第九話-夢を描いた日
知らない間に夜が来て、そして明けていたらしい。
ここは地下だから、アタシたちがそれを感じることはできないけれど。
目が覚めると、アタシは昨日と同じベッドの上にいた。ここに戻ってきた記憶は無い。というか、昨日はあの後どうしたんだったっけ。もうよく覚えてない。
少なくともベッドで寝た記憶は無い。じゃあ、何でアタシは今ここにいるんだろう。
「……まぁ、何でもいいか」
このまま起きるべき起きないでいてもいいものか、グダグダ考えながらもぞもぞと動いていると、うっかりベッドの上から転げ落ちてしまった。どうやら起きろということらしい。
「ん〜……」
寝ぼけ眼を擦りつつ、部屋を見渡す。昨日は気づかなかったけど、出入り口の向かいの壁に時計らしきものが掛かっていた。円形で、針が三本ほど中心から伸びている。相当古いタイプのやつだ。
実物は初めて見るけど、前に読み方を見かけたことがあった。今は九時らしい。こんなに遅く起きたのはほとんど初めてだ。
もう一台のベッドを見る。
そこにノゾミはいなかった。
そもそもここでノゾミが寝ているところをアタシは見たことが無いから、このベッドがノゾミのものなのかどうなのかも分からない。
欠伸を噛み殺しながらドアを開ける。
明かりの点いた廊下には昨日と違って小さなヒーターが置かれていて、いくらか暖かくなっていた。スニーカーも履いてるから、歩くのも苦には思わなかった。
ノゾミは、あの後どうしたんだろう。また昨日のダイニングにいるかな。
合わせる顔がないのは分かっているけど、やっぱり気掛かりに思ってしまう自分がいた。
……けど、会ったところで、アタシはノゾミに何を言えばいいんだろう。
細く伸びていく無機質な道を曲がって、すぐに見えてくる階段を上っていく。
一段一段と進むごとに、足取りが重くなってきた。踊り場で折り返して、正面に扉が見えてくる。
出来る限り昨日のことを引きずらないように、なるべく自然でいられるように。アタシは深呼吸をしてから、ドアノブをギュッと握った。
扉の隙間から、ふわりと穏やかな空気が漏れてくる。相変わらず、部屋の中の温度は少し高かった。
部屋の扉を開け切る。アヤさんがコンロに向かって何かをしているみたいだった。ノゾミは、ここにも見当たらない。
「や、おはよう。……あんなところで寝たら風邪引くぞ」
扉の閉まる音で気付いたのか、アヤさんは半身でこっちに振り向いて、声をかけてきた。
キッチンに立っていても、相変わらず白衣のままだった。
「お、はよ……ってことは、アヤさんがアタシを?」
「まぁね」
あっさりとアタシの問いかけに答えると、後はまたコンロの方に体を向けてしまった。
「えっ、と……ノゾミは?」
ずっと扉の前で立っているのも変な気がして、手頃な椅子に座る。木で出来たそれは少し硬いけれど、不思議と座り心地は悪くない。
「あぁ、あの子なら置きっぱなしにしてた荷物取りに行くっつって外に出て行ったぞ」
「……そっか」
溜め息混じりに力なく呟く。ノゾミが今ここにいないことに、安心してしまっているアタシがいた。また、罪悪感が胸の奥に突き刺さる。
それからは、どうにも落ち着かないような、無言の時間が暫く続いた。
大人しく、ベッドの部屋に戻ってしまおうか、と椅子を立ちかけた時、アヤさんがおもむろに口を開いた。
「――何かあったんだろ?」
「え」
腰を浮かせたまま、目を丸くして動きを止める。きっと、側から見れば意味の分からない格好をしているように見えるに違いない。
「あーいや、すまん。ちょっとだけな、話聞かせてもらったから」
と、バツが悪そうに頬を掻きながら、ほれと湯気の立つカップをアタシの前に置いてくれた。中身を覗き込むと、チョコレートのような色をした飲み物がゆらゆらと波紋を描きながら揺れている。
「ココア。まぁ飲め」
「え、あ、はあ」
よく分からないけど、どうやら飲ませてくれるらしい。そういえば、暫くご飯も何も食べていなかったな、ということを思い出した。
カップの縁に唇を近付ける。
