違和感
「立ち方、姿勢、歩き方と、これらは何よりも先に身に付けておくべきものです。本来ならば多くの時間を費やすところですが、王女殿下は確認程度で十分でしょう。晩餐の席での立ち居は申し分ありませんでしたので、そのままの状態を保っていれば問題はないかと」
あの短時間で色々と見られていたらしい。最大限に猫を被っておいてよかったと安堵しながら、メレーヌ様へ「分かりました」と返す。
「まずは立った姿勢での礼から始めましょう。礼とはいっても王族や高位の者は深く頭を下げることはありません。ですので、王族としての威厳を損なわない程度に浅く頭を傾け、角度、視線、呼吸、全てを意識しながら滑らかに」
そう言い、メレーヌ様はゆっくりと礼を執って見せた。
王都から離れ、社交の場からも退いて久しいはずなのに、年齢を重ねた今でもここまで所作が美しいのは、それだけ長い年月をかけて修練してきたからなのだろう。
「それでは王子殿下方、どうぞ」
少し右側へと移動したメレーヌ様が、クリスとソレイルに手本を促した。
「では、私から」
ゆっくり立ち上がったクリスは、メレーヌ様と同じように中央まで歩きふわりと振り返り、その場で頭を浅く傾けた。
「お教えすることはありませんね」
「ありがとうございます」
普段から所作が美しいクリスであればこの程度は難なくこなすわけで、特段驚くことではない。
それなら……とソレイルを見ると、私の視線に気付いたソレイルは嫌そうな顔をしたあと、重い腰を持ち上げた。
(へえ……)
優雅で品のあるクリスと比べ、ソレイルは安定感があり動きに無駄がない。言動によらず優秀だと聞いてはいたけれど、まさかあのソレイルがクリスと同程度かそれ以上に品のある礼を見せるとは思ってもおらず、そういえば王族だったのだと不覚にも感動してしまった。
「こちらも、お教えすることはありませんね」
「あ、りがとうございます」
褒められ照れくさそうにはにかむ姿は年相応で、普段の横柄さはどこにいったのか……。
「では王女殿下も一度、形にならなくても構いませんので試してみましょうか」
「はい」
ふっと小さく息を吐き、メレーヌ様のお手本を脳内に浮かべながら静かに立ち上がる。
(懐かしいなあ……)
一度目の人生で嫌というほど叩き込まれたことを忘れるはずもなく、微かに口角を上げ中央へ歩み出す。
身体は揺らさず、背筋を伸ばし、顎を引く。誰がどの角度から見ても完璧に、そしてメレーヌ様のあの動きを寸分違わず再現するように、頭を浅く傾け視線を落とす。ゆっくりと数を数え、戻るときは滑らかに。
(うん、及第点かな)
お手本が良いので今までで一番の出来だったと、斜め前に立つメレーヌ様を窺えば、満足そうに頷かれた。
「初めてだと伺っていましたが……」
「こうして習うのは初めてです」
「とても素晴らしいものでした」
「ありがとうございます」
「カーテシーですが、こちらもお教えする必要はないでしょう。王女殿下のカーテシーは直すところなどなく、十分に完璧なものでしたから」
「はい」
「それでは席へ」
早々に合格をもらい、ぽけっと口を半開きにしているソレイルと、驚くことなくパチパチと手を叩くクリスと席へ戻る。
「座った姿勢での礼に移りましょう。晩餐会、または他国の王族や使者との席など――」
その後も作法の授業は続き、説明を聞きながら必要な要点を順に確認していき、お手本を挟みながら指示されたものを全て完璧にこなしていった。
***
「……おかしい」
礼法室を出て教育棟から王子宮殿へ戻る道を、何故かクリスとソレイルと並んで歩き、背後ではリオルガとノクトが何か話しながら歩いている。
「絶対におかしい」
私の隣にわざわざ陣取り、礼法室を出てからずっとぶつぶつ言い続けているソレイルを無視し、通路の脇に咲いている花を眺める。
「どうして……おかしい」
おかしいのは、同じ言葉ばかり繰り返しているソレイルの方だと思う。
「どう考えてもおかしい……」
「ソレイル」
「だって、あれは」
「ソレイル」
「あっ、はい」
「ずっと同じことばかり言っていると、ソレイルの頭がおかしくなったように見えるよ」
「……兄上」
ぎゅっと唇を噛み、大人しくなったソレイルを見て、よしよしと頷いていると――。
「それで、何かおかしいのかな?」
静かにさせた本人が、話を蒸し返した。
やっと静かになりそうだったのに……とクリスを睨むと、にっこり笑って肩を竦められた。
「その、リスティアは王宮ではなく、外で育ったと聞きました。それなのに、どうして私達と同じように出来るのかと」
「天才なのかもしれないよ」
「そうだとしても、一度見ただけで全て完璧にこなしていたんです。そんなこと、私だって……」
「ソレイルは立って歩くだけでも、半年はかかっていたからね」
「は、んとし……では」
「気にすることではないよ。皆、そのくらいはかかるものだから。でも、ソレイルの言葉も一理ある。伯爵家だった祖母と母親から教育を受けていたとしても、あれほど完璧にはならない。ソレイルがおかしいと思っても仕方がないよね、リスティア」
何か思惑でもあるのかと思っていたけれど……もしかして、ただ探りにきたとか?
