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その後の話1

「ふぅ」

 セツはペンを置いて手を拭いた。何年経ってもインク式のペンは慣れず、すぐに手を汚してしまうのだ。ぬぐってはいるものの、簡単に落ちるインクは書き留めておけるインクではない。そのため、セツの手はだいたいインクで汚れていた。

 と。ノック音とともに声が聞こえてきた。

「お仕事中、失礼します。セバスです。ショーン様をお連れしました」

「はい、大丈夫です。どうぞ、入ってください」

 城にはセツの仕事部屋ができた。セツは日中、だいたい城内の書庫や資料室か、その仕事部屋(研究所の分室)にいた。そして、仕事上の上司であるショーンが時々見に来るのである。

「調子はどうだい? 差し入れを持ってきたよ」

「順調です。ちょうど一息入れようと思ってたところなんです。ショーンさんもお茶を飲んでいきませんか?」

「じゃあ、遠慮なく。仕事の話をすると一息つけないかもしれないが、成果を聞かせてもらおうかな」

「個人的な方の成果を聞いてもらいます」

「では、私が用意しますので、お二人はごゆっくりどうぞ」

 セバスが給湯スペースにするりと身を滑り込ませていた。

 王子に嫁いだということで、セツにはゴテゴテした身分というものが付いてしまった。平民にそれはきついということで、ショーンにはあくまで上司と部下のままであるように頼んでいるのだ。

「お待たせしました。私もセツ様にご確認いただきたいことがあります」

「なんでしょう?」

「こちらを」

 セバスは茶を並べたあとに大きな封筒を差し出してきた。

「これは?」

 受け取ると、中に一枚二枚ではない感触があった。

「セツ様に関する世論です」

「えっ!? どう思われてるんだろうって言ったことはありますけどわざわざ!?」

 そんなに深刻に考えていたわけでも、知りたかったわけでもなかった。ただ、ポッと出の異世界人(だいぶ年上)と結婚となると、簡単に受け入れられるものではないだろうとは思っていた。

「世論の調査というものは、大事な仕事でもあります。部下の教育にちょうどよかったので、すみません、事後承諾になりましたが、題材として使わせていただきました」

 学校の先生(教育者)を目指していた身としては、“教育”の言葉には弱い。

「わかりました。後で見せてもらいます。どんな感じでしたか?」

「年齢詐称疑惑と姿絵詐称疑惑が強かったですね」

「なんでぇ……」

 セツとしては、年相応の顔つきになってきたと思っているのだが、それでもこの世間では十分に若く見えるのである。

「その次に多かったのは、側室を求める声でしょうか」

「側室……そう、ですか」

 この世界──少なくともこの国では、同性愛はそれほどめずらしいものではなかった。セツが市中で暮らしていたときも、少なからず見かけた程度には。だが、どうやっても子を成すことはできない。庶民はともかくとして、王族というものは次代のことまで考えなければならないのだ。

「セツ様はお許しになるのですか?」

「許すも何も、僕が決めることではないですよ。妥当な考えだと思います」

 妥当だと思っている。そうあるべきとすら思っている。理性では。

「ちょっと、いやですけど」

 人の心はいつ変わるともしれないものだ。思春期の頃なら、なおさら。もちろん、自分の心も。いつでも離れられるように心の準備はしているつもりだが、自分で思っている以上にデルウィンに執着しているらしい。

「セツくん、それは私が聞いてもいい話だったのかな?」

 口を挟みそこねていたショーンが茶をすすった。すっかり存在を忘れていた。

「……わー! ぎゃー! あの、あの、僕の成果なんですけど!! コルムの手帳の詩、あれって猫への愛情を謳ったものではないかと!! 偶然にしてはすごい勢いで“ねこだいすき”って縦読み入っていますし! 原本の手帳を調べようとすると風邪みたいな症状が出る人がいるって、それアレルギーじゃないかなって!」

 勢いまくし立てるが、ごまかせるはずもない。

「ふふふっ……。面白い観点だ。コルムの研究をしている知り合いがいるから伝えておこう」

 ごまかせていないが、ショーンもいい大人なのでごまかされてくれたようだ。

 そのまま何事もなかったようにお茶を堪能した。

 翻訳作業の成果も渡し、ショーンが戻ろうとしたところでちょうどデルウィンがやってきた。あいさつもそこそこに、『お二人の時間を邪魔しないように』といらぬ一言を添えて帰っていった。セバスはショーンを見送りに出ていった。残されたのは、デルウィンとセツの二人だけである。

「セツ、抱きしめてもいいか?」

「断るわけないですよ」

 デルウィンはセツを抱きしめなかったことに後悔があったらしい。そのため、時々それを取り戻すように触れてくるのだ。

 デルウィンの腕に包まれ、セツも背に手を回す。ポンポンと撫で、

「あっ」

 気付いた。

 この国でも白は清らかな色である。王族にそのイメージが必要だとかで、さすがに真っ白ではないが、デルウィンは白基調の服を着ていることが多かった。改まった場所では特に。

 と、記憶していたのだが、最近のデルウィンは黒や紺の服を着るようになっていた。こちらの世界では成人したといっても、セツの感覚ではまだ思春期だ。服の趣味が変わることもあるだろう。それくらいの解釈をしていた。そして思春期由来の心の動きであれば、口を出すのもよくないだろう。そもそも、どちらでもよく似合っているのだから、口を出す必要もない。

 口出しはしないが、どういう心変わりだろうとは思っていた。気づいてしまった。

「どうかしたか?」

 デルウィンはまだ放す気はないらしく、腕の力は弱まらない。

「最近、濃い色の服を着てるなって思ったんですけど、僕が躊躇なく触ることができるようにとか言いませんよね?」

 今日もデルウィンは濃い色の服を着ていた。シャツは白いが、濃い青に濃紺と銀糸で刺繍が施されたベストを身に着けている。セツの手は、ぬぐうようにしているが、インクで汚れていることが多い。セツが婚姻の式典で着用した手袋に、手汗でインクの模様を作ってしまったことに気づいたときは生きた心地がしなかった。絶対に、いい手袋だろうから。デルウィンの白基調の服もおいそれ触れずにいたが、ここ最近はその限りではない。まさかと思うのだが──。

「ふふっ」

 デルウィンは応えず、もう少し強くセツを抱きしめたのだった。


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