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第6話 変異した体

「ひっ……!?」


 糸。糸。糸糸糸糸糸——。


 立体構造(りったいこうぞう)を持つ蜘蛛(くも)()、というべきか。

 黒板から窓枠へ、ピアノからロッカーへ、椅子の足からエアコンへと、ありとあらゆる方向に細い糸がかけられている。それはまるで、侵入者(しんにゅうしゃ)感知(かんち)する赤外線センサーのようだった。


「くそっ、やられた……!」


 珍しくも(あせ)った声音(こわね)の弓丸に、一層不安がかき立てられる。

 ついさっきまでは糸なんて一本も見えていなかったし、それが(から)まる感覚もなかった。おそらく、この教室内を一定以上動いたことで効力(こうりょく)が現れ、感知できるようになる仕組みだったのだろう。

 私たちは知らず知らずのうちにその術中(じゅっちゅう)へと足を踏み込み、体の自由を奪われたのだ。


「ここに来るとき、みんなあのピアノ曲を聞いてたんだよね。それでこんな音楽室見つけたら、絶対気になって入ると思う……」


 私がそう呟くと、而葉(しかるば)さんが肩をすくめて付け足した。


「あのホワイトボードに書かれようとしていたのが『入るな』だったとしたら、私たちはその警告(けいこく)見過(みす)ごしてしまった、ということみたいね。残念だわ」


 私たちが来る前に、この部屋を誰かが(おとず)れた。この(わな)にかかり、後に来る人のために警告のメッセージを残そうとしてくれた……十分ありえる話だ。ただ、気づくのが遅すぎた。

 落ち込む私をよそに、弓丸と而葉さんが言葉を交わす。


「この糸、〈化生(けしょう)のモノ〉由来(ゆらい)であることは確かだな。おそらくは蜘蛛の禍者(かじゃ)だ」

「普通の蜘蛛の糸でも、その強度(きょうど)鋼鉄(こうてつ)の五倍に匹敵するはずよ。理論上では、給水ホース程度の太さで旅客機だって支えられる。腕にも刀にもそれだけ糸が(から)まってちゃ、力は分散するし……この強度と伸縮性(しんしゅくせい)、刀とは相性(あいしょう)が悪いでしょうね」


 弓丸は歯痒(はがゆ)そうに右腕を見た。ここまでがんじがらめになっていれば、そもそも腕が引けない。刀は引くことで()るものだ。よって、この糸を切ることができない。


「ハメられたじゃない、芳帖(ほうじょう)(きみ)。らしくないんじゃなくて?」

「実戦経験の不足だ。結界を破った際に力の型を分析し、僕の霊力(れいりょく)にも()()わせてきたんだと思う。直接攻撃ならともかく、こういうやり方で攻められた経験はあまり多くない。そこを突かれた」

「あら。八百年も生きてきた方のお言葉とは思えませんわ。さっきはあんなに格好よく決めてらしたのに……ねぇ藍果さん、貴方(あなた)もそう思うでしょ?」


 而葉さんは弓丸から私に視線を移し、からかうような笑みを向けてくる。が、正直それどころではない。


「そんなことより、早くここ抜け出さないと何が襲ってくるか分から——」


 そのとき、


 カラカラカラカラ、と。


 聞き覚えのある音がした。弓丸が斬ったのとは反対側、教室後方にあるドアが開いていく。床から五センチという、低すぎる位置にかけられた手。その指先は、酸化しかけたような、くすんだ赤で濡れていて。


 当然会話は止み、弓丸が低い声で問いかけた。


「……誰だ」


 私たち全員がそのドアへと視線を注ぐ。乱れた髪で床に伏した、人の頭が見えてくる。性別は女性。同い年くらいの雰囲気で、髪型は首元で切りそろえられたストレートの……。


「アヤちゃんっ!?」


 現れたのは、髪も頬も血や(ほこり)で汚れ、憔悴(しょうすい)しきったアヤの顔だった。


「あ、あぁ……まだ無事だったんですね、藍果……せんぱい。ホワイトボードに文字を書こうとしたのは、私です。でも、あんな不完全なメッセージじゃ、警告は伝わらなかった。そうだろうなと……思いました」

「アヤちゃん! アヤちゃん無事なのっ!?」

「藍果。落ち着いて聞いてほしい」


 努めて平静を装った声だと、分かった。私がうなずくのを見て、弓丸は重たい口を開く。


「今のアヤには、アヤの脚がない」

「え……? 何、それ」

「丈がすごく短い(はかま)……じゃなくてズボンを()いていただろう。その先に、(あし)がないんだ」


 知らされたのは、にわかには信じがたい、信じたくない事実だった。


「……(うそ)でしょ」

「今、僕は前方側のドア近くに立ってるだろう。この位置だと、藍果からは隠れてしまう部分も見える。事実だ」 


 頭の中が真っ白になった。聞いた言葉の意味が理解できない。そんなこと言われても、自分で見なきゃ信じられない。アヤの脚が、ない?


