全力でいかせてもらいます
教育など受けたことのない九歳の子供を、王族として幼少から教育を受け続けている子供達と同等の教育水準へ引き上げなくてはならない。
そうなると、まずは三ヵ月ほどかけて生活習慣の矯正を行う必要がある。正しい立ち姿や静かな歩き方、椅子の座り方などを身につけ、基本的な生活作法を徹底させる。それと同時に、方言や品性のない言葉があれば修正し、感情の制御も学ぶ。
それが終われば基礎教養へと移行していく。自国の歴史や王家の系譜から始まり、音楽、舞踏、絵画などにも触れ、礼儀作法、礼拝での作法や祈りの言葉なども必須になる。
この段階で、王族としての基礎的な教養と振る舞いが形作られていく。
そこからさらに数年ほどかけ、より高度な知識と社交の訓練が始まる。自国だけでなく周辺諸国の歴史や政治制度、国際関係といった座学を通じて、王族として必要な判断力と理解力を養う。それに加えて慈善活動、公務の基礎にも触れ、ここまででやっと、クリスやソレイルが受けている本来の教育へ進むための準備段階となる。
寝る間も惜しんで励み、どれほど必死に食らいついたとしても、この準備だけに何年も費やしていたら、クリスとソレイルに追いつく前に次期王候補はどちらかに決まってしまうだろう。
王族の子供が幼少期から習得していく内容を、平民出の子供が数年も遅れて追いつこうとしているのだから、本来なら無茶にもほどがある。
絶対に間に合うはずがないと、そう考えているのはクリスだけではなく、王妃様の陣営も、もしかしたらイシュラ王でさえ、そう思っているかもしれない。
でもそれは、私がただの子供であればの話である。
「準備過程を省いて、追いつくどころか抜き去ってやる」
優先するのはジル・ゴルジだと言われたけれど、あのよく分からない屈折した人がただの子供に膝を折るはずがない。
「秀才程度じゃ甘いよね……?じゃあ、天才?でもそれだと他にもいそうだし……十年に一人の逸材くらいは目指さないと、相手にもされないかも」
イシュラ王が歴代の王の中で最も優れていると称されるほどの逸材なのだから、それと同じ血を持つ私が少しくらい優秀でも誰も驚きはしない。それくらい出来て当然だと思われるだけ。
それなら、全力で私の力を見せるのみ……!
そう決意してすぐ、王子宮の読書室から大量の本を運んでもらい、寝食の時間以外は全て事前学習に費やした。忘れていた部分は記憶と照らし合わせながら細かくおさらいしていき、微妙な違いは上書きしていく。
そうして迎えた授業初日。
王族の授業は王子宮殿ではなく、統括宮殿で行われる。例え教師といえど王位継承者が過ごす建物には入れないらしく、クリスやソレイルも統括宮殿で授業を受けているという。
「統括宮殿内ではありますが、教育棟と呼ばれる場所です。大広間や会議室が並ぶ区画のさらに奥に位置し、講義室や礼法室、小訓練場など、王族教育を行うための諸室が整えられています」
「そんな場所があったんだ」
「リスティア様がお使いになっていたお部屋とは反対側の区画ですので、ご存じないかと」
「クリスやソレイルもそこで授業を受けているんだよね?」
「はい。ですがご一緒に授業を受けることはないので、顔を合わせることはほとんどないのではないでしょうか」
「そうなんだ」
それなら変に絡まれる心配もなく楽でいいと、にんまりと笑う。
毎日、毎日、クリスと嫌味の応酬を繰り広げ、ソレイルの「メリアと仲良くしろ!」というよく分からない頼み事をされてはたまらない。
統括宮の中を歩きながらリオルガに色々と説明してもらい、奥へと進んで行く。
私はもう客人ではないため、本来であれば統括宮殿内を歩くときは統括宮殿の侍女が側に付くはずなのだけれど、私の隣にはリオルガが。
まだ正式なお披露目前ということもあり、情報漏洩やその他の危険を避けるため、私の後ろ盾であるクラウディスタの者を側に付けるという建前のもと、リオルガが護衛騎士兼侍従……そして侍女の役目まで兼ねることになったらしい。
『リスティア様の安全を最優先に、国王陛下がご判断されました。これでどのような場でもお側を離れることはなくなりました』
そうどこか満足げに言っていたリオルガは、いったいどこまで役職を増やしていくつもりなのだろうか……。
そんなことを考えていると、通路の先に何やら小さな建物が見えてきた。統括宮と同じ敷地内ではあるものの独立した造りになっていて、奥の方には訓練場らしきものまである。
「着きました。この建物が教育棟になります」
「ここ……?」
「はい。こちらへ」
教育棟というくらいだから、学校のようないかにもな場所を想像していたのだけれど、学びの場らしい雰囲気はまるでない。一階建ての小さな建物は宮殿と同じ外観をしていて、通路には等間隔に扉が並んでいる。
細く長い通路を進んでいくと、リオルガは一番奥の扉の前で足を止めた。
その扉を開けて中へ入ると、そこは机と椅子、本棚だけが置かれた部屋などではなく、上質なソファーとテーブルが置かれた応接間のような部屋があった。
――そして。
「これは、これは……お初にお目にかかります、王女殿下」
部屋にいたのは、穏やかそうな老齢の男性だった。
「初めまして、オーバン様。リスティア・シランドリアと申します」
「ほっほっほ、とても丁寧な挨拶をありがとうございます。私の名前をご存じだったのですね」
「はい。これから付きっ切りで教えていただけると聞きました。よろしくお願いいたします」
長年王家に仕えてきた人物で、今もなおクリスとソレイルの座学の教育を一手に担っているという。厳しくはないがやる気のない者に時間を割かないところがあり、授業をさぼっているソレイルのことはにこにこと静観しているらしい。
暫くは私に付きっ切りとなるため、クリスとソレイルのことは彼の愛弟子達が担当すると聞いている。
「では、こちらへどうぞ。お掛けになってください」
オーバンへ促されふかふかのソファーに座ると、彼は向かい側へと腰を下ろす。私と一緒にきたリオルガは部屋の隅へと移動し、そこで待機となる。
「既にお聞き及びかと思いますが、本日はまず軽い確認をさせていただきます。王女殿下の授業内容を整えるためのほんの簡単なものですので……どうぞ肩の力を抜いて臨まれてください」
「はい」
「このような紙にいくつか書かれておりますが、文字はお読みになれますか?」
「読めますし、書くこともできます」
「それはそれは、大変よく頑張られましたね」
穏やかに目を細めたオーバンは、手に持っていた紙をテーブルへと置いた。
「では、この紙に書かれているものを読まれたあと、こちらの別の紙へご回答ください。分からないものは無理に書かれずとも結構ですよ。白紙でも構いません、これはあくまで確認のためのものですから」
そう言って「ほっほっほ」と笑うオーバンに、小さく頷く。
侯爵令嬢だった頃は、決められた内容を決められた時間に沿ってこなすだけで、こうした個別の確認を受けたことは一度もない。王太子妃教育のときも、できて当然という前提で進められていたのだから。
その次の人生では、皆が同じ場所で同じ内容を同じ速度で学び、決まった日に一斉にテストを受けるというものだった。
(難しいのかな……)
ここで躓くわけにはいかないのだと、コクリと唾を飲み、そっとペンを手に取った。




