ただいま確認中
「王族教育というものは、良家の子弟の教育よりもさらに早く、そして厳格に礼儀作法から始めるのが常でございます。幼い頃は所作と言葉遣いを整える時期でして、机に向かう集中力もまだ育ちきっておりませんゆえ、まずは王族としての振る舞いの基礎を形作ることが優先されます。本来ならば、礼儀作法を整えてから座学へと進むのが道理でございますが」
私が書き終えた紙に目を通したオーバンは、穏やかに微笑みながらそう口にする。
「しかし今回は、敢えて座学を初手に選ばせていただきました。余計な矯正が入っていないまっさらな状態で、王女殿下がどのような資質をお持ちかを確かめる必要があったからです。読み書きや理解力、思考の癖といったものは、最初にこそ最もはっきり表れますからな」
とても優しい口調で話すオーバンの目がすっと細くなり、空気が少しだけぴんと張り詰めたような気がして、コクリと喉を鳴らす。
「座学というものは、正しい姿勢で座れなければ成り立ちません。机に肘を突く、背中を丸める、足をぶらつかせるなど、そういった状態では美しい文字もかけず集中も続きません。ですからまずは、王女殿下が机に向かえるかを確認しておりました」
そこでオーバンは、私の姿勢を確かめるかのように視線をゆっくりと巡らせた。
「姿勢は知性と品位の表れです。幼い頃から周囲の者が常に目を配り、少しずつ身につけていくものですが……王女殿下は、もうすでに身につけておられるようですな」
驚きと、わずかな感嘆の混じった声音にほっと胸を撫で下ろし、「ありがとうございます」とひとまず笑みを浮かべて見せる。
「初日でございますから、今日はあくまで軽い確認のつもりでおりました。学力そのものよりも、まずは学ぶ準備が出来ているかを拝見する予定でいたのですが」
オーバンはそこで言葉を区切り、私を見てふっと笑みを深めた。
「王女殿下にはどれも必要なさそうですな。文字も丁寧に書かれておりますし、矯正すべき項目が、見当たりません」
初めてきちんと字を書いたので、少し形が歪んだ部分もあったが、どうやら問題なかったらしい。心の中で「よし!」と勝利のポーズをしていると、「では……」とオーバンがパチン!と手を打った。
「次に移りましょうか」
「……次、ですか?」
「はい」
確認だけでは終わらず、どうやらこのまま進めていくらしいと背筋を伸ばすと、オーバンはテーブルの端に置かれていた教材の束から一枚抜き取り、そっと私へ差し出した。
「では、こちらを」
手渡されたのは、初代国王陛下について書かれた短い歴史の一節。物語のように読みやすくまとめられているので、子供向けの教材なのだろう。
私はそれを読み上げ、内容の要約と感想、そして簡単な質問への回答を行った。
勿論これも問題なくこなすと、オーバンはわずかに瞬きをし、ゆっくりと顎髭を撫でた。
「言葉の選び方や読み上げの調子だけでなく、内容の捉え方まで実に整っておられる。そのご年齢にしては、随分とよく出来ております。もしや、どこかで学ばれていたのでしょうか?」
「……それは」
別の国で侯爵令嬢をしていたことがあります、などと言えるはずもなく、にこっと笑って誤魔化す。
「祖母と母に、日々色々と教わっていましたので」
大抵のことはこれで乗り切れる筈だと、そう笑顔のまま押し切れば、オーバンは静かに頷いた。
「なるほど、元はご身分のある方々でしたな」
「はい」
「読み聞かせなどは語彙の基礎を育てますし、調子も自然と整うものです」
ふむ……と顎髭を撫でるオーバンを横目に、そろりと部屋の隅へ目を向けると、リオルガが「うちの子はやはり凄いでしょう」と言わんばかりの、誇らしげな笑みを浮かべていた……。
どうやらあちらを気にする必要はないらしい。
「……こちらの教材では王女殿下には物足りないでしょうな」
そう呟き、テーブルの端に置かれた教材へ視線を落とすと、オーバンはそのままゆっくりと立ち上がり、部屋の奥の机へ向かった。乱雑に積まれた紙束や本の中から一冊を手に取ると、軽く肩をほぐすように動かす。
「……朝の冷えが残ると、どうにも関節がこわばります」
本を一冊抱えて戻ってきたオーバンは、ソファーに腰を下ろすと、自身の肩を撫でながら苦笑した。
「今日は随分と暖かいですが、朝は少し冷えておりましたからな。歳を重ねると、こういった寒暖の差が堪えます」
「祖母もよくそう言っていました」
「ほっほっほ、やはりそうでしょうな。こればかりは歳には勝てません」
祖母も肩や足が痛むと言ってよく撫でていたことを思い出し、懐かしさに頬が緩む。
痛むところを撫でると、少しだけ楽になるのだと言っていたなあ……とオーバンを見ていると、ふいに彼が窓の外へ目を向けた。
「このまま暖かくなってくれればいいのですが。……そういえば、去年は随分と暑うございましたな」
「そうですね」
「フィランデルは豊かな土地ゆえ影響は出ませんでしたが、南方の小国では作物が弱り、収穫が落ちたと耳にしました。食料が不足し、民だけでなく貴族も大変だったとか」
こういった周辺諸国の国情は、教育係からの講義や要点だけをまとめた簡易版の報告書、社交界などで自然と耳にするもの。
それと、補助的な意味をもって新聞などを読むこともある。
けれど、私はまだ講義を受けられる段階ではなく、政務の手伝いもしていないので報告書にも触れられない。社交界に出ていないので、周りの国々の話を耳にする機会もない。
だからこそ、こうして何気く話された国情などはしっかりと頭に入れておかなくては。
「どの国も、こういう折には頭を悩ませるものです。民に食料を多く回せば貴族が不満を抱き、貴族を優先すれば民が飢える……といった具合に」
ふむふむと頷いて聞いていると、
「立場が違えば、重んじるものも変わってまいりますな」
オーバンが独り言のようにぽつりと漏らした。
その言葉に、私はほとんど反射的に口を開いていた。
「まず、水が確保出来る地域から近くの干上がりそうな農地へ水を回すべきですよね。川沿いや井戸の深い領地であれば余裕があると思うので、そこから応急的に水を運べます。でも、距離がある地域まで水を運ぶのは現実的ではないので……そういった場所には、水ではなく食料を送った方が早いと思います。収穫が落ちなかった領地の倉庫には余剰がありますし、それを不足地域へ回せば飢えは広がりません。それと、税も一時的に軽くする必要があります」
こういったときはどう対応するべきか、と様々な事例を題材に王太子妃教育で散々やらされてきた……。
「なるほど」
そんな苦い記憶がよみがえり、眉をぎゅっと寄せたところへオーバンの低い声が聞こえ、伏せていた顔をパッと上げた。
「ほっほっほ」
何かやらかしてしまったのでは?と思ったけれど、オーバンはにこにこと笑っているだけで。
「では、こちらを」
「あ、はい」
あれ?と思いながら、差し出された本を受け取った。