「代わりに、増えてるものもある。腰の辺りから、黒い、蝙蝠(こうもり)の羽のようなものが生えてるんだ。……いや、あれは羽じゃなくて」

「いい加減にしてよ!」


 顔を手で(おお)いたいのに、糸のせいでそれすらも許されない。限界だった。


「何がどうなってるっていうの……? みんなここにいるのに誰も助けない、()()ってあげられない、そういうのが私は一番イヤ! ありえない、ありえないよ……っ!」

「……はあ。ギリギリまで黙ってるつもり、だったのに……勝手にバラして、弓丸さんって配慮のない方です、ね……」


 当の本人は、わめき散らすでもなく、ただしんどそうに、高熱と戦う聞き分けのいい子どものように、切れ切れの言葉をつなぐ。


「もうすぐここに〈子グモ〉が来て、体育館に連れ去られます。そこで〈親グモ〉に、()われて(かて)となるか、〈子〉となるかを選ばされるんです」

(かて)となるか、〈子〉となるか……?」

「はい」


 而葉さんがアヤの言葉を繰り返した。

 (かて)。子グモ。蜘蛛(くも)の子。想像したくもない。アヤは説明を続ける。


(かて)となることを選べば、まず消化液を注入され、中身を吸い尽くした上で頭からバリバリ食われます。この場合、苦しむのは肉体です」


 全身に鳥肌が立つ。なんだそれは。前の、日向(ひなた)さんの時とは全く違う。確かに、ヤドリ(づた)の攻撃力は恐るべきものだった。けれど、ヤドリ蔦の禍者(かじや)……日向さんは人を襲えど、いたずらに痛めつけ、むさぼり喰うようなことはしなかったはずだ。

 

「〈子〉となることを選べば、入れられるのは人を作り変える体液なんです。それは徐々に体を(むしば)み、人としての脚を退化させ、〈拡張〉を行う——異形(いぎょう)としての脚と前腕(ぜんわん)(つばさ)を与えます」

「拡張、か……」

「なるほど、()()(みょう)ですね」


 弓丸も而葉さんも、どうしてこんなに冷静でいられるのだろう。アヤと過ごした時の長さ。性格。これまでの経験。私と二人との違いで、パッと思いつくのはそれくらいだ。逆に言えば、その程度のことで、人は反応も対応の仕方も変わる、ということだろうか。その程度のことで。

 

「〈子〉の仕事は偵察(ていさつ)捕獲(ほかく)。罠にかかった獲物(えもの)がいれば強制的(きょうせいてき)にその場へと向かわされ、探索者(たんさくしゃ)(おそ)うんです。己がそれを望まなくとも」

「なに、それ……」


 今回の〈化生(けしょう)のモノ〉は——ヤドリ蔦よりも、ずっとずっとおぞましい。そして、この化生を操る〈禍者(かじゃ)〉は、両手に抱えて余りあるほどの(うら)み、並々ならぬ鬱屈(うっくつ)を持っている。まだ詳細(しょうさい)は分からないが、その点については(うたが)いようがなかった。


「逃げてください、早く。伝えられることは全て伝えました」

「や、やだ——アヤちゃん、私やだよ、ねぇ」


 もう、ここまで聞けば否が応でも察しはつく。アヤがどういう状況か。なぜここにいるのか、これから一体何をするのか。


「あと少しで、この体は〈拡張〉を終えます……あの前腕(ぜんわん)、人の体くらいは簡単に(つらぬ)くんです。而葉さんはもちろんですが、いくら治せるからって弓丸さんや藍果先輩が傷ついていい理由にはならない、ならない、の、にっ……!」


 ガァン、と黒い一閃(いっせん)がドアを()(はら)った。〈脚〉の先が床をついて体を立たせ、異形の姿をあらわにする。絶望に見開かれた目、みるみるうちに溜まっていく涙。やっぱり、アヤは平気なんかじゃなかった。私たちのために、そしてアヤ自身のプライドのために、頑張って平静を装っていただけだった。

 

 ぽつりぽつりと、水滴のように声がこぼれる。


「本当は……逃げて、なんて……嘘です。嘘なんですよ、先輩」

「ア、ヤ、ちゃん……」

 

 ()いていたデニムキュロットの下に人の脚はなく、腰の少し上、横腹の辺りから、二メートルはあろうかという蜘蛛の脚が生えていた。


 左右四本ずつ、全部で八本の黒い脚。


 下から二本は、文字通り〈脚〉となって体を支えている。真ん中四本は、それぞれ二本が薄い(まく)(つな)がっていて、まるで蝙蝠(こうもり)の翼のようだ。一番上は前腕。先端は(きり)のように鋭く(とが)っており、攻撃用の部位であることが容易に見てとれる。


 私たちは、動けない。


「——誰か、助けて」


 アヤがそう言った瞬間、異形の〈脚〉が床を蹴った。翼を使って滑空(かっくう)し、長く鋭いその前腕を()()げる。〈親グモ〉のしもべとなり「仕事」に来た〈子グモ〉——アヤは唇を()()め、ギュッと強く目を閉じて、私たちへと襲いかかった。

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