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オフ・リミッツ  作者: 霜前七七五
第一部
9/28

4章   意志と能力と決意

 ◆◆四章・意志と能力と決意◆◆


     1


 ということで。

 ゴールデンウィークも明けた五月の七日。紆余曲折はあったものの、結果的にはそんな感じで。

「ね、おいしいでしょ、これ」

「確かに。これは美味いな」

 十世高校からほど近い、虹本という縁起のいい名前の商店街。その一角にあるラーメン屋『たつべい』で、僕と揺唄は、向かい合ってネギ味噌チャーシュー麺を食べていた。

 時刻は午後五時。ぎりぎり開店時間だった。

 テーブルの真ん中に置かれている餃子一皿は無料。揺唄の持っていたサービス券のおかげだ。ネギ味噌チャーシューはそれぞれで払って、一杯七六〇円也。ボリュームはなかなか。替え玉は一個百円らしい。

「でしょー? 特にこの、ネギの辛味と味噌の甘みのゼツミョーなハーモニーが絶品だよね! 麺の固さもいい感じだし。それにナプキン常備なんだよね、ここ。制服が汚れないから、友達とよく食べにくるのよ」

 言ってから、揺唄はチャーシューを口の中に放り込んだ。僕も胸の紙ナプキンをがさがさと鳴らしながら、熱い麺を冷まし始める。

 デートにしては色気のない食事。さしずめ友人同士でのメシって感じか。

 麺をひとまず噛み切って、僕は割り箸を持った右手で左上腕の傷に触れる。てけてけにやられた傷はかさぶたになって、多分傷痕が残るだろう深さになっていた。あれから一週間以上も経つのか。

「そうそう」

 水を含んでから、揺唄が言った。

「今日友達に聞いてみたんだけど、やっぱり誰もいじってないってさ、あたしのケータイ」

「正直に白状してると思うか?」

「でも友達疑いたくないし。それに、みんなは関係ないと思うのよね」

「どうして?」

「勘よ」

「勘か」

「女の勘」

「女の勘ねぇ」

 鋭いなぁ。

「しかしハルちゃんさぁ。本当にあたしに変なことしなかったの?」

「変なことってなんだ」

「そりゃあ……昼間のラーメン屋では言えないようなことよ。ほら、あたしって割と扇情的なカラダしてるでしょ。ここだけの話、身体には自信あんのよ」

「身長は?」

「それ以外!」

「都合いいな……。別に、僕はなんとも思わんけど?」

「それも女にとっちゃ複雑なんだけどねー。……でも、そうよねぇ。ふふん。そんなこと出来るオスじゃないもんねぇ、ハルちゃんは」

 したり顔で餃子をほおばる揺唄だった。周りに客は少ないとはいえ、際どい発言ではある。全く色気を感じないというわけでもないが、体裁というのは繕っておくものだ。

 ちなみに――月山は、今日は学校を休んでいた。揺唄に聞いたが、おそらくショックを引きずっているのだろうとのことだった。

 つつ、と蓮華をすする。この『たつべい』のラーメンは、確かに美味しい。そしてスープも美味い。餃子ももらおう。僕も時々来ることにしようかな。

「ところでハルちゃんってさ」

「んー?」

「初めて気付いたけど、箸の持ち方、綺麗だよね」

 食事と会話を同時にできる揺唄が、麺をすすりながらそんな話題を持ち出した。僕は一旦飲み込んでから、「そうか?」と訊ねつつ、右手に持った箸をかちかちと打ち鳴らしてみる。

