覚悟
シズル・エイリさんは、五十代に見えたけど、日中の光の中で見ると、思っていたより若く見える。四十代前半かもしれない。
これなら、私が若返ったことも、夜と昼の光の差ということでごまかせそうじゃない? まぁ、ファーノさんには思いっきり「若返ったアピール」をしてしまったから、今後の成り行き次第だけど。
そんな事を思っていたら、シズルさんが頭を下げた。きっちり四十五度。
「申し訳ありませんでした。タカハラ様。私も、メメンも覚悟が足りておりませんでした。」
声に悲壮感がある。頭が下げられたままだったのは、よかったかも。
怖がらせたのは私、だから謝るのは私だと思っていたから、少しぽかんと間抜けな顔になってしまった。顔を引き締めているうちに、シズルさんが話し始めてしまう。
「私たちお世話役は、異界の方が、いつお姿を見せられてもお仕え出来るように、準備をしてきました。異界の方を召喚するということは、その方から、その方自身の世界の全てを奪う事。ご家族、ご友人、慣れ親しんだ土地や場所、言葉に尽くせぬほどのものを奪うのだと云う事を、理解しているはずでした。」
ここでほんの少し間が出来た。私は慌てて言葉を滑り込ませる。
「シズルさん、顔を上げてください。」
「いえ、このままで。」
遠慮されても困る。
「顔を隠されてると、言葉丸ごと信じていいのか分かりませんから。」
ハッとしたように頭を上げたシズルの表情には、突き放された人の痛みが見えた。
やっちゃったね、私。
十六の私はこうだった。
あんたはホントに信じられるの? そういう気持ちを、ストレートに問いかける。相手が傷づくかどうかなんて気にかけていなかった。大事なのは真実、そう思っていたから。
自分の過去を振り返るのって、痛い。あの頃の私は、思い込みが強くて、刹那的だった。
常に、「今」、「この時」が大事だった。
でも今は。
二十八才までの記憶がある。経験は人を大人にするはず。頑張れ私。
「本当に申し訳ありません。」
シズルさんがまた頭を下げた。けれど今度はすぐに顔を上げ、真っ直ぐに私を見る。
「私たちは逃げるべきではありませんでした。タカハラ様のことを思えば、私たちは何処であろうとも、お供すべきなのです。見知らぬ世界に巻き込んでしまったのは私たちの世界の者なのですから。」
「まぁ、確かに。」
と、言いながら、何か違うと感じてた。私じゃなく、シズルさんが先に謝ったところから、すでに予定と違うんだけど。
私の言い方が冷たかったせいか、シズルさんがまた言った。
「申し訳ございません。」
シズルさんは満身創痍ですって雰囲気で、それでも一心に私を見てる。
これってなんか、私がイジメてるみたいじゃない?
この状況って、いじめられっ子が、いじめっ子のパシリを拒んで報復に遭って、これからはちゃんと言う通りにしますって謝っているシチュエーションみたい。
いやいや、待て待て、私。それは妄想だ。
と、思いながら、私は両腕を固く組んだ。
相手が傷ついてますって顔をしているから、謝らなきゃと罪悪感をもっていた私が、加害者気分になっているだけ。
そもそも、この世界の人が私を召喚しなければ、何の問題も起らなかった。
目の前に、身をすくめるシズルさん。
確かに私は冷たい態度を取った。けれど、シズルさんは私よりはるかに大人だ。初めて会った時から緊張感しかなかった若いメメン・リーラとは違う。ちゃんと大人の余裕を見せ、逃げる時もメメンちゃんをかばってた。
印象が変わりすぎだ。
私が眠っていた間に何かあった?
頭の中に浮かぶ顔があった。
ファーノさん。
この十日間で、あなたは、どんな再教育をしたんですか!
