本物の確認
神の声を聴くには、結構な神力を消費する。神子ほどの神力の持ち主なら容易いことなのだが、今果胡は神子ではない身体に神子の魂という難儀な状況になっている。力は溢れているのに身体が追い付かない。あの頃は無駄話ばかりしているくらい余裕があったというのに、本当にその力が必要な今、それがかなわない。
非情に煩わしいことだと思いながら、果胡は神の森を大きく回って裏道を抜け、託宣の間に隣接する小部屋、かつてオリヴィアの秘密基地だった場所の扉を開けた。
相変わらずのひんやりとした空気。自分の呼吸が響いて聞こえるほど静まり返った空間は、生物が存在していないからという理由だけではない。空気も音も存在も、この空間にいる全てを手中にしているものがいるからだ。
『そろそろ来る頃だと思っていたぞ』
唐突も唐突、待っていたかのように降って来た声に、果胡は不機嫌な表情を隠さない。
「その何もかも分かっているかのような口振り、何度聞いても慣れないですね。神経を逆撫でします」
『わざとだ』
「でしょうね。そんなに私に嫌われたいんですか?」
『寧ろ逆だが?お前を揶揄うのは楽しいから、こうやってコミュニケーションとやらを図って好かれようとしている』
「物好きな。そして図り方も間違っています」
第一、果胡は神のことを好きだとも嫌いだとも思っていない。人間でもないし視覚や触覚で捉えられもしないのだから、好き嫌いの判断をするのは難しいだろう。
そもそも、何もかも分かっているのは口振りだけではなく、本当に何もかも分かっているからであって、どんなに矯正しようと神のこの上から目線を直すことはできないだろう。誰も直そうと思ったこともないだろうけれど。
「コミュニケーションを図ろうとしてもらっているところ申し訳ないですが、今日は…今日も無駄な神力を使っている余裕はありません。用件のみいいですか」
『つまらぬな。…まぁいい。答えるかどうかは分からんが、聞いてやる』
神は一瞬不機嫌な声を滲ませたが、すぐに面白がっているような笑みを含んだ口調に戻った。そういえば神は日がな一日、毎日のように一人でこの託宣の間に籠っているのだと思うと、人が来る、しかも話せる相手が来るだけでもテンションぶち上げなのかもしれない。そう思うと可哀想やら可愛いやら、複雑な感情が果胡に芽生え始める。いつからこの場に存在しているのかは知らないけれど、気の遠くなるような長い年月、それも世界が存在するよりもっと前から暇つぶしを見つけては失い、見つけては失いを繰り返している。そう思うとちょっとくらい話に付き合ってやりたくもなる。
「……なんかごめんなさい。おじいちゃ」
『お前が失礼なことを考えていることもお見通しだからな?』
「あれ、おばあちゃんでした?」
『そういうことではない』
神に性別はないけれど、雰囲気的に果胡は男性をイメージしている。どちらにせよ老人であることは外せないけれど。
『で、何だ。何か訊きたいことでもあったのだろう。大体予想はしているがな』
「ああそうですそうです。今、この扉の向こうに、ロッテが来ていますよね」
『ああ』
果胡は入って来た方とは反対の扉に手の平をぴたりとくっつける。金属製の表面は冷たく、体温を奪っていった。この扉を隔てた向こう側は託宣の間。あんなに自分の部屋のように出入りしていた場所に、こんな泥棒のように忍び込むことになろうとは思ってもみなかった。神聖だとされ向こう側に自由に出入りできるのは神子のみ。
今は、ロッテのみだ。
「彼女は何と?」
『”あの神託は神の御意向なのですか”だそうだ』
「御意向なのですか?」
『まぁ、そうだな』
意外にもあっさり認めた神は、特に真意を隠す様子はなかった。と言っても、当然全てを話すつもりはないのだろうけれど。
”時は来る。神の下に神子が集い、人間が集う。決して侵されぬ世界の理は、今は神のみぞ知る”
あの神託は、本物だということだ。
今までオリヴィアにでさえまともな神託を下したことなど数えるほどしかないというのに、ロッテが神の声が聞こえないことをいいことに、神子を通すことなく直接民に神託を下してきた。それがどういうことか、この老人は本当に世界を理解しているのだろうか。
「……何のつもりですか。もう神子は必要ないと?」
『いや?神子は必要だぞ。我の声が聞こえる神子はな』
「ロッテは必要ないと言っているように聞こえますが」
『我はそんなことを言った覚えはない。捉える側の問題ではないか?』
笑っているとも違う。馬鹿にしているとも違う。ただ、腹が熱を持つ。まるで当然のとこではないかと言いたげな神は、当然のように答える。神にデリカシーなど求めてはいけない。期待するだけストレスが溜まる。今やるべきことは神に人の心を理解させることではなく、事実確認をすることだけだ。
「では、今回はロッテがあなたの神託を聞けないから自ら手を下したということでいいんですか?」
『簡単に言えばそう言う事になるが、一応反論しておくと、我は良かれと思ってしたことだからな』
「あなたが思う良かれは、いつも的外れなんですよ」
本当に人や世界を思ってしたことなら、もっと身になる神託はなかったものか。まるで神が全てであり、人間は神の下にあるべきだと言っているような神託。いや、そう言っている。そんなもの、神託でも何でもない。ただの独裁宣言を人の口を借りて言っているだけ。
あの神託が神の真意かどうかは果胡には分からない。また人を揶揄っているだけかもしれないし、果胡を弄んでいるだけなのかもしれない。それにしてはいつもと様子が違う気もする。
「……あの神託、どういう意味なんですか」
『そのままの意味だが?』
「あんな尤もらしい神託、初めて聞きましたけど。何か企んでいるんでしょう」
『企むとは人聞きの悪い。これでも我は神だぞ』
「ああそうですか。教えてくれるつもりはないんですね」
神とは人にも世界にも平等であり、是となることも非となることもするし、そのどれもが誰かの為であることはない。常に俯瞰の目を持っており、世界を把握する力はあっても世界を動かす力はない。
神とは平等でもあり、不平等でもある。便利でもあり、不便でもある。どっちとも取れぬ曖昧な存在が神であるのだ。
ただ、それが公私混同されることはない。
と果胡は願っている。
「もうじゃあいいです。あの神託が本物であることは確認が取れました。それが分かっただけでも今日の収穫は充分です」
ロッテからエーベルハルトへと渡った神託が、良くない力が加わってすり替わったということを果胡は危惧していた。神託というものは今や人を、世界を動かす力だ。不純なものが入り込めばあっという間に世界は崩壊する。経緯はどうあれ、回り回って本当に神から下りたものであれば、少なくとも最悪の事態ではないということだろう。そして、それを確認するには神に直接訊くしか手がなかった。神子から下りた神託の言葉をそう易々とすり替えられるような管理の仕方を国家が許すわけがない。もし悪意ある誰かが手を加えたとしても、神託を民に下ろした今の時点で誰も気付いていないということは、多分この先一生真実が明かされることはないだろう。




