2話 サキュバスの夜
「…ん?」
新婚の二人を気にしてか今日はアリスが起こしに来ない。窓から入り込む朝日の眩しさにアーヴィンが目を覚ますとクロエは抱き枕をベッドの外に放り投げ、アーヴィンにしっかりと抱きつきながらすやすやと眠っていた。
アーヴィンの腕にはクロエの大きな胸がぎゅうっと押し付けられている。
「いや、これはこれで良いんだけど。夢…見てないぞ」
アーヴィンは腕に押し付けられた胸の弾力を楽しみながら起きたての頭でぼんやりと考えた…。
(そうだ、クロエは結婚式に引っ越し、初めての屋敷で疲れていたんだ!)
そう結論付けた。
(仕方ない楽しみは今夜までお預けか)
クロエは可愛い寝息をたてながら穏やかな表情で寝ている。 新婚初夜は思い通りにいなかかったが、こんな幸せな朝もあるのかと静かにクロエの額にキスをした。
(疲れているなら今のうちにたくさん寝かせておこう…)
アーヴィンはクロエを起こさないようにそっと抱きつかれた腕をはずしてベッドから起き上がった。
・・・
アーヴィンが身支度を整えていると寝室側にある部屋のドアがノックされた。
「入ってきていいぞ」
刃物を使っていたので振り向かず声だけで返事をするとドアが開いてクロエが歩いてくる。姿勢が美しく歩き姿もモデルのように軽やかなクロエの足音はまるで猫が歩いてくるように静かだ。
アーヴィンが顔を水で洗っていると横からぎゅっと抱きつかれた。驚いて水が滴るまま振り向く。
「アーヴィン様、おはようございます!起きたらいらっしゃらなかったのでびっくりしてしまいました」
クロエはまだパジャマで髪の毛は乱れている。少し眠いのか目をパチパチと何度も瞬きしながら話しかけてくる様はアーヴィンの心臓をぎゅっと鷲掴みにした。
「おはようクロエ。よく寝ていたからそっとしておいたんだ。着替えてきなさい、朝食をとろう」
なんとか平常心を保ちつつこう言うとクロエは「はーい」と返事をし抱きついた腕にぐっと力を入れるとぴょんと小さく飛びあがってアーヴィンの頬にキスをしてから自分の部屋に戻って行った。
「…か、可愛い!」
アーヴィンはクロエの去った自室でぼそりと呟いた。
・・・
「アーヴィン様は朝からワインを召し上がるのですね?」
二人でテーブルについて朝食をとる。一人の時は行儀が悪いが仕事をしながら適当に食事をとっていたのでアーヴィンがゆっくりと朝食を取るのは随分と久しぶりの事だ。これが結婚というものか…悪くない。と、しみじみ幸せを噛み締めていた。
「ああ。俺は人の血は飲まない代わりにワインを飲むんだ。ワインなら腐るほどあるからな」
はるか昔は通行人の生き血を好んで啜るヴァンパイアもいたというが、今は飲料用の血液が売られたりしている。しかしアーヴィンは魔力の高さで血への欲求をワインでカバーしている。昔、血液を飲んでみた時もあったがどうにも口に合わなかったというのもある。
「そうなんですか、じゃあ昼間の外出もできるんですね?」
クロエはアーヴィンに嫁ぐ事が決まってからヴァンパイアについてしっかり勉強していた。魔力が高いヴァンパイアは昼間にも外出できると書いてあったのだ。
「よく知ってるな」
「ふふっ、アーヴィン様とデートができるの楽しみです」
「そうか。では近いうちに出掛けるか?何処に行きたい?」
「うーん…」
チーズの入ったパンを小さくちぎり咀嚼をしながら行きたい場所を考えているようだった。ごくんと飲み込むとアーヴィンが飲んでいるワインのボトルを手に取り「どのように作られるのか見学したいです」と元気よく答えた。
妻として夫の領地で何が作られているのか勉強したいと言うのだ。クロエの申し出をアーヴィンは快諾し近く外に連れ出すと約束をした。
内心、街へ買い物に出かけたいだとか、海へバカンスに行きたいなどという答えが返ってくるものだとばかり思っていたアーヴィンは健気なクロエの要求が涙が出るほど嬉しかったのである。
・・・
アーヴィンは今日一日仕事で部屋にこもっていた。さっそくクロエと二人で出掛けたりしたいと思ってはいたが仕事が滞ってはいけない。
仕事に対する真面目さと的確な仕事ぶりは素晴らしいものだ。これが独身貴族で自由奔放に生活していたアーヴィンを見放さずベテラン勢が仕えて続けていた理由でもあった。使用人にも平等に接し決して身分で人を決めつけない人間性は皆に親しまれていた。
いくらか時間が経ったころ、再び寝室側のドアがノックされ扉からぴょこっとクロエが顔をだした。
「アーヴィン様、こちらの部屋で読書をしていてもいいですか?」
「構わないぞ」
一人で部屋にいるのが寂しかったのか了解を得ると嬉しそうに小走りで入室しアーヴィンの仕事机の前に置かれたソファに座って大人しく本を読み始めた。