一瞬頭に血がのぼって、けどすぐに霧消した。
私か。
私が怒って召喚魔法陣を出したせいか。
心の中で、ひとり突っ込みをして、ちょっとため息をついてしまった。
まずは、この居心地の悪さを変えたい。
話、話を変えよう。
「えっと、ファーノさんが、お風呂に入れるように頼んでおくと言ってくれたんですけど。」
今度は、冷淡さを出すことなく言えた。
私の声の空気が変わった事に戸惑ったのか、突然話の方向が変わったのに驚いたのか。シズルさんは、慌てたように、手に持っていたものを、広げて見せて来た。
「ガウンをお持ちいたしました。湯浴みの準備はメメンがしております。出来上がり次第、ご案内に参ります。お着替えになって、お風呂場に行かれますか? そのまま行かれるのでしたら、このガウンをお召しくださいませ。」
私は、柔らか生地のシンプルワンピースのままだ。十日間、ずっと同じ物を着てたとは思えない。それならきっと汗とかでヨレヨレになってるはずだもの。
清潔なワンピース。誰かが世話をしてくれていた。意識のない人を着替えさせるのは、きっと大変だっただろう。
一体どんな十日間だったのか。ファーノさんは、シズルさんとメメンさん以外にも世話係をつけると言っていたから、私が知らない人も、手を貸してくれていたんだろう。
そう思うと、素直に感謝の気持ちはでる。
「十日間、着換えとか、お世話をお掛けしました。」
ちょっとだけ、頭を下げると、シズルさんは、大袈裟に一歩引いた。
「いいえ。何もしておりません。何が起っているのか分かりませんでしたから、お医者さまにもなるべく触らず、見守るようにと言われまして・・。その、お着換えも、しておらず・・本当に申し訳ありません。」
シズルさんの謝罪の、今度の頭の下げ方は九十度だった。
なんと放置! 私の体は愛ちゃんに色々されてたからともかく、普通なら、床ずれ対策とか、医者ならそういう指示をするものでしょう。それもなし?
「普通は、寝たきり人には、床ずれとか気をつけますよね。体を拭いたりとか、筋力が落ちないようにマッサージするとか。こちらの世界ではしません?」
怒りを含まず尋ねた私は偉いと思う。シズルさんの視線が床に落ちた。
「申し訳ありません。」
その台詞、何回目? でも聞かずにいられない。
「こちらの世界では、そういう看護はしませんか?」
「私には、そういうことはわかりかねます。」
上目使いに困り果てたように言われた。
不意に気付いた。
この人、もしかして貴族とかいう種族? 世話役と言っても、料理や、掃除、洗濯したりしてくれる人じゃなく、そういうことを支持する立場の人?
「シズル・エイリさん、あなたは世話役の管理者、リーダーですか。」
「はい。私がお世話役のまとめ役です。」
「もしかしなくても、貴族?」
「シズル家は、第三位を賜っております。」
「第三位とは。」
「国の政を担う役の位でございます。」
シズルさんの声は控え目だけど、誇らしさは隠せてない。
「世襲制ですか。」
「そうです。我が家は代々、王家に仕えております。」
「代々ってどれくらいです?」
「二百二十年です。」
二百年二十年。どこかで聞いた年数だ。会話をした人の数は少ない。ファーノさんか。
そうだ。前回アサイルに異世界人が来たのが二百二十年前じゃなかった?
これは、意味のある符号なのか。
私は大きく息をついた。
ちょっと立ち止まろう。気分のままに聞きすぎた。
「ガウン、着ます。」
お風呂、入ろう。こっちに来てから、いろいろありすぎた。お風呂入って落ちつこう
向こうの世界で住んでいたマンションの部屋でなら、あるいは実家でなら、私はパジャマのままで歩き回った。
けれどここは違う。私が住んでもいい家みたいだけれど、世話役という人たちの出入りがある。その人たちは、家族じゃない。
この家にいるのは、よく知らない人ばかり。だから、寝巻のままでウロウロしてはいけない。
まずい。なんだか沈んだ気分になってきた。昨日、ではなく十日前か、こっちに来てすぐの時は、そうでもなかったように思うのに。
来た時は、状況判断だけで容量オーバーしてたのかなぁ。
それとも十六才に戻ってしまったせい?
