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何も特別ではなかったのに

『────ルクマンって言うの。宜しくね』




ほど良い厚みのある唇、綺麗に上がった口角。


黄金の髪が風を通して揺れ透ける。


歌うように透明感を宿した声は、どこか遠く、巡る記憶の最中。


オリヴィアが見たその景色を、果胡はもう知っている。














「────…コ、───おい、カコ」

「!」


はっと短く息を吸った瞬間、霧が晴れたように果胡の目の前は視界が開けた。働かない脳内、いやむしろ回転しすぎていて休息を求めている頭では、目と鼻の先にリタの顔が覗き込んでいるということしか理解出来なかった。

驚きと困惑の所為で声も出さずに口をパクパクさせていると、リタの眉間の皴が深くなる。慌てて無駄に近い距離を引き離す。


「リ、リタ…、びっくりするじゃないですか。何ですか」

「何はこっちの台詞なんだけど。廊下を肩を落としてとぼとぼ歩いてるから何度も声掛けたのに、今の今まで気付かないから、寝ながら歩いてんのかと思ったわ」

「私はまだその技術を持ち合わせていません」


城内でそれが出来るのはエーベルハルト、バート、エリス、リタと医務官の数人だという噂だ。数々の修羅場を潜り抜けた歴戦の猛者だけが取得できるスキルだという。限りある時間を極限まで効率よく使った最終形態らしいが、身につけたいとは思わない。

果胡の歩くスピードに合わせて横に並び、だらしなく着た訓練着のズボンのポケットに手を突っ込む。足元はスリッパだが、まさかこの格好で訓練に参加していたとでも言うのだろうか。


「冗談はさておき、本当にどうかしたか?…顔色悪いな」

「……いえ…」


リタは手を伸ばして果胡の額を軽く押して下がっていた顔を上げさせる。傾けた彼の顔に疑問と心配の色が滲んでいたのを、果胡は見ない振りをするように目線を斜め下にずらす。リタは問い詰めるようなことをしなかったが、果胡に事実を隠すつもりはない。ただ、自分の中でも整理がついていなくて、何と話したらいいのかまとまらないのだ。

少し逡巡して、果胡は自分の頭の中を片付けるように言葉を零していった。




「端的に言いますと、先程ロッテの所へ行った際、忘れていたオリヴィアの記憶が蘇って来ました」

「オリヴィアの?」


額に当たっていたリタの手の体温が一瞬下がったように感じた。すぐに離れていったから、気の所為かもしれない。


「はい。…と、その前に、リタはロッテの生い立ち、どこまで知っていますか?」

「生い立ち?…うーん…、特には。ベネ国出身ということしか」


果胡はやっぱり、という納得と呆れが半分ずつ入り混じる表情でリタを見る。リタが必要以上に他人の情報を知っているわけがない。以前はロッテの護衛騎士としてついていたはずで、護衛対象のことをある程度把握するというのは護衛任務の内である。ただ、リタの性格から言って、自分からあれこれ訊き出したりはしないだろうし、本人が話そうとしないことを無理に調べたりはしない。それが気遣いなのか、単なる面倒臭がりなのかは微妙なところではあるが。

リタなら仕方ないかと諦観しながら、果胡はロッテにもらった飴玉を口の中に放り込む。何となく糖分が足りていない気がしていたから、口の中全体に苺の甘酸っぱい味を染み渡らせた。


「本人が言っていたことなので確かだと思いますが、ロッテは確かにベネ国出身ではありますが、育ったのはルヴィフィア国らしいんです」

「ふーん?」


出身地と育った所が違うなんて特段珍しいことではない。これだけではリタが生返事であることに文句は言えまい。

目線だけをタラタラと歩くリタに流しながら、果胡は次を続ける。


「ルヴィフィア国に来た理由と言うのが、彼女は養子に出されたようなんです」

「…養子…」


それでもリタはそう呟いただけで大した驚きは見せない。ありふれているわけではないけれど、この世には養子がいることも充分にある。それが幸であるか不幸であるか、人それぞれではあるのだが、ロッテの場合、どちらかというと不幸に分類されるものだったのかもしれない。


「ベネ国で生まれたロッテは、神力を宿していました。神子に選ばれるほどではないとはいえ、候補に挙がるくらいには強く。一族は驚き、喜び、ロッテを大切に育てた。一族から神子が出るということは誇らしい事。国としても大いに盛り上がっていた。だけど、そんな一族の希望も、国からの期待も、本人の意思も、全く関係ないところから手を出してきた勢力があったんです」

「それが、そのロッテが養子に出された先の家ってことか」


話が早くて助かる。リタの表情は、いつの間にか気怠いものから僅かに軽蔑を含んだものに変わっていた。ぱっと見では判断はつかないほど微々たるものだけれど。

果胡はこくりと頷き、口の中の飴玉の位置を舌で動かす。味が再び広がる。


「その家、どこだと思います?」

「ロッテのファミリーネーム、グロールだろ?グロール家は確かベネ国の…。ん?待て。今ロッテはどちらの性を名乗ってるんだ?」


そうだ。グロール家というのはベネ国に昔からある家系。目立つほど大きな一族ではないけれど、古くから長く続いていて、ロッテはその一族として生を受けた。


「ロッテは今、いろいろな事情を鑑みて元々の性、グロールを名乗っているそうです。神子になった時くらいから。でも今の彼女の本当の名、養子に出されて変わった名前は────…」




ガリッ、と噛んだ飴が口の中で弾けて散り散りになった。尖った欠片が口内をチクチクと刺激する。








「ロッテ=ベルクマン」








そこで初めて、リタの目が見開かれた。











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