら鼻先に感じられる気がした。
「最上級の美女じゃないか!」
「サキュバスに美女はつきものですから。しかも、彼女の噂話は遠く離れた土地にまで広がる程なのです」
「噂話?」
「はい。とんでもなく上等のサキュバスがいる…と」
この時長年アーヴィンに使えていたハロルドも、アーヴィン自身も気づいていなかったがこれが女好きの独身貴族と言われた男が一目ぼれをしてしまった瞬間だった。
その後はトントン拍子に物事が進んだ。ぜひ娘と結婚をしたいと相手方の両親に申し出ると「とんでもない!」「やめておいた方が!」などと言われたが両親が手放したくない程の娘だ。さぞ魔力が高くサキュバスとして夜伽も最高なのだろうと考えるとよだれが…いや、男の狩猟本能が疼いた。有無を言わさず結婚の流れに持っていき、あっという間に結婚してしまった。
・・・
大きな教会を貸し切って行われた結婚式が終わりようやく二人は屋敷に戻ってきた。
「改めまして、クロエと申します。末長く宜しくお願いします」
至近距離で見るクロエはやはり息を飲むほどに美しかった。スミレ色の澄んだ瞳に白く透き通る陶器のような肌、ぷるんとした果実のような唇から漏れる甘い鈴のような声は耳に入り込み脳を震わせるようだ。これが夜のお友達であったら場所など気にせずに今すぐ唇をむさぼり濡れた声を引き出していたであろう。
しかし、この美しい新妻を前にアーヴィンは少し緊張していた。心臓がいつもより早く脈打ち脳からの信号はどこかで不具合を起こしているのか体がぎくしゃくとしているのだった。
アーヴィンは本来、本気で好きになった女性には一途に尽くすタイプなのだ。夜のお友達が多かっただけで芯はしっかりしている。そんな彼が人生で初めて一目ぼれをしたのである。本人にまだ自覚はなくとも体は初めての経験にうまく対応できていないようだった。
クロエとの結婚を前に夜のお友達ともすっぱり縁を切り真面目に更生していた。全ては結婚生活を美しい妻と幸せに送るために。(…内心、毎晩楽しませてもう為に!)
「クロエ、ここの部屋を使ってくれ。部屋の中にある扉を抜けると寝室だ。寝室には俺の部屋に続く扉もあるから何か用があれば遠慮なく扉をノックしてくれ」
見合いと言ってもアーヴィンが一方的にクロエを見初めて結婚を申し込んだだけなので話をするのは今日が初めてだ。彼女は緊張しているのか言葉少く案内された屋敷の中をきょろきょろと珍しそうに眺めている。
「───と、屋敷の中はだいたいこんな所だな。何か質問はあるか?」
「アーヴィン様はいつもこのお屋敷でお仕事をされているのですか?」
「うちの領土はワインの産地だってのは知ってるだろう?収穫の時期や醸造の時期は外へ見に出る事もあるが大体は屋敷で仕事をしてる」
「そうですか!私の家は商家でしたが自宅に店があったのでいつも家族に囲まれて過ごしていたんです。アーヴィン様が外に出てしまわれたら寂しいなと思っていたので嬉しいです!」
見た目ドストライクの新妻に笑顔でこんなことを言われてはアーヴィンの表情は平静を保っていられない。片方の手で口元を抑えつつ「それなら良かった」とぼそりと呟いた。
彼の耳までもが赤く染まっていたことは誰も知らない。心の中では暫くは屋敷で仕事をしようと固く誓っていた。
夜遅く、自室で少しの仕事を片付けたアーヴィンは寝室でキングサイズのベッドに寝転び本を読んでいた。そこに、クロエの部屋から寝室へ続く扉が静かに開きクロエが部屋に入ってくる。
天蓋が邪魔をしてアーヴィンからは近づいてくるクロエの様子は伺えない。身を乗り出して彼女を見ることもできるがそこはアーヴィンの男の流儀が許さない。焦らず静かに待つ。
「アーヴィン様、先にいらしてたんですね。もしかして待っていていただけましたか?」
「いや、先程来たばかりだ。──!?」
ベッドにクロエの体重がかかり、ギシッと軋む。ゆっくりと本から目を離しクロエを見ると、アーヴィンは驚いた!
「何だそれは!?」
クロエはシルクでできたドット柄の長そでパジャマに同じ素材の長いズボン、手には長い耳のついたへんてこな顔の抱き枕を抱えている。
美しい鎖骨がちらりと見えるだけで豊満なバストも、引き締まったウエストも、流線の美しいヒップも、カモシカのような足も…全てが隠れている!!!
「え?あ、この抱き枕お気に入りなんです。これじゃないと眠れなくて」
「いやいや、違う!いや、違くはないが…それよりも その格好だ!結婚初夜なんだぞ?分かってるのか?」
「…? あ! もしかして」
ぽかんと口をあけ事態を理解しきれていない様子のクロエは何か思い出すと、自分の部屋からパステルピンクの丸いボックスを運んできてベッドの上に乗せた。リボンをほどき蓋を開けるとアーヴィンの待ち望んでいた布面積の小さな下着があれこれぎっしり入っていた。
クロエの実家は女性下着をブランド展開している業界一位の店なのだ。そう、アーヴィンはクロエがこんな下着を着用してくると期待していた!
「これ、姉が持たせてくれたんですけど…私寒がりだからいつもこのパジャマじゃないとダメなんですよねぇ」
「今日からは俺と一緒に寝るんだぞ。寒いならくっついて寝ればいいだろ」
「あっ、確かにそうですよね!でも今日はとりあえず様子見でいいで すか?お腹痛くなっちゃったら怖いから…」
これからそのパジャマも脱がすというのに何を言っているのかとアーヴィンは思っていたが上目使いでお願いされては仕方がない。可愛さに免じてクロエを不安にさせないよう快諾し、ベッドに入るよう誘った。
クロエは「よいしょ」とベッドに上がるとベッドのふわふわ具合に満足したのか抱き枕を強く握りしめ「おやすみなさい、アーヴィン様」と眠たげな声で呟くと瞼を閉じ寝てしまった。
「…!?」
(は!? 何で寝るんだ!?)
(…いや、待てよ。クロエはサキュバスだから夜伽も夢の中って事なのか!?)
(そうなのか!? …きっとそうなんだろう)
アーヴィンは女性とベッドに入ってからのこの展開は今まで経験したことがなかったので訳がわからず混乱していたが、心の中でこう自己解釈すると隣に横になり、眠るクロエを引き寄せ目を閉じた。