第六話 ご対面Ⅳ 屍鬼
スピカの手には黒い指抜きの手袋がされていた。黒い艶のある髪は肩まで伸びており、歩くたびに左右に流れる。
薄暗い路地の中、リアはその女性の少し後ろを歩いていた。気づけば人の気配がない。リアは目線を周りに散らしながら自身の置かれている状況にわずかに違和感を覚えていた。
「スピカさん。こっちの方で本当にあってるんですか?」
スピカは振り返り、にこやかな表情をする。
「ええ。知る人ぞ知るという場所です。騒がしくない方が良いかと思いまして」
「そう……ですか」
その後は言葉が交わされることがなく、レンガを打つ足音のみが響いた。
スピカがリアの方を振り返らず問いを投げかけた。
「リアさんはどうしてライセンス持ちの冒険者になろうと思ったのですか?」
「それは……」
言うべきか悩んだ。だが、答えが見つかる前にスピカは喋り始めた。
「私は、憧れの人がいるからです」
「……え?」
「その人の側にずっといたくて、冒険者になりました」
背中越しでも伝わるその哀愁にリアは言葉を紡ぐのすら躊躇った。
「彼はいつも明るくて、いつも正しくて、いつも……味方でいてくれた。楽しかったわぁ。冒険者としても認められて、彼の隣にもいられた」
懐かしむような声。
「でもね? 届かないの」
突然、スピカが歩を止めた。
リアはスピカの後ろ姿をただ、黙って見つめた。
「彼はいつも遠くにいて、私じゃ届かない。努力したって、運命には逆らえない」
スピカはメガネをそっと外し、投げ捨てた。石床に当たる甲高い音が耳に残る。
リアは白銀の柄に震える手をかけた。
影が伸びていく。
「あの子たちと……彼と一緒にいるためには必要なの」
空気は冷えていく。
「〝力〟が」
瞬間、スピカは身体ごと振り返った。その手から銀色の光が射す。黒髪がふわりと広がった。
回転の勢いに乗せ、刃がリアの首へ向かう。
リアは刀を抜き、迫りくる短剣に刀身を合わせた。
金属音が鳴る。
「ス……ピカさん」
スピカは「ふふっ」と鼻を鳴らし、笑顔を浮かべる。その眼はギルドで見たものとはかけ離れ、狂気に満ちていた。
順手で短剣を持つ手。その手が斑に青白く代わっていく。
爪先は艶やかに鋭く伸びていった。
生臭い血の匂いが漂う。
スピカの目尻と首筋にひび割れたような青い模様が浮かび上がった。
じりじりと押される刀身。
リアの靴裏がレンガを擦る。
「その姿……」
スピカは嘲るように言った。
「醜いでしょう? これじゃ彼に会いに行けないわ」
リアは刀をずらし、短剣を流した。短剣が軌道に乗った刹那、リアはバックステップでスピカと距離を取った。
振り切られた短剣に目をやりながらリアは呼吸を整える。
鋭い眼光をスピカに向けた。
「リアさん、あなた」
ゆっくりと開かれた口。
「魔力がないんでしょう?」
リアは目を見開いた。刀を握る手の甲に腱が浮き上がる。
「どうしてそれを……」
リアの声には怒気にも似た色が混じっていた。
スピカの笑いが冷たい空気に溶けていく。
「あなたも私と同じ。何かを追いかけて必死になってる……可哀想ね。力がなければ届かないのに」
スピカが腕をリアの方へ伸ばし、短剣の尖端をリアへ向けた。
「だからね? 殺してあげる。私と同じ思いをしないように」
逆手に持ち替え、スピカは足を踏み出す。一気に間合いへと攻め込む。
スピカの手に光る刃。弧を描く。
リアはもう一振りの刀を抜き、走る短剣を弾き逸らす。
だが、スピカは引き下がらない。短剣を順手に持ち替え、反対方向へ切り返す。
再び刀を当てがい、刃を滑らせる。
短剣が迫る風圧でリアの金髪が舞う。
その激流のような攻撃にリアは防戦一方。
一撃を受ける度、確実に筋肉にダメージが蓄積した。
金属の甲高い音と、空を切る鋭い音が激しく鳴り合う。
漆黒と白銀の刀を振るたびに残像がリアの周囲を彩る。
レンガのつなぎ目にリアが踵をひっかけた。
重心が揺れる。
その隙にスピカの瞳が光った。口角が吊り上がる。
短剣がスピカの手元で回転する。
狙いは定められた。
銀色の光がリアの目に映る。
〝焦るな〟
心臓が一つ、大きく鳴った。
短剣がリアの心臓へ向かい、突き――
風圧でスピカの黒髪が後ろになびいた。
刀のリーチでは庇いきれない懐まで到達した刃。先端が僅かに服を刺し、止まった。
カランと白銀の刀が地面を跳ねた。
リアの胸元へと伸びる青白い腕。その手首は強く握りしめられていた。
刀を手放したリアの手が、死への一筋を阻んだ。
スピカの笑顔は消える。
――ここだ
掴んだ青白い手を引き、スピカの体勢を崩す。その瞬間、脇に構えた漆黒の刀を薙いだ。
冷たい夜に生温かい血飛沫が舞った。
「カッ……」
リアは、力の抜けたスピカの腕を放す。
スピカがよろめきながら距離を取り、腹に手を当てた。その青白い手から鮮血が滴る。
「フーッ……フーッ」
「スピカさん」
鼻息を荒くし、背中を曲げたスピカを見下ろす。
リアは血のついた刀を下ろした。
横から流れる黒髪の隙間から小刻みに揺れる眼球がリアを見上げている。
「その〝力〟は本物ですか」
スピカは歯を噛みしめた。目に血潮が浮かぶ。
「黙れ……」
短剣を握る手に青筋が浮かぶ。スピカはリアの顔面に向かって短剣を投げた。
リアは身体を傾け、それを避けた。
スピカから目を離したその刹那、リアの腹に鈍い衝撃が走る。
スピカの蹴りが直で入った。
「カハッ……」
リアは宙を浮き、レンガに叩きつけられた。
――クソッ……まだ浅かったか
リアは起き上がると背中を見せるスピカを目に捉えた。
逃げる姿はよろめていたが、確実にリアから遠ざかっていた。
「逃がすかッ……!」
リアは刀を拾い上げ、悲鳴を上げる筋肉に鞭を打ちながらスピカを追った。
リアの背中が月明かりに照らされる。
星の輝く夜空の中、満月はすでに昇っていた。
***
第六話 ご対面 完