思ってた以上に温度は高くて、思わず「あちっ」と声が出た。何とか冷ましながらちびちびと飲んでみると、程よい苦味と甘みが口の中に広がっていく。不思議と落ち着くような味だった。
「……怖いよな、外」
言いながら、アヤさんはテーブルを挟んで向かいの椅子をガタリと引いて、腰を下ろす。反射的にビクンと身体が跳ねてしまい、危うくカップの中身を散らしかけた。
「……うん。……凄く、怖い」
ゆっくりと頷くと、アヤさんは穏やかに笑みを浮かべる。
「……そうか。まぁ分かるよ。そういう理由でここに住み着いてる奴だって少なくはない」
「そうなの?」
「ああ」
この空間に、一体どれだけの人が暮らしているのだろう。
きっとそれぞれ、ここに辿り着くまでに苦労があったに違いない。
その点、ここなら誰も襲ってはこないし、暮らしもある程度は保証されてるみたいだから、ここで暮らすことを選ぶのだって不自然なことじゃない。
「ここで暮らすったって、ちゃんと見合う働きはしてもらってるけどな。食糧生産の為のブロックの管理とか、流石に何十人も住人がいるとアタシ一人じゃ手が回らない」
「あぁ、やっぱそういうのはあるんだ」
思っている以上に、地下空間は広いらしい。言われてみれば、昨日のエレベーターまでも結構時間かかってたな。
「ま、この辺の話はここまでにしておくとして」
ふっ、と。アヤさんがにこやかだった表情を消して、真面目な顔をしてアタシの方を見つめてくる。
「お前は、これからどうしたいんだ」
選択肢を、真正面から叩きつけられた。
「旅を終わらせてここで暮らしたいってならそれでもいい。ここには仲間もいる。同じような境遇の奴だっている。私だって拒みはしない。……けど、お前自身はどうなんだ」
……いや、正確には、こんなの選択肢でも何でもない。
アタシは、何が正解なのか、最初から分かっているはずだったんだから。
諦めたくない、と。ずっと思い続けているのだから。
「……アタシ、は」
けれど、うまく言葉が出てこない。
あの光景が頭の中をチラつく度に、喉の奥がつかえる。続きを言わなければと口を開いて、呼吸の仕方を忘れてしまったような掠れた声だけが出て、グッと唇を噛む。
そんなことを三回、四回と繰り返した。その間、アヤさんは黙って、アタシのことを待ってくれていた。
「アタシは……ずっと、ノゾミと一緒に旅できれば、いいな、って……思ってる、けど」
「ん」
膝の上に置いていた指に力が入る。履いていたボトムスにクシャリと皺が浮き出た。アヤさんをチラと見ると、小さく頷いて、ただ黙って続く言葉を待っていた。
「けど……怖い。もしまたあんな事があって、それでノゾミと離れ離れになったらって考えると……それが一番、怖い」
「……そうか」
自分でもビックリするくらい、その言葉はあっさりと抜けて出た。ああ、そうか、って。何でアタシがこんなに迷っていたのか、ストンと腑に落ちるような感覚があった。
「確かに死ぬのは怖いけど……それ以上に、アタシの前でノゾミがいなくなることの方が、よっぽど」
ポタリと、手の甲に雫が落ちた。
それ以上何か言おうとしても嗚咽が続くばかりで、いつの間にか目の前はぐちゃぐちゃになってしまっていた。
ここ数日、ずっと泣いてばかりな気がする。昔のノゾミを泣き虫だなんてからかうことも、いよいよ出来そうにない。
「……なぁ、シシキ」
歪んだ視界のまま、アタシはテーブルの向こう側に浮かぶ人影に目を向ける。腕を組んで、台の端に肘をついているようだった。
「――ノゾミとした約束だか提案だかって、お前は覚えてるのか?」
「……やく、そく?」
漠然としたアヤさんの言葉に、アタシは戸惑った。
約束。提案。思い当たるものはいくつもある。
街じゃないところで野宿をする時は、一日ごとに夜の見張りを交代でやること。
見つけた銃は全部ノゾミに渡すこと。
料理は必ずアタシがやること。
情報は必ず共有すること。
……絶対に、生き延びること。
数え上げればキリがない。
