第六章 奇跡は起こすもの③
バルコニーにシルヴィオと光里が並んで立つと、ざわめいていた人々が静まり返った。
「親愛なる国民たちに伝えたいことがある。皆が不安を感じていることは最もだと考えている。だが、落ち着いて聞いて欲しい」
シルヴィオの声が風魔法に乗ってその場に伝わっていく。
「まずは魔族への対応は国王陛下より命を受けた辺境警備軍と魔法庁により完了した。今後彼らが攻め入ってくることはない。今回の交渉にもっとも功績があったのはここにいる当代の聖女ヒカリである。彼は男性だが先日の召喚によって異界から呼び寄せられた正真正銘の『聖女』だ。けれど、神殿側は彼の力を認めず、魔法庁が保護してきた」
人々はヒカリを見て戸惑ったようにざわついている。
まあ、それはそう。聖女が男だって言われても何言ってんのって僕だって思っただろう。
光里は杖を握る手に力を込めた。するとそれに呼応するように杖が光を放つ。
「神殿側こそが彼を蔑ろにしてきたのだ。そもそも召喚術こそ女神と先代聖女が禁じるように誓約していたものを強行したのも神殿の者たちだというのに。さらに新たな聖女を任命したが、その聖女は今回の魔族対応を拒んできた。どちらが女神の意思を裏切っているのか明白ではないか」
人々の熱がさあっと冷めていくような気がした。そう言えばと召喚術が禁じられたことを思い出したのだろう。
「欺されるな。そのような者が聖女のはずがなかろう」
広場の中央にいた集団の中から声が上がった。神殿兵たちがぐるりと護衛しているところを見ると神殿関係者だろう。
「いくら異界から来たとはいえ聖女リナとは似ても似つか……」
そう言いかけて光里の面差しにぎょっとして黙り込んだ。
「ヒカリ」
背後からデルフィーナの声がした。同時に飛んできた矢がシルヴィオの目の前で止まるとぽとりと落ちた。そして木の上から腕が氷に覆われた男が落ちた。
おそらくデルフィーナの防御魔法とシルヴィオの氷魔法が同時に発動したんだろう。
シルヴィオが背後に控えていた護衛に「捕まえろ」と命じた。
……長官を狙って来たか。まだ油断はできないけど、第一段階はクリアだ。
光里はぎゅっと口を引き締めた。怒りに呑まれてはいけない。冷静に。
聖女の力はいくつかあるが、女神に請願を行う、というものがある。つまり女神を呼ぶことができるらしい。
リナは光里がやってみて成功するかは五分五分だと言った。
それじゃ無理じゃん、と光里が言い返したら怒濤のように長文の返事が来た。
『無理? 何言ってんの。奇跡は起こすものでしょ。本編前半の山場なのよ。何が何でも成功させるのよ。何も起きなかったら光魔法で幻影を空に映せば良いの。光里はわたしと違って美術の成績いいんだから、あの小説の挿絵にあった光景をフルカラーの動画にすればいいのよ』
それって詐欺では、と思ったけれど「神様を呼ぶよりは簡単でしょ」と一蹴された。
女神を呼ぶ呪文とか作法とかあるのかと訊ねてみた。
『呪文なんて必要ない。むしろ言葉を選んじゃ駄目。光里自身の言葉で女神に呼びかければ良いの。失敗したらセルフ動画配信すればいいのよ。小説の中でも主人公が感情むき出して叫んだでしょ?』
……つまり日本語でもいいのか。僕が女神に伝えたいことを言えば……。
杖を両手で握って横にゆっくりと振る。軽やかな金属音が響いた。
神の名を語って人々を唆している連中に、ただの人間が何を言っても通じない。
男の僕が聖女だと納得させるには奇跡を起こすしかない。
……だから。女神フィオーレ。どんな神様だか知らないけれど、僕をこの世界に巻き込んだのがあなたなら……。
「女神フィオーレ。どうかお力を貸して下さい。僕は非力で本当に聖女かどうかわかりませんが、あなたの言葉を悪用して私欲に走っている者たちがいて、それで多くの人が迷惑を被っているのが許せません。というか、姉がすっかり終わらせたはずなのに、どうしてまだ僕たちがあのラノベの物語をなぞらなくてはならないのですか。僕はもう大事な人をこれ以上失いたくありません。だから……責任取ってください」
光里は空に向かって呼びかけた。杖を高く差し上げると空の色が金色に染まった。
……え。なんだこれ。まだ映像映してないんだけど……ホンモノ?
