女子会から零れる記憶
果胡はいくつかの薬が入ったトレイを抱えて、長く閑散とした廊下を歩いていた。普通なら誰かしらメイドや執事がいるのだが、ここの廊下は今はあまり人気がない。必要最低限の人間しか出入りしないようにしているのだ。
それも、ここから続く部屋にいる人物によるものである。
「失礼します」
ノックを三回、軽くしてもその音はよく響く。それくらい音を吸収する物が周りにないのだ。
小さなか細い声が中から聞こえたのを確認してからドアノブに手を掛けて押し開く。中は少し薄暗く、冷たい空気が肌に当たる。果胡は声主の姿を思い浮かべながらドアを開いたのに、その先には待ち構えたような仏頂面が仁王立ちしていた。
「……アルフ。お疲れ様です」
「カコさんも。すみません、医務室も忙しいでしょうにわざわざ届けてもらって」
アルフは果胡が抱えていた薬をトレイごと預かって、中に通す。果胡は薬を届けに来ただけだから部屋の中にまで入る予定はなかったのだが、時間が許せば話をしてやってほしいというアルフの視線の先を見て、断りきれずに足を進めた。
ベッドの上で寝巻きのまま座って膝を抱える少女。華奢な身体がより小さく見えるのは、その格好の所為か、単に痩せてしまったのか。
「ロッテ」
「!」
果胡が傍に寄って声を掛けるまで、果胡だと気付かなかったのか、前より少しくすんでしまったような黄金の髪がばさりと靡いて頭が上がる。
「カコ?」
「お久しぶりです」
口角を上げる程度の微笑みを向けると、ロッテは嬉しそうに果胡の表情に応える。前までの花が飛ぶような笑顔では決してなかったけれど。
「来てくれる医務官ってカコのことだったのね。知ってればもう少しくらい、見れる格好にしておいたのに」
「気を遣わないで下さい。医務官達は人手が足りなくて修羅場を迎えているところです。薬を用意したのは医務官ですからご安心を」
「別に疑ってなどいないわ。寧ろカコが来てくれて嬉しい」
ロッテはベッドの縁に腰掛けるようにすると、上着を羽織って果胡を手招きする。もっと近くに来いと言う意味かと思って、果胡が近付けば、ロッテは不満気な表情を浮かべて自分の横を叩く。横に座れということか。
果胡は女性とはいえ、一応神子という神聖な人物の寝所にこうも容易く触れていいのかとも思ったが、実際神子だって普通の人間でありロッテは普通の少女だ。憚ることなどないと判断して彼女の横に座ったが、アルフの視線は厳しくなった。神子の護衛なのだから、近付くものを警戒して当然だけれど、部屋の中に招いたのはあんただ。
「少し、痩せましたね」
ロッテの横顔、その輪郭や肩などを見れば一目瞭然。書庫で最後に彼女を見た時より痩せ細っている。というか、やつれていると言った方が正しい。
ロッテは力なく笑って、そうかもと自嘲した。
「なんかいろいろあってね…。いろいろ考えてたらあっという間に夜が来て、その日生きていたことが分からなくなるの。ご飯も一応食べてるけど、あまり喉に通らない。このままじゃ駄目だと思ってはいるんだけど」
「ロッテ…」
町で襲われ、城にまで自分を狙って攻めて来られ、その所為で多くの人間が犠牲となった。気にするなという方が難しい話だろう。人間が怖くなり、受け入れられるのは護衛騎士のリタやアルフ、侍従長であるバート、それから国王達やエリスのみ。他は見知った人だったとしても会うのを拒んでいるらしい。
そんなロッテの所へ薬を届ける役目を果胡が仰せつかったのは、無論医務官が手を離せなかったからでもあるのだが、アルフが果胡なら大丈夫かもしれないと進言があったからだ。書庫で仲良く話していたのを覚えていたのだろう。
案の定、ロッテにとって果胡が訪れたのは、勿怪の幸いとばかりに顔を明るくさせた。
「でもカコが来てくれて少し元気が出たわ。ありがとう」
「私はただ、仕事をしただけですけど…。力になれたのなら嬉しいです」
「謙遜するのね。あなたは自分で思っているより魅力ある人だと思うわ」
「私が?」
やはりロッテの笑顔は力がないけれど、美人はどんな姿で何をしていても美しい。ふわりと笑った顔はそっちの方が魅力の塊だと突っ込みたい。