アーヴィンは仕事をしながらも時々夢中になって本を読むクロエの横顔を覗き見た。
長いまつげがゆっくりと上下し声を出さずに小さく笑ったり、うっとりとした瞳で頬を赤く染めてたりとくるくる変わる表情は見ていて飽きない。それどころかもっと見ていたいとさえ思った。
今まで出会った女性の中でこんなにも興味を引かれる女性ははじめてだ。アーヴィンは心の中にクロエに対しての愛が育つのを感じていた。
しかし、それと同時に天真爛漫な笑顔で笑いかけてくれ側に近づいてきてくれるクロエに対しては、どうしてこんな俺の元へ喜んで嫁いできてくれたのか?本当に心から信頼してくれているのか?という不安も感じていた。
なにせ、アーヴィンは一目ぼれの自覚など無くはじめはクロエと夜伽目的で結婚したのだ。
たった数日だがクロエをこんなにも愛しいと感じ、今は夜伽だけが目的でなくなった自分に驚いている。クロエの笑顔をもっとたくさん近くで見ていたいと思っていた。
「…まぁ、今晩は楽しみにしてるけどな」
「何かおっしゃいました?」
つい、心の声がボソッと出てしまったようだ!慌てて咳払いでごまかした。
・・・
夜になり今日もアーヴィンは先に寝室へ来ていた。女性の支度はどんなときも時間がかかるものだと知っているアーヴィンは待つということを特に気にはしていない。むしろ自分の為にあれこれ考え支度をしているクロエを想像するだけでも愛おしくてしょうがない。
「アーヴィン様…」
クロエが寝室にそっと入ってくる。静かにベッドまで歩いてくると立ち止まり恥ずかしそうにしている。昨日言ったことをきちんと覚えていてくれたのか今日はパジャマではなくシルクのガウンを羽織っている。
薄く光沢のあるシルクにクロエの美しい体の曲線が浮かび上がっている。恥じらう表情をしたクロエが可愛くていつまでも眺めていられそうだ。
アーヴィンは無言でゆっくりと体を起こすと腰から太ももに垂れたガウンの結び目に手を伸ばす。
ガウンは音もなく滑らかなクロエの肌を伝ってストンと足元に落ちた。
ガウンが脱げると黒のレースでできたキャミソールと、その隙間からは揃の黒い下着が覗いている。クロエの白い肌を際立たせより悩ましげに見せてくれる。
この美しい肌のどこを守ろうとしているのか疑問になるほどの小さな面積で大きく主張する下着はそれだけでアーヴィンを興奮させる。
「恥ずかしいです…」
クロエはじっと見つめるアーヴィンの視線に頬を赤く染めてぽそりとつぶやいた。アーヴィンは今すぐに襲い掛かりたい自分の中の悪魔を押さえつけて「こっちにおいで」と低く優しい声でクロエにささやいた。
クロエはゆっくりとベッドに移動し、ちょこんとアーヴィンの膝の上に座った。まるで子供が父親の膝に座り絵本を読んでもらうような姿勢で。
「…!?」
アーヴィンは予想外の展開にしばし驚いたがまぁ、こういうのも悪くないだろうと思い直り、クロエの美しい赤色の髪の毛に顔をうずめキスをした。
バラの香りがする髪の毛を軽くよけ、クロエの顎に手を添わせると背中越しに唇を合わせた。
はじめは軽くついばむように唇を合わせるが、抱きしめるクロエの肩が緊張して硬くなり心臓がドキドキを早鐘を打つ様子がわかるとクロエの初々しさが可愛らしくてどうしようもなく我慢できなくなり激しく舌を求めた。
ぎこちなく動くクロエの舌は甘く、時折熱い息が漏れる。
唇が離れるとクロエは新鮮な空気を求めて大きく口で息をした。アーヴィンはクロエの耳に、首筋に舌を這わせる。後ろから回した片方の手はキャミソールの中に忍び込み柔らかな胸をゆっくりと指先で撫でる。
「…っん…ふっ」
クロエの肩が小刻みに震え、何だか様子がおかしい。
「?」
「…っ…くふっ」
これは!?と思いアーヴィンは胸を弄る手を止めてその場で軽々とクロエを自分のほうに向き直らせた。明らかにクロエの表情は…
「キャッ!ははっ…く、くすぐったいですっっ」
くすぐりがり真っ赤になって目じりには涙を溜めている。そんなにくすぐったかったか!?今まで夜のお友達はアーヴィンの愛撫にうっとりと酔しれ頬を上気させる女性ばかりだったのでアーヴィンは愕然とした。
(そんなに俺が下手だったのか!?いや、正直夜伽には自信があるんだそんなはずはない…!)
ぐるぐると頭の中であれこれ考え、つい口に出てしまった!
「お前は本当に純血のサキュバスかっ!?」
クロエの顔が一瞬にして曇り目にはより大きな涙の粒がにじむ。
「いや、大声を出して悪い。お前が悪いという意味ではなくてだな…」
「アーヴィン様…お願いです!私を一人前のサキュバスにしてくださいっ」