小説の中では王子が刺客からの矢を受けて倒れ、主人公の聖女が感情を爆発させたことでその力に完全に覚醒する。そして、その力に応えて女神が降臨して、聖女と王子に祝福を与えるのだ。
金色に染まった空から白い光の破片がひらひらと牡丹雪のように降り注いだ。その破片は地面に落ちることはなく光里の持つ杖に集まってきた。
最悪失敗したら、自分の頭の中で作った映像を光魔法で映すつもりだった。けれど。
この光景はあきらかに自分が想定していた映像じゃない。
そして空から白いドレスを纏った長身の女性がふわりと降りてきた。ひらひらと羽衣のように見える長い薄布を幾重にもたなびかせて。長い金色の髪。頭上には金色の花冠。顔はレースのヴェールで隠れているので見えない。
「女神フィオーレ……」
集まった人々はそう呟くのが精一杯のようだった。神殿兵たちは慌てて平伏している。
『聖女光里。放置していたわたしの責だ。すでにあの物語は終わったのだと思って人間を好きにさせすぎたようだ』
まるでボイスチェンジャーで加工したような機械っぽい声。しかも日本語。
「……放置?」
『あ、いや。何もしなかったわけではない。だが、見るべきものはなくなったというか。先代聖女が全部片付けてしまったというか……。それで……』
だんだん言い訳めいてきた女神の言葉に光里は笑顔で問いかけた。
「まさか、あのラノベのストーリーが見たかったけど、先代聖女が引っかき回して話自体が終わっちゃったから興味を失ってほったらかしていたとかじゃないですよね?」
『う……。そなた有梨奈にそっくりだな』
図星か。ってことはやはりこの世界であのラノベの物語が本当に起きる予定だったんだ。そして女神様はそれを鑑賞しようと楽しみにしていた。
ところが先代聖女のチョイスを間違えた。
「……何であの姉を呼んだんですか」
『呼んだのはわたしではない。術者の力によるものだ。呼べる者には条件がある。魔力が強いこと、向こうでの寿命が尽きた人間であることなど……。それにどの世界に繋がるかはわたしの権限ではない。まさかあの物語を知っている人間を連れてくるとは。そして気がついたら有梨奈が大暴れして何もかもが終わっていた。わたしが見たかったのはこうじゃないと思ったが、いまさら作り直すのも面倒なので、まあいいかと……』
どの世界から連れてくるかわからないって……つまり異世界からの召喚はガチャみたいなものだったということか? それであの姉さんを引き当てたってことか……。
女神様適当すぎないか。まあ可愛い高校生聖女が活躍するラノベが見たかったのに、暴れ者の聖女無双バトルになったらさすがに戸惑うだろうけど。
日本語で良かった。人々は聖女が女神と重要な話をしているとばかりに固唾を呑んで見つめている。視線が痛い。
「それじゃ、この事態をきっちり終わらせたいので協力していただけますか」
『わかった。じゃあまずはあの悪趣味な建物を更地にしていいか? あれがわたしの名を語っている神殿だとは信じがたい』
……どうしてみんな何でも更地にしたがるんだ。もうちょっと穏便に……。
でもまあ、姉さんやデルフィーナが神殿に手を出したら角が立つけど、女神様だったら誰も文句言えないから、そのほうがいいのかも。
「お任せします。ただ、神殿には……」
姉が言っていた「赤い箱」がどこかに隠されている可能性がある。その隠蔽の証拠がなくなるのは困る。
『……ああ。承知している。この際だから全て明らかにするべきだろう。あとはあの物語通りに進めよ』
ヴェールの下の顔がわずかに微笑んだように思えた。もしかしてこの事態を楽しんでいないだろうか。けれど、それならば女神はこちらの味方になってくれると光里は確信した。