ベッド脇には、自分が履いてきた靴は無く、サンダルが置かれていた。土台は木かな。細い布が何本も、右から左へ渡してある。
片方だけはいて、ベッドに座ったまま、もう片方を手にとって見てみた。
布は数枚重ねられていた。土台はやっぱり木だ。その側面に、鋲で布が留められている。
両足はいて、少し歩いてみる。足の甲をしっかり覆ってあるので脱げはしない。履き心地は、決していいとは言えないが、これもここで生きて行くには慣れるしかないだろう。
シズルさんがかかげるガウンは、元の世界にもあったガウンと同じ形だ。色は若葉色。生地が薄いのは、夏だからだろう。
袖に腕を通すのを、シズルさんが手伝ってくれた。幅広の紐をウエストに回して、前が開かないように締める。
着てみると、裾は足首まで覆われた。
シズルさんの白ローブ風な服も、ロングだ。足元は見えない。
最初の国で見た女性たちも全員、足は隠れてた。
動きにくい。
この丈が世界標準なのかと、シズルさんに聞いてみようと思ったところで、またノックがあった。ドアの向こうから声がする。
「メメン・リーラです。」
声はしっかりしているように思えるけど、眠りこむ前に見た彼女の緊張した顔を思い出すと、私は少し気が重い。シズルさんみたいな反応されるのは、はっきり言って嫌だ。
「湯浴みの準備が出来たようです。」
シズルさんからの言葉かけを勢いにして、私は声を返す。
「どうぞ。」
ドアが開く。
メメンちゃんは、入って来るなり、私に向かって四十五度にきっちり頭を下げた。
さっき、見た光景だ。もしかして同じセリフが出てくるのか。
「タカハラ様、逃げ出して申し訳ありませんでした。今後は必ず、どこへでもお供いたします。」
短縮バージョンだった。
「頭を上げて。」
話が長くなる可能性を潰すために、私はまず彼女にそう言った。
顔を上げた彼女を見て、少し驚いた。前はあんなに緊張して怖がってさえいたのに、今はなんだか凛々しく見える。責任感いっぱいで気負っているとも見えるけど。とにかく凄い変わりようだ。
これも、あれね。シズルさんが言っていた「覚悟」だね。
死をも恐れません、みたいな。
メメンさんはいつから、魔王を倒す一行の人になったのかしら?
私って、ただそこに居たらいいだけの、異世界人のはずよね。
力なく微笑んで、メメンちゃんに言った。
「まぁ、ほどほどによろしく。お風呂、入らせて。」
「はい。」
元気がいい。力に満ちた笑顔を見せる。
こっちのエネルギーが吸い取られるみたいな気分。
なんか、むかつく。
「あ。」
聞きそびれていた事を思い出して声を上げてしまった。
「どうかされましたか?」
メメンちゃんが聞いてくる。今では同年代となった彼女に聞く。
「今、朝? 夕方?」
朝だそうだ。
前回と同じく湯浴みを手伝うと言う二人を、洗い髪の手入れだけは頼むからと浴室から追い出した。
寝巻替わりのワンピースは、十日も着たきりだったとは思えないきれいさだ。もしかしたらこの清潔さは、愛ちゃんが私の視力を上げる過程での一工程に入っていたのかもしれない。
こころゆくまで体を洗い、湯船にだらっとつかった。
浴室の窓は開けられていて、すだれが掛ってる。それを通して陽射しが入っていた。
すだれも、この家を作った人が遺したものなのかな。
窓ガラスはまだないんだろうか。
静かだ。
大きなため息が出た。
この世界に来てから、ひとりで落ち着いてゆっくり考えるのは初めてだ。来た夜は早々に寝ちゃったしね。
本当に、奇妙なことになってしまった。
私がこの世界の人と築きたいと思ったのは、信頼だ。だから、召喚魔法陣で怖がらせてしまった人達との間に出来てしまっただろう壁を、乗り越えなくてはと思っていた。
でも、実際の壁は、私が思っていたのとは違った。
シズルさんとメメンちゃんは親切だ。覚悟をしたと言い、どこへでも一緒に行くと言う。
覚悟、だ。
覚悟と信頼は全然違う。
その覚悟は、一見私のために思えるけど、絶対に違う。あれは、この国の、引いてはこの世界の安寧のためにした覚悟だ。
困ったら、異世界人を召喚。この発想はたぶんこの世界共通なんだ。
異世界人から全てを奪うと分かっていてもやる。それがこの世界の常識。何度でもやる。
私が思い知った壁だ。
私を召喚した国、ウィンダムは、天災続きだったのかもしれない。あそこの王族は、強い魔力が欲しいみたいだったけど、どちらにしても国力が弱ったから異世界人の召喚に踏み切ったんだろう。
ここ、アサイル王国も、王は、私が息子を助ける事は出来ないと知っても、生活を保障してくれた。
私ってば、ウィンダムでの扱いが悪かったから、アサイルの王っていい人だって思ったけど、私を「災害避け」扱いしているのに変わりない。
上から目線なのはアサイルもウィンダムも同じ。異世界人の人生を犠牲にする事になんの疑念もない。
私は甘かった。愛ちゃんの、異世界人は大事にされるという言葉が、ここに来たとたん間違っていると知ったはずなのに、どこかで世界は私に優しいはずだと思ってた。
ふいに、体の奥で何かが膨れ上がった。胸を押し上げるような圧を感じる。
自分たちさえ助かれば、異世界人の一人くらいどうでもいいっていうの?
