第九話 託すⅡ 強引な退避
一方、洞窟の最奥――
「クソッ!! どうなってんのよ!!」
次なる一閃を振るいながらベルは叫んだ。
肉と空気を切り裂く音が重なる。
褐色の肌から赤い血を流しながらまた一つ、オークの巨体が倒れた。
それに続くように、視界の端で地面が光り、黄色い魔法陣が出現する。そこからまた一体、オークが出てきた。
デトは棍棒を避けながら横目でその様子を捉え、「チッ」と舌打ちをした。
「次から次へと、鬱陶しいな」
「倒しても倒しても……こんなのキリがないわ!」
振り下ろされた棍棒の側面から、デトはオークの脇へと近づき、しなる蹴りを入れる。
くの字にへし折られた褐色の体はその勢いで他のオークを巻き込みながら吹き飛ばされた。
間髪入れずにオークの拳が襲う。デトは片手で受け止め、呟いた。
「力任せに蹴散らしても意味ねぇな……」
デトは周囲に目を散らした。左右、少し遠巻きから彼の様子を伺うオークたち。背後で汗を流しながら猪頭を次々に狩っていくベル。
目の前の、青筋を浮かべる褐色の魔物を睨みつけた。
デトと対峙するオークが、防がれた腕とは逆手を振り上げる。
迫った豪腕を、デトは鞭のようにしならせた裏拳で弾き飛ばした。
勢いよく胸が開かれ、後ろに傾くオークの身体。
その隙を逃さず、デトは重い一歩を踏み抜く。
がら空きの胸部に空を貫く拳を突いた。
デトの攻撃を受けた直後、巨体は飛空し、岩壁に叩きつけられる。ドーム空間が少しばかり振動した。
囲うオークたちから一瞬、距離を取れた隙にデトは叫んだ。
「ベル!! 退け!!」
デトの荒げた声にベルは眉を一瞬動かしたが、すぐさまオークから距離を取る。
強く蹴り込んだ地面に跡がつく。退いたベルを追う、焦げ茶肌の魔物が猛然とその足跡を踏み荒らした。
ベルの肌に霜がつく。その冷たい感覚に目を丸くした。
冷気が漂い、デトの足元を起点として地に氷の膜が広がった。
――氷響魔奏・
ベルとオークの間に氷柱が突き上がる。そこだけではない。デトとベルを包囲するように幾つもの氷柱が交差する。
氷冥牢――
連続した甲高い音が鳴るたびに空気が冷える。
やがて、同心円上に並ぶ氷の柱たち。
オークたちの体長を上回る氷の柵が、デトとベルを守る隔離空間を創造した。
ベルは氷柱を見上げながら立ちすくみ、絶句していた。
嫉妬の感情も湧き出ない。
ただ圧倒されていた。
「おい、ベル」
デトの低い声にハッとし、振り返った。
「あ、あんた。本当に何者? こんな魔術が使えるなんて……」
「そんなことはどうでもいい」
圧のある眼差しと声色に、ベルは無意識に息を呑んだ。だが、周囲から絶え間なく響く氷を削る暴力的な衝撃音が、ここが戦場のど真ん中であることを否応なく突きつけてくる。
彼女はすぐに顔を険しくし、目の前の男に向き直った。
「こんなその場しのぎの防壁、すぐに突破されるわよ」
「あのまま無駄に体力を削るよりか良い」
ベルは言い返せなかったが、デトのその青い目を真っ直ぐ見た。
「……何か、策はあるの」
「ねぇな」
思考が止まる。
キレのある潔い返答に空いた口は塞がらなかった。
「……いやいや、じゃあどうして……」
動揺するベルの言葉を遮り、デトは声色変えずに言った。
「言っただろう。あのまま体力を削るのは無駄だ。その〝策〟ってやつを今考える」
ベルは目を瞑って呼吸を整えた。
「……あの転移魔法さえどうにかできれば、こっちにも勝機はあるわ」
デトは腕を組む。
「同感だな。問題はあの魔術をどこから、誰が仕掛けてきているか」
「設置型の魔術じゃないの?」
「オークを殺すことをトリガーとするトラップなら、転移が発動するタイミングが均一なはずだ。だが実際は、十分数が減ってから数体補充されることもあった」
ベルは顎先を指で触り、考えた。そして、大広間に入ってきた方向とは逆――祭壇があった場所に目を向ける。
「明らかに怪しいのは、あの水晶玉ね」
「ああ……だが、水晶玉が何の役割を果たしているのか、それがわからなければ破壊しても意味がない。最悪、あれを壊すこと自体がトラップの可能性もある」
ベルは舌を打った。
氷の壁を破壊しようとする音が徐々に大きくなり、焦燥感が煽られる。
デトが目を細め、ベルの腰に目をやった。
「おい。それ」
顎で示されたベルは自分の腰のポーチに目を落とす。
隙間から緑の光が漏れ出ていた。
すぐに魔石を取り出して、マナを注ぎ込むとノイズのある籠った声が聞こえ始めた。
『……ベル殿、聞こえるか』
「はい。気づかず申し訳ありません。目標地点に到着後、オークたちと応戦していました。現在一時退避中です」
彼女の声には焦燥が乗り、口早になっていた。
『……了解した。ロードはいたか』
「それらしき姿は見てません」
『……なるほど。……諸君らに伝えたいことがある』
ベルとデトは顔を見合わせ、言葉の続きを待った。
『……五つの班に分かれた冒険者たちだが、現在も交戦を続けている。当初、各群のオークは20体ほどと思われていたが、しかし、そうではなかった』
ギルバルドの切迫した声が鈍く響く。
『オークたちを撃破しても、次々に別の個体が転移される』
デトとベルの瞼は大きく開いた。
『これは各班が観測した。……ロードは戦場を見ている。戦況に合わせたタイミングでオークが転移されるようだ。甘く見ていた……想像していたよりも巨大な敵だ』
「ギルバルド」
デトがベルのすぐそばまで歩み寄り、彼女の手元の魔石に声を投げかけた。
『……デト殿か』
「ああ。冒険者は押されているのか」
『……いや、負傷者を出しているが、依然として優勢だ。しかし、長く続けばこれも持たない。最悪全滅があり得る』
「なら、簡単な話。全滅する前に俺らが〝元〟を叩けばいい」
淀みないその言葉に、ベルは顔を上げてデトの目を見た。
「ちょっ! ロードがどこにいるのかもわからないのよ!」
「推測はできる。五つの戦場を同時に見回せる場所……おそらく高台。転移魔術は距離が遠いほど精度は落ちる。各現場からそこまで離れた場所ではないんだろう」
ベルはデトの言葉を脳内で反芻した。
五つの戦場を見回せる高台。
彼女の脳裏に、洞窟の前で覚えた違和感がよぎった。
「ここの上よ」
不意に言葉が出ていた。
「そもそも五つの地点はここが中心になるよう、弧に配置されている。それに、この地点は山になってるわ」
「……なるほどな。この崖の上が最適ってわけか」
デトは鼻息を鳴らして、頷いた。
『……心当たりがあるのだな』
「はい」
『……私は各班の戦況を把握する。任せたぞ』
魔石は色を失った。
ギルバルドの最後の言葉は、二人を固く信じているかのように重かった。
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