追走:2
〇帝国歴2108年9月の第3火曜
午後1時17分
帝都第3環状高速道路を追走中の魔法二輪車上
『念じれば通じる』
魔法文明華やかなりし現代の人類にとっては常識ともいえる言葉だ。
思いの強さや、生まれ持った素養によってその影響力は上下するが、魔法に関わらずにいられる人間というのは存在しない。
私が今着ている戦闘用のツナギ、内勤の時の制服やちょっと冒険したおしゃれめの普段着。
温かな食べ物を生み出す炎、乾いたのどを潤す飲み水や最近流行りのカフェで飲めると噂の抹茶ラテ。
夜を照らす明かり、心地の良いやわらかな寝床や顔をうずめると最高に気持ちいお気に入りのクッション。
日常生活に必要なもの、必要ないもの。部屋に置ける小物から街のインフラに至るまで、そのすべてに大なり小なり魔法技術が使われている。
私が乗っているバイクや、さっきまで周囲にいた乗用車、本日の目標である逃走中の大型輸送車両も、人間の思いひとつで動いている。
人の思いに不可能なことはない。
それは例えば、その身ひとつを空中に踊らせて、私のバイクに並走している彼の存在もまったく不思議ではないのだ。
「リョウちゃん」
「やっと来てくれたぁ」
ほんの少し震えた声で私の呼びかけに答えたのは同僚のリョウタ君だ。
今日も今日とて、彼の装いは全身蛍光グリーンに黒の幾何学模様をあしらったぴちぴちのコスチュームだ。
どこのアメコミヒーローかと見紛うばかりに体のラインがはっきり出た格好だけれど、彼の得意とする魔法をさらに効率よく使うためにはこの形状が最善なのだと兵装部門の担当者が言っていた。
その担当者の目の下には常よりも濃いクマができていたから、きっと徹夜明けのテンションでやらかしてしまったのだと、私は今も疑いを捨てきれていない。
「お仕事なんだから泣かないんだよ」
「泣いてないってば!」
どうだか。
私より少し年若い彼だが、職場の関係としては私のほうが後輩になる。
いつも頼りなさげに八の字になっている眉とつぶらな瞳は、コスチュームとセットの頭部をすっぽり覆うマスクの下に隠れていて窺えない。先輩が強がっているのだから、後輩としてはこれ以上の追及はしてあげないのが優しさだと思う。
「あの車、止められないの?」
追走している輸送車両からは視線を切らずにリョウちゃんに訊ねる。
ようやく見えた運転席では大柄な男性らしき人物がハンドルを握っている。助手席にはもうひとり。どちらも目出し帽をかぶっていて、その表情こそうかがえないが、なぜかこちらに一瞥だってくれない。
「なに言っても聞いてくれないから説得はちょっとあきらめて、魔法で止めようとしたんだけど……」
なにやら歯切れ悪く「なんだかおかしいんだ」と漏らすリョウちゃん。
「リョウちゃんの魔法なら、あの程度の車くらいちょっと無理すれば止められるんじゃないの?」
「そうなんだけどさ。なんだか魔法が効きづらいっていうか……。ちっともスピードも落ちないしどうしよう……」
言いながらどんどん声が沈んでいく。
リョウちゃんが得意とする魔法は≪流体制御≫だ。
周囲にある大気は彼の意のままに従う。今はちょっと泣きが入っているが、彼は一級の魔法士だ。
≪流体制御≫を駆使して自在に空を飛ぶ彼が、その魔法で操る大気は思いのままに自分の体重の何十倍もするような物体を浮かばせることだってできる。
かなり大型の輸送車両なので、一度で完全に止めることは確かに難しいかもしれない。だが、回数を重ねることで無力化することは、彼にとっては容易なことだ。彼自身は謙遜をやめないだろうけれど、それだけの経験だって十分に積んでいる。
事この魔法に関して、リョウちゃんがなにかミスをしているとは、とてもじゃないが考えられない。
「荷物の確認はできた?」
「まだできてない。何度も確かめようとしたんだけど、あのトラックの近くに行くとうまく飛べなくなるんだ」
ますますおかしい。
リョウちゃんの≪流体制御≫を乱すほどの魔法士を、こんな八方塞がりのやけっぱちな犯罪に投入するだろうか?
仮に精鋭中の精鋭の魔法士が相手だとして、逃げの一手というのにも疑問を感じる。
今もって、私のバイクの左前方を走る輸送車両からはなんの妨害もない。
「……確かめてみよっか」
「サチコさん?」
リョウちゃんが私を訝しげに呼ばわる。
マスクの下に隠れてその表情は分からないが、なぜか不安そうな様子がうかがえる。
「隊長」
リョウちゃんと合流してから静かになっていた通信機に呼びかける。
「聞いてるぞ」
「良かった。寝てるのかと思いました」
「ひどい部下だぜ。それで、何か思いついたのか?」
「ええ。これ以上追いかけっこをしていてもらちが明かないので、直接攻撃の許可をいただけますか?」
私が何を言い出すか、分かっていたのだと思う。
間髪入れずに隊長は答えた。
「いいだろう。まともな支援もない状況だしな。多少の無茶くらいは必要か」
「ありがとうございます」
「ただし、なるべく殺すな。なるべく壊すな。それから……」
今度はほんの少しだけ言い淀む気配がした。
なんだろうか?
「……なるべく怪我するな」
「ええ、分かっています。……リョウちゃんも聞いてた? 隊長も、たまには隊長らしいこと言うみたいだよ」
むぐ、と押し黙る気配を通信機越しに感じた。
リョウちゃんも「ハハハ……」と苦笑を漏らしている。
「じゃあ、リョウちゃん。私のバイクのことよろしくね?」
「えっ」
私は全身に魔力を循環させて、普段は制限している能力を解放する。
ハンドルから手を放してシートの上に直立。
体中を巡る魔力が出口を求めて、私の肌に刻まれた魔力紋を浮かび上がらせる。
「≪強化呪法≫及び≪防壁呪法≫、解放」
体が軽くなるのと同時に、心の底から湧き上がるのは強制的な高揚感だ。
少し前まで大嫌いだったこの力を何とも思わなくなったのは。いいや、ちょっとだけど好きになれたのはいつからだっただろうか。
この力はだれかを害するためだけの魔法だ。
それでも、使い方次第でだれかを守ることのできる力でもあるのだ。
「いきます」
掛け声一発。
私はシートを蹴って輸送車両の荷台へと飛び移った。リョウちゃんの言っていた通り、着地した瞬間にほんの少し魔法が乱れたが、気になるほどではない。
リョウちゃんの「わわわ!」慌てた声と同時に、彼が魔法を行使したのが分かった。
私のバイクは、彼が魔法で集めた大気のクッションに受け止められて、そっと道路脇に寄せられていた。
これで後顧の憂いはない。
あとは、殺さない壊さない怪我をしない。
難しい要求だけれど、全部なんとかするのが私の仕事なのだ。
着地した荷台には、防護用か隠蔽用かのシートがかぶせられた荷物がある。
でこぼこしているため、この上で動くのはちょっと窮屈そうだ。
直接取りつかれたからか、助手席側から相手方のおそらくは戦闘魔法士が荷台へと這い出てきた。
目出し帽の男は拳銃を構えて油断なくこちらをうかがっている。
荷台の上でバランスを取りながら、私は身分証をかざす。
「最終警告です。こちらは魔法省所属、魔法犯罪対策班です。今すぐに車を止めて全員投降してください」
彼からの返答は銃声だった。