けど、アヤさんが言ったのは、そのどれでもなかった。
「――言ったんだろ。『世界の果てを目指す』って」
ボウっと、顔が熱くなるのを感じた。
「なッ……んでそれをッ……⁉︎」
「何でも何も、ノゾミがそう言ってたんだが」
不意打ちを喰らって、アタシは派手に狼狽える。勢いで涙も引っ込んでしまった。
まさかノゾミが覚えていたなんて。あまりにも迂闊だった。
いや、違う。違うんだあれは。
何というか若気の至りというか、あの時は本当に自分でも「生きなきゃ」ってそれだけで必死になっていて、なんとか無理矢理理由をつけようとしてたっていうそれだけなんだけども。
「……まぁ、確かに言った、けど……正直な話、あるわけないじゃん、そんなの」
ずるいことを言っている自覚はあった。
ノゾミがそのことを覚えていたのだとすれば、ノゾミはずっと、あの時のアタシの言葉を聞いて着いてきてくれてたってことになる。今のは、それすらも裏切るようなものだった。
アヤさんが大きく溜め息を吐く。「あのなぁ……」という、呆れたような声音に、アタシは肩をビクッと跳ねさせた。
「分かってんだよそんなもん。ノゾミだって」
「え?」
パッと、アタシは思わず顔を上げた。アヤさんが頬杖をついている。ちょっと小馬鹿にしたような目をしていた。
「大体、あいつ地図持ってるんだろ? 知らないわけないだろ」
「そ、それはまぁ、その、た、確かに……?」
あの兵器のこととは無関係に、変な汗が噴き出してくる。挙動不審になりながら床辺りをキョロキョロと見渡していると、またアヤさんが溜め息を吐いた。
「多分、多分だけどな」
「お前ら、考えてることは同じなんだよ」
◆
「分かってますよ。そんなの無いって。だって地図見れば分かるんだもの」
「え? あ、そう?」
私の言った事が意外だったのか、アヤさんは目を丸くしてこっちを見つめていた。
「……じゃあ、お前らは何が目的で旅なんかしてるんだ? 危ない目にも遭ったばっかだろ、特にお前は」
「何が目的って言われても……」
私はふと、天井を仰ぎ見る。綺麗な円形を描く灯かりは赤みがかっていて、直接目にしても痛みは感じなかった。
「私は、シシキと旅したいからしてるんです。それが私の生きてる意味……って言ったら、流石に大袈裟かも知れないですけど」
「……もしそれであいつが死んだとしたら?」
「どのみちそしたら生きていけませんよ私。生活能力なんて全くないですし」
「……お前が死んだら?」
「最期までシシキといれて良かったなって。シシキには悪いですけど……まぁ私がいなくなったら、あとどうするかはシシキ次第ですし」
「……そうか」
じわじわと、アヤさんの顔が引き攣っていくのが見えていた。そりゃドン引きだろう。でも、私にはそれしか無いのだ。十二年前に全てを失ってしまった今の私には、それしか。
確かに、この旅は危険が伴うかもしれない。実際私は死にかけた。
それでも、この安全な空間が私にとって居心地のいい場所だとは、どうしても思えなかった。慣れの問題もあるかもしれないけど。
「……これでも、色々考えたんです。けどやっぱり、私はシシキと旅がしたい。……あ、シシキがどうしても無理だって言うなら、その時は私も一緒にここに残りますけどね。一人じゃ生きられないので私」
「あぁはいはいそうかいそうかい」
アヤさんが鬱陶しそうに手をペッペッと振る。追い出すような仕草だった。私は少しだけムッとする。真面目な話をしているつもりなんだけど。
「ま、とにかくお前のしたいことは分かった。あとはシシキ次第なのもその通り。ってことで……」
アヤさんはそこで一度言葉を切ると、白衣のポケットをゴソゴソと漁り始めた。取り出してきたのは、さっき研究室の電気を点けた時に使ったのと同じもの。
カチリと押し込むと、様々な図形や読めないほど細かい文字が書きこまれたウインドウが現れる。
「――じゃあ私からも一つ。提案がある。悪い話じゃないはずだ」
アヤさんはそう言うと、何やら危ない商談でも持ちかけるみたいに、ニヤリと怪しく笑みを浮かべた。