メレーヌ様との晩餐の席で、あと半年もあればクリスに追いつくと口にしたとき、珍しく感情をあらわにしていたことを思い出し、にっこりと笑みを作る。
「お手本が良かったのではないでしょうか」
「……手本。そうか、兄上と私の手本を見たから」
「そうですね」
これで納得してしまうのはソレイルだけで……。
「悲しいな。兄妹なのだから、もう少し親しく思ってくれてもいいと思うんだ」
「親しく……?腹の探り合いの間違いではありませんか、クリスお兄様」
「リスティアは、私をそのように思っていたんだね……酷いな、私はただ仲良くしたいだけなのに」
胸元に手を当て大袈裟に嘆いてみせるクリスに呆れていると、そんな陳腐な芝居にすっかり騙されているソレイルが非難の目を向けてくるのだから堪ったものではない。
「それにしても意外だった」
「何がですか?」
「座学のように、実力を隠すのかと思っていたから」
「……隠す?」
何の話なのだと訝しむと、隣を歩くクリスが私の顔を覗き込んだ。
「惚けなくても……あれ、本当に分かっていない?座学の進度を隠していたのでは」
「隠す必要がありませんけど。それと、調べさせたのですか?」
「うん」
悪びれなく頷くクリスに半眼すれば、横からまた面倒なのが割り込んできた。
「隠すって何のことだ。また何かしたのか?」
「ほら、面倒なのが食いついてきたんですけど」
「私の所為にしないでくれるかな」
「面倒……?」
自分のことだと気付いていないソレイルの背中を労わるように優しく叩き、それで?とクリスに視線で促す。
「あと半年もあれば私に追いつくと、そう言っていただろう」
「そうですね」
「そのことだけれど、報告では基礎的なことがやっとだと聞いていたんだ。あまりにも未熟で、午前中だけでは到底間に合わず、午後まで授業が延びているとね。けれど、実際はそうではなかった。だから君が隠していたのだと……でもそうだね、そのようなことをする必要はないか。今までその片鱗を隠そうともせず、散々私に楯突いてきたのだから」
冷たい眼差しで私を射抜くクリスに、こてりと小首を傾げて見せる。
「楯突くだなんて、クリスお兄様は私のことをそのように思っていたのですね。でも私は、どこかの誰かさん達のように腹黒くはありませんので、圧をかけたり排除しようとしたりはしません。欲しいものは正当に手に入れます」
「それもそうだね。では、誰が何のために隠したのだろうね……」
次期王候補を目指し、上層部へのお披露目も終えた今となっては、能力を隠しても得られる利益などなく、むしろ損でしかない。クリスやソレイルの力量は既に知られているけれど、私に関してはたかが知れていると思われているはず。だからこそ、彼等と遜色なく、あるいはそれ以上だという噂が流れてくれた方がいい。
それなのに、どうして誤った情報がクリスに伝わったのか。
これがもしリオルガやリタ達が関わっていることだとしたら、事前に理由を告げたうえでどうするかを私に委ねただろう。
では、自称父親であるイシュラ王だとしたら……と考え、首を横に振る。あの人はより優秀な者へ王位を譲ると公言しているし、そこに私情を挟むことはしない。
だとすれば残るはオーバンだけになるけれど、彼は黙っているだけで敢えて隠すようなことはしないと思う。
でもだとしたら――誰が、何のために?