何が生活の保障はしてやるよ。まずは召喚したことを、国の重鎮全部揃えて、平身低頭、謝罪をするのが筋じゃないの?
私をここに呼んだこと自体を、謝ってくれた人っていただろうか。思い出せない。いないんじゃない?
私の人生も、命も、勝手にされてたまるか。
思いどおりなんてなってやらない。心に暗い思いが溢れ出て来た。
死んでやる。
大勢の人がいる前で、ふざけるなって叫んで派手に死んでやる!
涙が出て来た。
膨れ上がってた気持ちが、急速にしぼんで胸が痛くなってきた。
どうして、私が、見ず知らずの、酷い事の出来る人たちのために、生きることを捨てなきゃいけないの? どっちを向いても納得がいかない。
そう思った時、私は息を長く吐いていた。吐ききったら、吸うしかない。そして今度はゆっくり吐く。
癖だ。これは私の、二十八才の私の癖。
仕事で理不尽な目に遭った時、イラっとした時、少し気分転換したい時、緊張をほぐしたい時、通勤電車で運よく椅子に座れた時、どうしても苦しい時。そんな時に自然にしていたこと。大人になってから、いつの間にか身に着けていた癖だ。深呼吸。
静かに呼吸だけ三回ほど続け、それから私は自分に言い聞かせた。
まずは落ちつこう。
情報が充分じゃない。この世界の事、まだわかってない。でも、もうすで自分が、容量オーバー起こしてるのは確かだから、一度きちんと頭の中を整理しなおさなきゃ。
そして、仕返しすると決めたら、ダメージの大きい方法を考える!
これまで来た異世界人たちがどんな人生を送ったのかも気になる。ファーノさんが「写メ」と言う言葉を知っていたと言うことは、少なくとも同時代の人がいたはず。知りたい。
居たら得なはずの異世界人に対して、最初に召喚した国ウィンザムが、友好的な態度でなかった理由も気になる。
ちょっと、深呼吸。
ぼんやり壁の隅っこを見る。
この辺りの管理人、愛ちゃん。
素敵な人と家庭を持ってと言ったけど、無理。異世界人を踏みつけてるこの世界の人を、伴侶になんて考えられない。
愛ちゃんは、召喚に責任を感じて、私の幸せを考えてくれてるのかもしれないけど、ちょっと抜けてるね。もしかしたら、地頭いいけどおバカなエリートと同類かな。
でも、信用しても大丈夫と思えるのは愛ちゃんだけだ。
愛ちゃんとのおしゃべり権を獲得しておいて良かった。
体を起して背筋を伸ばした。
お湯の温度が下がった気がする。保温機能がないものね。冷めて当然か。
魔法でちょっと上げようかな、いや、駄目駄目駄目。
失敗していきなり沸騰したら、私が大惨事だ。
魔法は、練習してから使おう。ろうそく点けがあまりに簡単すぎたから、逆に怖い。
こういう用心をしてしまうのは、二十八才の私だね、きっと。
最初から十六才の私だったら、魔法が使えるという事実を知ってどうしていたか。
おそらく、お試しだと言って、人気のない草原で、辺り一面焼き払い、悦に入ってたと・・。そう、あのころはライトノベルを読みまくってた。もちろんアニメも大好きだった。
よかった、今の私で。
そう、よかったのだ。
「メメンちゃん、髪の毛乾かして。」
私は、明るい声で、フレンドリーに彼女を呼んた。
世話役さんたち、あなた達が何の覚悟をしていようとも、誰にどんな忠誠を誓っていようとも、もう構わない。
それでも教えてもらえる事は、引き出せる情報は、山ほどある。
押しつぶされたり、しないんだからね!