感想やコメント、ユーザー交流で傷ついた時、「俺は悪くない、誰か同情してくれ」という感情にパワーを浪費する
③他者との接触、交流で発生するトラブルや誤解、それらに伴う「後ろめたさ」
今回検証するテーマは、ある程度活動を続けていれば誰でも経験する事例ですね。
しかしながら、自分の作品の内容以外の要因がある場合もあり、尚且つトラブルは予想の出来ないタイミングで目に飛び込んでくる為、最終的には誰もが被害者意識に敗北してしまいます。
つまり、自分を守る為の行動として、問題のある相手を切り離すか、自分自身を活動の場から切り離すか、どちらかの選択です。
これは特定のユーザーに対して、ブロックやミュートを使った事のない私であっても例外ではありません。
作者の視点に立つと、ついつい自分を被害者の立場に置きたくなってしまいますが、活動を始めた頃は、無意識のうちに加害者になっていた事も多いのではないでしょうか?
私が始めてこのサイトに訪れた頃は、自分の作品を書く事「だけ」が目的だったので、サイトの傾向やマナー等には全く無頓着でした。
当時、たまたま眺めた日間エッセイランキングでは、他愛のない日常系エッセイが1位に君臨しており、ランキング1位という作品に何かもっと深いものを期待していた私は、面白いけど肩透かしを喰らったニュアンスで、
「こんなエッセイが1位になるなんておかしいと思います(笑)」
という感想を書き込んでしまったのです!
ちなみにそのエッセイの作者様は、最近こそサイトに顔を出さないものの、投稿するエッセイ全てがランキング上位に顔を出す、超有名エッセイストの方でした。
私のその感想への返信は、極めて穏便な、
「そうですね〜、単なる健康診断の話ですからね〜」
といった内容でしたが、数ヶ月後、活動範囲を広げた私が、この作者様の懐の深さに感謝した事は言うまでもありません。
恐らくその作者様は、ランキング上位を狙う意気込みで当該エッセイを書いた訳ではなかったのだと思います。
だから精神的に余裕があり、穏便な処理で済ませてくれたのでしょう。
これがもし、ランキングを研究して上位を狙うべく執筆された、別の作者の作品であれば、私の感想は間違いなく「誹謗中傷」と認定されていましたね。
悪気はないつもりで書いた感想でしたが、作者によっては、私はとんでもない加害者だと思われても不思議ではないです。
他にも、私の作品と近い設定や舞台が用意されていた作品に対する感想で、
「私の作品の舞台も〇〇で、主人公にも〇〇能力があるんですよ! 親近感から読ませていだだきましたが、なかなか面白いですね〜」
といった内容の感想を書いた事があるのですが、この感想の書き方が「パクり疑惑を批判している」と判断されたのか、この作者様からは即座にブロックされてしまいました。
もしかしたら、「なかなか面白い」という表現が、「面白いが俺には敵わない」みたいな、性格悪いニュアンスに取られてしまったのかも知れません。
これと似た様なケースは、現在でも無数に起きている事でしょう。
作者側からすれば、「誹謗中傷された」となり、読者側からすれば、「誤解された」となるパターンです。
このパターンの中で作者側が、「誹謗中傷された」、「この手の読者と付き合っている暇はない」という判断から、無言でブロックやミュートを行ったとしましょう。
そうなると、誹謗中傷目的ではなかった読者は罪悪感を感じますが、もう謝罪すら出来ません。
その結果、本エッセイのキーワードでもある「後ろめたさ」から感想を書く事に臆病になる可能性がありますので、まず読者は事前に感想欄を見るなりして、作者のキャラクターなどを把握しておいた方がいいのかも知れません。
また、作者としても、感想の真意を確かめる為に感想返信し、「作品への侮辱やパクり疑惑を訴えているのであれば、私も時間に余裕がないので、ブロックさせていただきますが、宜しいですか?」くらいのコメントは残した方がいいのかなと思いますね。
真面目な読者なら、「すみません、そんなつもりはありませんでした」くらいのコメントは返ってきます。
不真面目な読者なら、無言でのブロックはその人に「してやったり。さらに叩ける」という免罪符を与えてしまう可能性があるので、作者から直接の言葉を残し、その言葉を目にした残りの読者を、ひとりでも多く味方につける選択をした方がいいでしょう。
自分の作品の評価は、その大半が「読んでブックマークや評価はしたけれど、感想は書いていない」とか、「作者自身の良い所を特に知りたいとは思わないけれど、嫌な所は見たくない」という読者層に支えられていて、それはすなわちWeb小説サイトに於けるサイレント・マジョリティを指しているのですからね。
作品の感想や、活動報告のコメントなどで傷ついた時は、確固たる信念を持った返信や、ブロックやミュートも含めた相手の排除、最悪、うわべだけで謝罪してその場を鎮めるだけでも、気持ちを建て直す事は可能でしょう。
しかし、良かれと思った、或いは自分のスタンスを守る為に必要だったこの行動が、周囲に悪影響を与えてしまい、自分に敵対するユーザーを増やしたり、お気に入りユーザー、逆お気に入りユーザーが離れてしまう事があります。