「そうだよ。ほら、あたしの見てみてよ」

 箸で麺を数本すくって見せる揺唄。箸が交差して、手首を捻るようにしないと物が掴めないようだ。

「悪いな」率直に感想を述べる。

「でしょー。なんかコンプレックスでね。どうにかなんないかな、って」

「ふうん。初めて気付いたな……。というか、お前と二人でメシを食うのって、これが初めてか?」

「まともなご飯食べるのはね。打ち上げのときはジャンクフードばっかだったし」

「嫌いなんだっけ、菓子」

「おせんべいの方が好きかな。スナック菓子よりかは」

「女にしちゃ珍しいよな」

「自覚はあるよ」

「お年寄りだったら普通だよな」

「余計なこと言うない」

 いーっ、と歯を剥き出す揺唄だった。威嚇か。どんな動物だお前は。

「まあ、揺唄の歯に辛子の欠片がついていることはどうでもいいとして、」

「嘘っ! よくない!」

「役に立つかどうか分からないけど、逆の手で持ってみたらいいんじゃないか?」

 手鏡を取り出す揺唄だったが、嘘なので、僕は続けて言った。

「逆の手? 左手ってこと? ――て、ついてないじゃん! ハルちゃんの嘘つき!」

「良かったな、ついてなくて」

「うぅぅっ……」

 唸る揺唄を前に、僕は右手に持っていた箸を左に持ち換える。多少、ぎこちなく。

「悪かったよ。知ってるか? 僕って本当は左利きだったんだけど」

「あっそ」

「……ごめん、機嫌直してってば。ほら、チャーシュー一枚あげるから」

 さすがにヘソを曲げた感じだったので、少しフォローを入れる。

「もらう」と揺唄は不機嫌そうに僕の丼に箸を伸ばしたが、しかし《はッ!》と気付いたように箸を止め、『ってよく考えたらあたしチャーシュー一枚で買収できる安いオンナになってんじゃん!』云々と言いそうな愕然とした表情を浮かべてから、箸を戻した。

 かなり楽しかった。

「……、いいのか?」

「ダイエット中だから」

 棒読みだった。

 ていうか明らかに嘘だった。

 どうやら怒りは紛れたらしいけれど。

「んで、まあ、六歳の頃、僕、ちょっと事故ってな。元々左利きだったのを、それで左が上手く利かなくなって、右に直したんだ。そのときのことなんだけど……」

 そう。僕は本来左利きである。

 幼少期の事故で細かい動きは出来なくなって、鉛筆や箸、投球その他は右利きのそれになってしまったが、転んだときに反射的に出るのは一応左手だ。細かい作業は右手、その他の作業は左手、といった感じか。

「そうなんだ。知らなかったなー。……あ、すいませーん、替え玉くださーい。ハルちゃんは続けてね」

 事故以前、僕の左手も揺唄と同じような持ち方をしていた。まあ小学校入学以前だからかも知れないが。それを直せたのは、利き手が利かなくなるという不便さゆえだった。

 間違った持ち方をしていても、利き手で持っていれば普通に持てる。けど、利かない手で持つと、負担のかかる間違った持ち方は非常に辛い。そういう理論である。

「――ってことで、逆の手理論。飽くまで僕の場合だけど、どう?」

「すっ、すごいっ! 早速やってみる!」

 揺唄はいたく感激した風に目を輝かせ、早速実行に移した。利き手でない左手に、正しい右手の形を参考に箸を持たせて――三分もせずに音を上げた。

「うぅ……手が、手がつるよぉ……痛いぃ」

「そりゃそうだ。一朝一夕で出来ることじゃないよ。必要に迫られるか……伊達や酔狂でやらないとな。ああ、それから、どっかで聞いたんだが、本格的に矯正すると色々疾患があるらしいから、気ぃつけろよ」

「疾患?」

「うん。詳しくは知らないけど、色々」

「てことはアレ? ハルちゃんがタバスコ舐めただけで転げまわるのは、疾患?」

「明らかに違うだろ」

「ハルちゃんが朝に弱いのも、疾患?」

「それも多分関係ないと思うが。――だからともかく、正しい持ち方が左で出来るようになったら、すぐ右に戻した方がいいぞってこと」

「よく分かんないけど、分かった」

「分かったか」

「分かった」

「そうか」

 ……まあいいや。

 ややぬるくなっていたラーメンを吸う。

「んー。ま、やってみればいいんじゃない? 揺唄、早食い大食いだろ。センジョー的なカラダに毒だぜ。左手使ってると動作が遅くなるから、そのぶん食べるのも遅くなる。必然、よく噛む。まあ、多少は才能ってのも関わってくるらしいけどな。その辺はやってみないことには分からない」

「そっかぁ。ふぅん……」

 箸を右手に戻す揺唄だった。消えていく麺を見ていても、見た目はともかく、不便しているようには見えないのだけれど。財布の中身を確かめてから、僕も替え玉を頼んだ。今夜の晩飯は野菜サラダでいいや。



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