と考え、ふとある人物の姿が思い浮かび、まさかと苦笑する。
(……でも、あの人ならやりかねないような)
そっと周囲へ視線を巡らせ、今日はいないぞとその人物を確認したあと、何やら考え込んでいるクリスを横目に歩調を速める。
この隙にと、面倒な二人から離れようと動けば、何故かソレイルまで歩く速度を上げて並んできた。
「どこに行く」
「どこって、王子宮殿に戻るだけですけど」
そう言うと、ソレイルはふんと鼻を鳴らし、私の前へ出た。
「前に立たれるのは嫌だ」
「……へ?」
「兄は妹より先を歩かなくてはいけない」
「……」
「だから、リスティアは私の後ろをついてこい」
突然訳の分からない持論を持ち出したソレイルは、どこか誇らしげな顔でさらに速度を上げ、「そんなに急ぐと」と慌てて制止した私を無視して走っていってしまった。
――結果。
「よし、私が……っ」
「第二王子殿下」
「リ、リタ?その、これは」
統括宮殿の扉を出たところで待っていたリタに、盛大に叱られることになった。
「どうしてついて来なかったんだ!」
「走って行ってしまったじゃないですか」
「リスティアも走ればいいだろう」
「王宮内を走ったりはできません。リタもそう言っていたでしょう?」
「走る以前の問題だろう。完全に足を止めていたじゃないか!」
同類だと思われたら嫌なので、距離を取るのは当然のことである。
「次は」
「次はないと思いますけど」
「どうして……あっ」
横で騒ぐソレイルをあしらいながら王子宮殿へ戻って来ると、入り口の前に人影を見つけた。その人影にソレイルも気付き、「メリア……!」と声を上げ駆け寄っていく。
「母上のところではなく、どうしてここへ?もう暗くなってきたのに、侍女は?」
「少し、落ち着いて。そんなに沢山訊かれても答えられないわ」
「あ、ごめん」
何やら楽しそうに話している二人の下へ歩いて行くと、それに気付いたメリアがぱっと顔を綻ばせ、優雅にお辞儀をして見せた。
「ご機嫌麗しゅうございます、第一王子殿下。王女殿下」
ごきげんうるわしゅう?おうじょでんか?
まるで普通の令嬢のように話すメリアの姿に驚き、似た人ではないかと思わず凝視してしまう。
「王妃様から、王子殿下方にお渡しするよう頼まれました」
そう言って、メリアは手に持っていた花束をソレイルに渡した。
「用件はそれだけです。お邪魔してしまって、申し訳ありません」
「……メリア?」
「はい、第二王子殿下」
「どうしたんだ?第二王子殿下って、どうしてそんなに他人行儀なんだ?」
「礼儀はわきまえないといけませんので」
「礼儀……」
「はい。王子殿下方のお側にいるのですから、礼儀作法はしっかりしなくてはいけません」
「……」
「第二王子殿下?」
私と同じく、ソレイルもこの妙なメリアに驚いたらしく、完全に言葉を失ってしまっている。
庭園での一件や部屋への襲撃など、礼儀作法を完全に無視してきたメリアの口から、まさかまともな言葉が出てくる日がくるなんて。
やっぱり偽物では?と観察していると、ふと私を見たメリアが、にっこりと笑った。
「この間は、すみませんでした」
「……え」
私に向かって勢いよく頭を下げたメリアは、しゅんとした態度で上目遣いにそう口にした。
「許可なくお部屋に入ろうとしてしまって……とても失礼なことだったと、あとで知りました。それ以前にも、王女殿下には色々とご迷惑をおかけしたのだと気付いて、だから、すみませんでした」
瞳を潤ませ、可憐な姿も相まって同情を誘う。すると単純なソレイルはすぐに、「あれは私も悪かったんだ」とメリアを慰め始めた。
私が年相応のただの子供であったとしたら、絆され許しを口にしていたと思う。
けれど、ただの子供にはなれない私にはどうしても演技のようにしか見えず、違和感でしかない。
「王女殿下……?許して、くれますよね?」
許す前提での謝罪ほど意味のないものはない。
さて、どうするべきかと考え、そうだ!とずっと黙ったままのクリスへ顔を向けた。
「クリスお兄様」
「……何?」
「あれ、よろしくお願いしますね」
「え……っ」
何故かとても嫌そうな顔をしたクリスに、「あれも妹なのでしょう?」と一言添え、得体の知れないメリアを押し付けて王子宮殿へ入る。
「え、あのっ……王女殿下!?」
「待て、リスティア……!」
背後で何やらわちゃわちゃと揉める声がしたけれど、リオルガが「気の所為ですよ」と言うのだからそうなのだろう。
「新手の嫌がらせかもしれない」
その後、リオルガとメリアの不可思議な様子について話し合い、気にしないことにした。