その瞬間に襲いかかる「後ろめたさ」は、前回までに触れた「流行に乗る後ろめたさ」や、「催促行動で感じる後ろめたさ」とは全く質の違うもので、作者、読者は関係なく、最も深い悩みの種となります。
私個人としては、自分からお気に入りユーザーを掴みに行く事は殆どありません。
活動の初期段階では、価値観の近さや純粋な文才、コメントの熱量などで自分から掴んだお気に入りユーザーが何人かいましたが、やがてお気に入りユーザーは、相手から私を登録してくれた「逆お気に入りユーザー」に応えて相互登録する形になりました。
このスタンスは、自然と「来る者は拒まず、去る者は追わず」という形になり、逆お気に入りユーザーの作品は必ず読んで評価しなければならない……といった、人間関係の迷いや煩わしさは少なくなります。
しかし、このスタンスで受け入れたユーザーが、徐々に自分と相容れないタイプのユーザーであると分かった時、一度は「相互ユーザー」として認めておきながら、自分からその繋がりを解除するという、最大の自己矛盾と「後ろめたさ」を抱える事に。
勿論、ユーザーの中には、自分からお気に入りに登録したユーザーをあっさり解除したり、多少の価値観の違いを我慢して、穏便に人間関係を続ける選択を迷わない方もおられるでしょう。
私の場合、我慢出来ないレベルであると判断したらお気に入り登録を解除しますし、その時は本人に告げます。
こういった行動が波紋を呼び、私が登録を解除したユーザーに近い立場の相互ユーザーが複数離脱したり、私が空気を乱した事によって、他のユーザーに迷惑をかけてしまう事がありました。
この当時の「後ろめたさ」は、言葉では上手く説明出来ないレベルなのですが、それと同時に、私の中には相反する感情が浮かび上がるのです。
「そんなに俺が悪いのか!?」
「俺は間違っていないと言ってくれ! 誰か同情してくれ!」
これは、ネット世界の承認欲求が引き起こす最悪の心理状態であり、また同時に、多くのユーザーが最大のチャンスに利用しようとする、麻薬的な舞台装置でもありますね。
誰かを傷つける可能性もある強い主張のエッセイなどは、その場で炎上する事は少なくても、やがて同じテーマのエッセイの乱立を呼びます。
この流れは、先述した私の様な心理状態に置かれた作者が、「後ろめたさ」と相反する感情をぶちまけずにはいられなかった結果で、その行為自体は称賛に値しないとしても、作品に価値がない訳ではありません。
ただ、この行為の後に自分を冷静に振り返り、作者の感情がストーリーによってコントロールされている、小説の様な文芸の創作に没頭しない限り、作者の心身は少しずつ蝕まれて行く事でしょう。
作者の感情がストーリーによってコントロールされている文芸……これは小説だけです。
作者の価値観や人間性が直に表れるエッセイや、感情をコントロールしない事が推奨される詩、更には自分のテリトリーでもある活動報告、他人の作品への感想、レビューも含めて、短時間で承認欲求を満たす力があり、一度「後ろめたさ」と連動を始めると容易には止められません。
少しの間、距離を置くべきだと考えます。
この『小説家になろう』サイトから去っていく作者のパターンは主に3つ。
①自分の創作努力が報われていない事に幻滅した、引退の形。
②自分の体調や私生活の問題による、休養の形。
③そして、精力的な創作だけでなく、交流や他人の作品への献身的な評価にまで全力を尽くしながら、同時に自分の感情をコントロールする術を後回しにしてしまったが為に、突然、燃え尽きる様にサイトを去る消失の形。
お気に入り登録の解除から、「後ろめたさ」と相反する承認欲求との間で揺れていた私は、自身の看板連載小説『バンドー』だけに没頭する事にしました。
エッセイで何度も触れていますが、この作品は今時頭おかしい長文連載で、尚且つテンプレ的な要素も少ない、読者無視と言われても反論出来ない作品(笑)。
しかしながら、だからこそ周囲に流されずに創作に没頭し、私の中に蓄積していた「後ろめたさ」と承認欲求が、少しずつ蒸発していくのを実感出来たのです。
……さて、3回に渡って連載して来た本エッセイは、今回が最終回。
書きたいものを書いているはずなのに楽しくない……そんな心境の最大の原因は、自分自身や読者に対する「後ろめたさ」が拡大し、尚且つそれに相反する承認欲求が厄介な感情を生んでいるという事に他なりません。
では、どうすればこれらの問題をなくす事が出来るのか?
残念ながら、なくす事は出来ません。
①ストーリーによって感情がコントロールされている、小説の創作に没頭する時間を取って下さい。あなたの作品は、あなたの短所をキャラクターが長所に変える事で完成するのです。
②他人への称賛や献身から湧き出たものであっても、感想やレビューの連発は控えて下さい。承認欲求を抱えた心がやがて消化不良を起こし、軋んでいきます。
③他人を傷つける可能性のある、主張の強いエッセイなどを連発しない。あなたの作品は既に多くの人の感情を動かしている。更なる反論は多くの人の感情を混乱させる。
これらを意識しながら、少しずつ蓄積されていく「後ろめたさ」を潰して前を向き、やがてまた蓄積されていく「後ろめたさ」と対峙して、それを潰していく……。
結局、この繰り返しこそが、ネット世界の創作そのものなのです。