ロッテの細い手が、膝に置いた果胡の手に重ねられる。まるで説得しているみたいだ。
「何て言うのかな。話していると、一緒にいると、迷路から抜け出せるような気分になるの。カコが導いてくれるんだろうと思うんだけれど、単に道を指し示してくれるだけじゃない。迷っている道を一緒に歩き、私には気付かないところで出口に誘導してくれているみたいな」
「は、はぁ…」
「あなたにこんなこと言っても自覚はないだろうし、分からないのは分かっているわ。でも、多分あなた以外、皆思っていることよ」
ね、アルフ、とロッテに話を振られたアルフは、まさか自分に意見を求められるとは思っていなかったのか、大層驚いていたが、返事は迷うことなく頷いた。果胡とアルフはそんなに接触があったわけではないのだが、アルフが適当な気持ちで返事をする人ではないことを果胡は知っている。本当の意見なのだろうが、果胡自身としてはあまりピンとこない。自分が、何をした?ロッテとだって他愛もない会話をしたくらいだと思っていたのに。
「買い被りすぎではないですか。私はしがない医務室手伝いの身です」
「ふふっ…。ただのしがない医務室手伝いの身は、特別騎士が必死に隠している怪我を見抜いたり、頑固な特別騎士の強がりを論破したりしない。私、リタともアルフとも付き合いは長い方だと思ってたんだけど、あっという間に果胡に持って行かれた気がするわ」
先日アルフが怪我をした騎士たちを連れて医務室に来た時のことを言っているのだろう。
きゃらきゃらと笑うロッテは、決して嫌味を言っているわけではなかったが、果胡は何とも言えない気持ちになる。リタもアルフも、多分年月としてはロッテの方が付き合いは長いのだろうが、果胡はそもそもロッテとは事情が違う。リタは元よりアルフに関しても、ロッテが神子代理となる前、まだ彼が二等騎士だった頃から知っているのだ。無口なアルフとは会話と言う会話をした覚えはないけれど、努力家で、昼夜問わず鍛錬を続ける彼の姿をオリヴィアはいつも見ていた。
ロッテとしても傍にいる護衛騎士たちは家族のような存在で、日を重ねる度、気が置けない関係となる。ぽっと出の女などにそんな護衛騎士たちを手玉に取られたと思っているのなら、いい気はしないはずだ。ロッテはそうとは言わないし態度にも出さないけれど。
「も、持って行ったつもりはないんですけど…、持って行ってました…?」
「ふふふっ。訊いちゃうところがカコらしいし憎めないのよね。安心して。別に怒っているわけじゃないわ。リタもアルフも私のモノではないし、そういう目で見たことはない。…昔は、恋愛感情とか…、なかったわけでもない…、けれど…」
言いながら頬を赤らめて声を窄めていくロッテが酷く可愛らしかった。昔と言うくらいなのだから、リタがロッテの護衛をやっていた頃のことだろう。そうか、ロッテはリタのことが好きだったのかと果胡は今更ながら気が付いた。そして、昔とは言うけれど、多分今も。
「あー…、そう、ですね…、リタ…、リタか…。…まぁ…、悪い人ではないけれど、いい人でもないんで気を付けて下さいね」
「え?いいの?それで」
「いいの、とは何がでしょう?」
「だ、だって、カコはリタのこと何とも思ってないの?」
「はい?」
果胡の反応が意外すぎて、ロッテは大きな瞳でぱちくりと音を立てそうな勢いで瞬きした。果胡は果胡で、何故ロッテがそんな驚いているのかと疑問でしかない。
「あなたたちいつも一緒にいるし、見かける度、リタは周りには見せたことのない表情であなたと話してる。カコだって私とこうして話す時とは違う顔を見せているわ。…お互い、想い合っているからではないの?」
「想い合って…」
ロッテが一体どのタイミングで果胡とリタを見たかは分からないが、果胡からすればロッテが自分たちのことをずれた見方をしているのだということでしか捉えられない。どうにか彼女の質問に答えようとして、眉間に皴が寄るのを避けられない。
「……私とリタは…、ある意味特別な関係ではありますけど、ロッテが思っているようなことではないですよ。ただ、恐らく周りからは『リタはやめとけ』と止められるでしょう」
