淀む神託
エーベルハルトが伝えた神託が、本当に神から下りたものなのかは分からない。何故なら神託を預かったロッテは神の声など聞こえないからだ。それよりも、神はこんな茶番に付き合うほど人付き合いがいい方ではない。そうすると、誰かが考えたものなのだろうが、発案者は恐らくエーベルハルトと本人くらいしか知らないだろう。
何にせよ、神の言葉ではなければそれは神託でも何でもない。信じる必要も従う必要もないのだけれど、民はこれを拠り所にしているのだから仕方がない。何もないよりマシなのだ。
神託発表も終わり、会場から人が捌け始めると、医務室もようやく落ち着きを取り戻してきた。連日勤務の医務官から順番に仕事から上がっていく。
果胡は今日は夜勤で、この後からが長い。すでに徹夜明けくらいの疲労感があるのだが、医務官達の比ではないだろう。果胡が一番元気だと言うまである。周りは皆限界を突破しているのだ。彼らの負担を少しでも軽くできないものかと、果胡ができることはやるつもりだが、どうにも頭が働かない。ロッテのことやオリヴィアの記憶が気掛かりなのか、先程の神託が気掛かりなのか。いずれにせよ仕事に集中できていないのは、返って迷惑がかかる。
「カコ」
「…はい?」
頭を振って邪念を振り払おうとしている時だった。もう何連勤しているのか分からないエリスが、すぐ目の前に立っていることを、声を掛けられるまで果胡は気付かなかった。金の瞳が訝しげに顰められている。
「具合悪いのなら今日はもう上がっていいからな?」
「はい…?…別に何ともないですよ。大丈夫です」
「そうか?バタバタしていて声掛けられなかったが、ロッテのところから戻ってきた時くらいからずっと顔色悪いだろ」
ロッテのところで何かあったのかと訊きたそうな顔で、エリスは果胡の手首を取って脈を確かめる。正常の範囲だと判断した後、下瞼も捲って寄せていた眉をさらに寄せて貧血気味だと不機嫌になった。
貧血女子なんて珍しくないですよと誤魔化したが、それは返ってエリスを刺激することになった。とりあえず立ったままだと辛いだろうから椅子に座れとよく分からない気遣いで無理矢理座らされ、食事管理がどうとか世の女性はもっと自分の身体を労わるべきだとか説教が始まる。果胡は今女性代表で説教を受けているらしい。反論は許されない。仕事上がれと言われたはずだが、向こう一時間は多分これが続くだろう。
どうしたもんかと途方に暮れていると、意外な助け舟が放り込まれてくる。
「失礼。バートさんを知りませんか」
出入りが激しかったために、開きっぱなしだった扉をノックして入って来たのはアルフだ。彼は確かこの時間、ロッテの護衛についているはずなのだが。
「アルフ?お前どうしたんだこんなところで」
「いえ…。ちょっとバートさんを探していて…」
申し訳なさのような、憤りのような感情を宿した目が斜め下に流れる。誰かに宛てた感情というよりも、自分の中に渦巻くものを無理矢理に押し込めているようだった。
果胡はナイスタイミングだとばかりに目を輝かせ、ガタリと椅子から立ち上がる。
「バートならまだ陛下の傍にいると思いますよ。私、会場までの近道知っているのでご案内しましょうか?」
むしろさせろ、この場から連れ去ってくれと訴えている目にアルフはたじろぐ。掴みかかりそうな果胡と距離を取りながら、こほんと咳払いをする。
「い、いえ…。会場には今入って来たんですが、いなかったんです。城に帰ったというので行き違ったと思うんですが…」
「まだ人が多いから、バートは違う道を通ってきたのかもしれないですね。見かけたら伝えておきますが、バートに何か用が?」
「あ、あぁ…」
問う度に喋りにくそうになっていくアルフは、何か期待している果胡の目と純粋に疑問を抱いているエリスの目を交互に見て、そのうち黙っておくのに耐えきらなくなったのか、諦めたように白状した。
「……先程の神託を聞いた途端、ロッテさんが飛び出して行ってしまって。途中まで追いかけて行って、託宣の間に入ったのは確認したので、危険はないと思いますが、僕では中までついていけないので一応バートさんに報告をしておこうかと…」
「ロッテが託宣の間に?」
「何か、『違う』と言っていました。何がどう違うかは分かりませんが、どうやら神託の内容が違うと言っているように聞こえましたが…」
アルフは特別騎士の仕事を全う出来ていないことを悔いているようだった。と言っても、託宣の間に入られては、いくら護衛とはいえ付き添うことは出来ない。そこまではしっかり目を離さずにいたのだから充分に任務はこなせていると思うが、自分にも厳しい彼にはどうにも許せないらしかったのだ。
託宣の間に入ってしまえば神の加護もとい結界と厳重な見張りがいるので、アルフの言う通り余程のことでない限り危険はない。ただ、最近の国内の不穏な動向といいロッテの様子といい、彼女一人にしておくのはあまり良くない。手続きを踏めば護衛騎士は託宣の間に入れるので、その用事でアルフはバートを探していたのだ。
ロッテのことも然り、神託が違うというのはどういうことなのか。果胡は胸騒ぎが加速した。
「エリス」
「あん?何だ。お前、ちゃんと座っ…」
「貧血気味なんで今日はお先失礼します!」
「ああん!?」
全く別の理由で顔色を悪くした果胡は、貧血だとは思えない勢いでアルフの手をとって医務室を飛び出して行く。エリスが止めるのも聞かず、バートの元へ急いだ。彼が今歩いているであろう道は、オリヴィアがいつも町へ抜け出す時に使っていた秘密の道だ。大昔は王族が避難経路として使っていたらしく、今だってそうなのだが、本来の目的としてはもう何十年も使われていない。たまにバートが使用できるかどうかを確認のために通っている。オリヴィアがいた頃は、三日に一回は図らずも確認出来ていたのだが、今は精々月に一度程度だ。
この道を知るのは王族と王室付の騎士と限られた官僚のみ。果胡が知っているとおかしいと思われるだろうが、バートが道を抜けてきたところに出くわしたように偶然を装えばいい。実際果胡が今会いたいのはバートではない。
アルフとバートを引き合わせたら、そちらはそちらで動いてもらい、果胡はやることがある。
困惑しかない顔色のアルフを力強く引っ張りながら、果胡は通い慣れた城内の外に出る近道を進んで行った。