「止められたわ」
「やっぱり」
「…でも、仕方ないでしょう。気持ちは止められないもの…」
どこぞの少女漫画で出てくる台詞かとも思うが、ロッテが言うと妙に画になる。やはり美人は得である。
もじもじとするロッテが撫で回したくなるくらい可愛くて、果胡は一瞬自分より年上だということを忘れてしまう。衝動に駆られて抱きつきでもすればアルフが剣を抜きかねないので、ぐっと耐えて彼女の手を握り返すだけに留めた。
「リタの駄目さを補える人になればいいだけのことです。簡単なことではないけれど、それで周りを黙らせてしまえばいいんですよ」
「簡単ではないのね?でも、実にカコらしい意見だわ」
「大丈夫。ここまで神子を立派に務めてきたロッテなら、神もきっと背中を押してくれるはずです」
実際、神もそんな殊勝な性格ではないけれど。
「ありがとう、カコ。やっぱりあなたと話せて良かったわ。恋愛のことで悩んでいたわけじゃないんだけど、何だか気が紛れて結果良かった」
「それは良かった。あ、お薬、ちゃんと飲んでくださいね」
女子トークの雰囲気に耐え兼ねたアルフが、微妙な表情をしながらロッテの薬の準備をしてくれていた。あまり人との接触をしたがらないロッテの為に、医務官からみっちり処方を叩き込まれているらしい。適温の白湯と適量の薬を小さなトレイに並べてベッドのサイドテーブルにカタリと置く。
ロッテがリタのことを好きだなんて、アルフに聞かせても良かったのだろうか。ロッテは特別気にしていない様子だったが、アルフの方が心配だ。聞くべきじゃなかったという後悔がありありと顔に表れている。アルフはリタのことを良くは思っていないから尚更だろう。ロッテへの今後の対応も気にすることになるだろう。可哀想で仕方がないが、フォローの言葉は誰も思いつかない。
こくりを喉を鳴らし、錠剤の薬を飲み込んでロッテは苦い顔をする。錠剤だから味はしないのだが、そもそも薬を飲むのがあまり得意ではないのだ。一仕事終えたかのようにぐったりしてベッドに潜り込む。
「よくできました」
「子どもみたいでしょ。ちゃんとご飯食べればこんなの飲まなくて済むって分かってるんだけど」
どうしても胃が受け付けない、とロッテは嘆いた。無理に食べても身体に負担をかける。食べなければならないという意識が先行しすぎて躍起になりすぎてもいけないと、果胡は落ち着かせるようにロッテの肩を優しく撫でた。
「無理することはないですよ。病は気からって言うでしょ?気持ちが伴わないことをしても、それほど効き目があるとは思いません。お腹が空いたら食べる、くらいに思っておけばいいんじゃないでしょうか」
「…そうね」
そうする、と言いながら、ロッテは少し驚いた表情をしていた。そんなに格言のようなことを言った覚えはないのだが、と果胡が疑問符を浮かべていると、ロッテは瞬きを繰り返しながらポツリと零す。
「…ねぇカコ」
「はい?」
「前にも私に同じようなこと言ったかしら?」
「え?」
ロッテは果胡のことを買ってくれているみたいだが、ロッテと出会ってまだ日が浅い。会った回数もそれほど多くないし、こうして塞ぎ込んでいる彼女を目にしたのも果胡は初めてだ。同じようなことを言うシチュエーションにはなかなかなるわけもないのだが、ロッテが出任せを言っている様子でもない。
「いえ…。ないと思いますけど」
「そう…?どこかで誰かに同じようなことを言われた気がして…」
「それ、私ではないのではないですか?全く覚えもないので」
「そうよね…。あれは確かどこかの庭だった気がするし、随分昔…。カコとは庭にも行ったことがないし、昔はお互い名前も知らないものね」
ごめんなさい忘れて、とロッテは眉尻を下げて苦笑する。だがすぐに、あ、と声を上げて、竦めた肩に困ったような笑みで言うのだ。
「でも私、その頃ロッテ=ベルクマンを名乗ってたから、会っていたしてももしかして私とは思わなかったかも」
「────────…え?」
果胡はそろそろお暇しようとして踏み出した足を固まらせた。




